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ビジネスパーソンが歴史を学ぶ意味

今回は、特定のテーマを取り上げるのではなく、ビジネスパーソンにとって歴史を学ぶ意味を考えてみたい。

20年以上も前になるが、就職活動を行っていた時、大学で古代ギリシア史を専攻していた私は、面接官から「歴史を学ぶことは、どう仕事につながりますか」という質問を受けた。何と答えたかは記憶にないが、いつもうまく答えられなかったことは覚えている。

その後、歴史とは直接関係ない職業に就き(歴史を直接活かせる職業は、かなり限られていると思うが)、以降も趣味で本を読む程度に歴史に触れあってきた。これは、人生を豊かにする知的栄養剤みたいなもので、それで充分満足だった。

だが、ここ最近は考えが変わってきている。ビジネスパーソン、特に何らかの変化を生み出したい人にとって、歴史を学ぶことで身につく思考力は、とても大切なのではないかと感じている。その力を三つの段階に分けてまとめてみた。

当たり前を疑う

「魚の目に水見えず」と言うように、自分たちが属している世界の前提になっていることは、あまりに当たり前すぎて、通常意識に上らない。

例えば、お店に行けば貨幣とモノを交換できる。多くの人が会社に属して、労働の対価として給料を受け取る。子供は同学年で集まり、おおよそ一律の教育を受ける。私たちは自分たちを日本人だと認識している。このようなことを疑って考えることは、滅多にない。

そんな当たり前にあえて意識を向け、そもそもなぜ、どうやって、それは始まったのかを考えてみる。起源を見ることで、元々それがなかった世界から、それが生まれた理由と経緯を知り、そこから本質が見えてくる。お金とは、教育とは、日本人とは何か。

いつから民衆は、自分たちを日本人と意識するようになったのか。その意識はどうやってつくられたのか。それ以前は、自分を何と認識していたのか。それは、アメリカ人であるという認識とどんな違いがあるのか。そもそも国民意識とは何なのか。

そして、前提条件が変わった時に、その当たり前がどう変わるのかを洞察してみる。電子国家となり国土という概念が消えた時に、日本人であるという意識はどう変わるのか。今後の移民政策により、ルーツが異なる多くの人々が日本人になることによって、それはどう変わるのか、など。

こうした既存の枠組みや前提を疑い、新しい前提を考える学習プロセスをダブルループ学習と呼ぶ。PDCAに代表されるシングルループ学習は改善には向くが、抜本的な変革にはつながらない。変化と創造を生み出すには、前提を見つめ直す学習プロセスが必要だ。これはそのまま歴史を学ぶ思考プロセスと重なる。

構造を捉える

小説家の半藤一利は、松本清張を「虫の目」、司馬遼太郎を「鳥の目」で歴史を観ると評した。

歴史を学ぶことは、ある事象をさまざまな角度や視座から観る目を養う。現代人が持つ固定観念をいったん外し、当時の人の心象を想像してみる。時間的にも空間的にも思いっきりズームアウトして、俯瞰的視野から事象を捉えてみる。そして、事象の裏にある構造部分に目を向ける。

例えば、江戸末期にやってきた黒船。そこに見える表面的事象は、圧倒的技術力と強大な軍事力を背景に、開国を迫る列強国アメリカだ。その出来事をより俯瞰的に捉えると、黒船に乗ってやってきたのは、近代兵器と商品を量産可能にした産業革命。それと共に発展した資本主義という新ルール。それを成り立たせている国民主権国家という新しい国家形態だ。それを当時の人々がどのような心象で見て、その本質的変化をどの程度把握して、その結果どのように動いたのか。

こうした構造的変化がどのような因果関係によって引き起こされ、何がどうつながっていくのかを分解してみる。その中から太い因子の線を見つける。表面的な歴史物語の奥から、隠された構造上のストーリーが浮かび上がる。これが見えた時が、歴史を学んでいて最も楽しい瞬間だ。

アナロジーを考える

事象の構造を捉えると、身の回りの対象に類似点を見つけて応用することができる。

例えば、組織の分裂と衰退の構造を自分の会社組織に当てはめてみる。技術の発展とそれを活かす組織の変化を、DXの文脈で解釈してみる。王や皇帝の継承問題を、経営トップのサクセッション問題と重ねてみる、など。

アメリカの作家、マーク・トウェインの言葉で、「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」というのがある。時代の前提条件が違えば、まったく同じ構造パターンが、そのまま繰り返されるということはないだろう。ただ、多くの事象で相似系の構造は見出せる。特に人間の本能的振る舞いというのは、数千年程度では大きく変わらなかったりする。

楽しいから学ぶ

ここまで歴史を学ぶことによって身につく思考力を挙げてみたが、一方で昨今の「リベラルアーツを学ばねば」という論調には違和感を覚える。自分にとって歴史は、自然と湧き起こる好奇心に動かされて、それ自体が楽しくて学んでいるものだ。生き残りのために歯を食いしばりながら勉強するものではないだろう。いずれにしても、リベラルアーツは明日すぐに役に立つ知識ではないし、義務感で続くものでもない。

環境変化がますます早くなり、ビジネスパーソンにとって、リーンだ、スプリントだ、アジャイルだと、急き立てられる毎日だ。確かにビジネスにスピードは必要だ。けれど、そんなせわしない生き方は嫌だなと思う。

一度立ち止まって、物事を深く観察し、じっくりと思索を熟成させる時間を持つことは、自分の頭と心を豊かにしてくれる。クルクル小刻みに回る思考のサイクルと、ゆっくり深く回る大きなサイクル、自分の中で両方を併せ持っておきたい。

ここまで書いて気がついた。私が伝えたかったのは、ビジネスパーソンにとって歴史を学ぶべき意味ではなく、人生をより豊かにするための歴史を学ぶ楽しさだった、ということだ。

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