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いざ、学ぼう。


こんにちはこんにちは〜◎

肌寒くなってきた今日このごろ皆さんはいかがお過ごしでしょうか〜?


私はお気に入りのワンピースを着て、スタバにてこのnoteを更新しております◎
台風21号の影響で久多の自宅でネットと携帯とテレビが使用不可になって8日目なので、大好きなチャイを飲みがてら、この体験を自分の中でとどめておくべく綴っていきたいと思います。


まず結論から述べたいのですが、電気とネットとテレビが使えない。ただそれだけの日常が自分の中でこんなにもストレスになると思いませんでした。

山間の集落なので割とすぐ停電するんです。雨はまだしも、強風が吹きすさぶと木が倒れ、電線を切りがち。

そうだから今回の台風でも停電することは予測できていたので、洗濯機は回して、お風呂はお昼ごろに入って、携帯・PC・充電器は充電して、備えていました。

そして予報通りに台風がひどくなった14時前後に停電し、少し経ってから携帯も圏外に・・・!

まあまあ。予想してたことだし!ってことで余裕ぶっこいて家の一番明るい玄関で本を読んでダメになるクッションに沈んでいました。

そしたら、14時すぎたあたりから20分間くらいかな?
それはもうはんぱない風がびゅおーびゅおー鳴りまして。
なんとも言えない恐ろしい感じになりまして。


さすがに呑気なもえこも家が・・・!家がーーーーーー!って危機感を感じ始め、意味もなく玄関の扉をおさえて頑張れー!!!!と叫んでいました。



そして風が弱まり、一番ひどい時間帯を超えたであろう15時過ぎ、怖さと寂しさと一人でいることに飽きたことを理由に避難所に向かって車を走らせていると、、、


目に入ってくる被害の数々、、、

トタンの飛んだ小屋、小屋、、、
屋根がずれた or 飛んでいった蔵、蔵、、、

きわめつけは傾いて倒壊寸前の小屋と、大木がのしかかった屋根、、、

の先に!電線を巻き込みながら道を遮断する木・・・!


(写真は翌日枝打ちがされて下が通れるようになったときの。)


ひょえええええええええええええええええええ!

今回はやばいぞ・・・!

久多暮らし4年目だからそんなに深いことまでわからないけど、知らないけど、今回はいつもと違うぞ!!!


と、なんとなくは気づいてたのですが


(写真下手で伝わりにくいけど被害の一部。)


まさか木だけでなく、電柱までも折れているとは・・・!

それも1本だけではなく何本も・・・!

そして電気の復旧に6日もかかるとは・・・!

さらにさらに、携帯の基地局と、光回線と、テレビ線にいたっては
まだ復旧しないとは・・・!(現在台風から8日目)

(docomoさんとSoftbankさんは中継車?電波を飛ばす車が入ってくださっています〜◎感謝〜◎
その車の周囲100メートルは電波が入るらしい〜!)


そうは言うても、災害時の停電ははじめてじゃないし、バイト先の慰安旅行で2日くらいいないし、車も運転できるし、ストレスにも鈍いほうやし、、、

まあ、楽しく暮らせるだろう!そう思ってました、、、


実際、台風が来て、次の日は仕事もお休みになったので近所の家回って、暗さを満喫するため外で七輪ごはんして、あ〜〜〜真っ暗だ〜〜〜って楽しくやってたし、


次の日は慰安旅行で若狭で遊んで一泊して美味しいもの食べたし、大好きなカラオケもしたし、ああ〜楽しいな〜って思って久多に帰ってきたら、相変わらずの光景で、電波も入らなくて、、、

なんか心がしょんぼりしかけたから、もえこには車がある!!!!ってことで若狭帰りのまま準備をして街中に逃げて、大好きなお姉さんの家に泊めてもらって、次の日は仕事で、職場の人も心配してくださって、温かい言葉たくさんもらって、その日は温泉にいって、道中夜8時を越えても電気の復旧作業してくださっている人たちがいて、ありがたすぎて涙が出て、ああ、本当に恵まれてるなあ・・・って思いで久多に帰って来てお手製のペットボトルランタンに明かりを灯して寝ようとしたら寝れなくて、、、そういえばもえこのストレスサインである左手の薬指が痒いことに気づいて、

ああ、あたしこの状況しんどいんだって、そのときやっと気づいて。

辛い状況だからこそ、元気で笑顔でいなきゃって無意識のうちに無理してたみたいで!


