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長野県某所。

この季節の雨の匂いは
いつも私の知らない “ 私 ” の人生を思い出させる。
少し懐かしいようで それでいて切なく哀しい。
ティースプーンに ほんの一匙 蜂蜜を舐めて我に返る。

喉にまとわりつくことなく 滑り落ちていく感覚が
心地よく 甘美だ。

自らの立ち位置、現座標を思い知り
感嘆混じりの溜息をつく。
静かな雨。雨は心地いい。
深い眠りに精神が引きずられていく。
何もかもを忘れてもいいと言われている気がする。
忘却は人間に許された唯一の手段だと大真面目に思う。

もっと、何もかもを忘れて
脳という名のHDDを整理する必要が有る。
リカバリは効くのかしらと思った自分を鼻で笑う。
クリーンアップする前から 逃げ腰なのだ。

年齢を重ねる毎に
あらゆる感情が損なわれているような
そんな違和感を感じることがある。
もう思うように文章を書けないし
煌めきはもちろん
閃きでさえ失った気がする。
いつからか 身を滅ぼす程の情熱も冷め止んだ。

一昔前は 何でもすぐに閃いた。
何もかもがゲーム感覚だった。
知恵の輪のようであったり RPGのようであったり
それはその都度、様々だったが
攻略本等なくとも、どんなゲームでも お手の物だった。

今思えば、
怖いものなど何もなかったからなのかもしれない。
自らを無敵と信じて疑わなかった頃が
どこかの国のおとぎ話のようだとさえ思う。
若気の至りという言葉は実に巧妙な言葉だと思う。

もがいて、
もがいて、
もがいて、

そうやって我武者羅に
それでも前に進もうと 足掻いてきた筈なのに
往生際の悪さを想像するのが先になってしまったからか
恥を知れと指を指されることを
恐れるようになってしまったからか
ただ “ 詮無きこと ” と言う名のフォルダに
予め物事を仕舞う癖がついてしまったようにも思う。

何事も 綺麗に折り目をつけて収納できるなら
まだマシなのかもしれない。
ところが場合によっては乱暴に、乱雑に
フォルダの中に押し込んでしまっている。

思う存分 押し込んで詰め込んだ癖に
ある日 視界にその片鱗を見つけると
何事も上手く片付けられない自分自身に嫌気がさして
発狂したくなる。

だけど、やっぱり。
それでも、やっぱり。

ここではない何処かへ行きたくて。
その衝動だけは相変わらず 身を焦がすかのように
腹の底を渦巻いている。

背中に羽根が生えたなら
とんでもない速度で大気圏を突破する自信が有る。
もちろん それは蝋で固めた羽根ではなくて
ライト兄弟も唸る程の 傑作で。

無い?そういう感覚。

私はもうずっと
そういう感情を飼殺して止まなかった。

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先日、18年間 行きたかった場所に
やっと足を運ぶことが叶った。
その名も 長野県某所に在る “ 無言館 ” である。

青々と茂る木々の小径を縫うように行くと
静かに佇む凛としたそれは
文字通り 訪れた者に 無言を以てして語りかける館だ。

静かというよりは静寂、
閑散というより閑寂なその場所は
嘗て少女だった頃の私の 想像通りの場所だった。

余談だが私は昔から
美術館や図書館で 寛げるスペースが在ろうものならば
寝転んで瞑想するという癖を持っている。
いつか此処に足を運ぶことが叶ったら
もう何も思い残すことはないと思っていた。
当然 この日も いつも通り その場に寝そべり 目を閉じた。

行儀の悪さを窘められることさえなかったが
そんな私に 恋人は優しくキスをして
身体を起こし 手を引いた。

特別な日、特別な場所、特別な時間。
恋人は いつも私にそれを齎してくれる。

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ひんやりと冷たい
その場所に展示された絵の一つ一つが
目に焼き付いて離れず
不謹慎な表現かもしれないが
暫くの間 脳内を酷く凌辱された気分になった。

実はこの数か月前
折しも神戸で開かれた個展に足を運んだのだった。
普段 全く見ないテレビで その個展の様子が取り上げられており
居ても立ってもいられず すぐさま 車を飛ばして向かった。
その時も 何とも言えない感情に引きずられた。
ところが本家本元は違った。
比べものにならない程の奈落がそこに有った。

そして同時に
当時確かに生きた人々の
未だ冷め止まない情熱を感じた。

絵筆やカンヴァスを捨て
戦争という場所に
“足を運ばざるを得なかった彼ら”は
死んでも尚、その場所で確かに生きており、
死んでも尚、命を貫いているではないか。

私?

私は一体 何をしているのだろう。
五体満足に生まれ 大病もなく自由奔放に生き
顔を喪われたようなフリをして 厭人家を演じ
明日を呪うように 言葉遊びに精を出し
未来を占う術もなく 現在に身を埋め 囚われている。

恋人が真剣な眼差しで
作品の一つ一つを見上げる横顔を見つめる。

そして、安堵する。

戦