うわあ。悲しい、寂しい、しんどい〜〜〜〜!って泣けてきて。

でも涙ってすごくて、しんどくて、辛い状態の自分に気づいて泣くだけ泣いたら不思議と気持ちがすっきりするんですよね。


そんなこんなで、今のしんどさに気づいたから、どうしたら心地よくなるのかを考えようと。

ちょうど情報が遮断されて、明かりがない分夜も早く訪れたので時間はたくさんあって、この生活、主に電気と情報から隔離された生活のしんどさとじゃあ、自分はこれからどう暮らしていきたいか?を考えていました。

見つかってない答えも多いけど、今わかっていることとしては、

その①
私の暮らしの大部分が山奥で完結しているため、いざ山奥での暮らしが嫌になったときのために、逃げる場所としてもだけど、会いたい大好きな人が街中にいることのが大切だということ。

その②
逆に、街中で暮らしている大好きな人たちの逃げ場として使ってもらえる可能性があること。

その③
電気は以外になくても平気なこと。温泉やコインランドリーに行けばいいし、友だちの家に行けばいい。

その④
まかない暮らしをしているし、畑があるから、冷蔵庫を使わない暮らしに挑戦してみる価値があること。

その⑤
人に出会って笑いあえる瞬間はやっぱり最高に救われるし、しんどいからこそ胸がきゅ〜〜〜〜ってなって幸せが溢れ出すこと。

(写真は自分自身が元気になりたくて停電5日目に配って回った元気になるたい焼き。笑)

その⑥
電気がない生活を知っている80後半〜90代のおじいちゃんおばあちゃんもテレビがないと寂しさを感じること。

その⑦
動ける且つ、やるべきことがわかってしまう地域の元気な50代〜60代のおじさんたちの疲労困憊具合が激しいこと。

その⑧
普段SNSをしているときって無意識のうちに誰かの思考や感情にとらわれがちで、その瞬間は自分がいないことが多いこと(良い悪いではないです!)

今の所言語化できているのはこんなもの。
情報と暮らしは自分の中ではまだここちよいのが見つかってない!

誰か同じようなこと考えている人いたら話したい〜〜〜!


はてさて、最後に停電のお供に読み進めた大好きなのに読了してない「一万年の旅路」っていうネイティブアメリカンの本があって、

中身は天変地異(おそらく地震)によって定住していたアジアの地を旅立ち、ベーリング海峡を渡って北米大陸に渡り、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでの旅路の1万年の口承史。

その1万年の旅の中で様々な出来事があって、本当に変化も安寧もある中で子どもたちの明日のために大事なことを口承で語り継いだものなんだけど、

本当にその姿勢が素敵で、こんな非日常の中に身をおいて読むからなおのこと響くんだけど、

一族の中に悲劇と言える出来事が起こったときはみんなで話し合うの。
そして自分たちが、子どもたちが二度と同じ悲しみに出会わないように語り継ぐの。
「いざ、学ぼうではないか。いざ、心にとどめようではないか。」

そうやっていくつもの話を語るの。いくつもの悲劇を辛さを苦しみを学びに変えて、未来の子どもたちに託すの。

ああ、私もそうありたい。そう思いました。


地震に台風に土砂崩れに浸水ここ10年でもたくさんの本当にたくさんの災害を経験してきた日本。全然自分ごとじゃなかったなと。

自分ごとじゃなかったことはどうしようもないことだから別にいいんだけど、ここから。

たったの6日間の停電と情報からの隔離でこんなにもストレスフルな暮らしになってしまう。今のこの暮らし方を見つめ直さなければ。

毎日は変わらないように見えて変わっていくもの。

いざ、学ぼうではないか。いざ、心にとめようではないか。

そして、いざ選ぼうではないか。自分にとって心地よい暮らしを。



そう思ったもえこなのでした。

みなさんそれではまた会う日まで\(^o^)/


もえこ


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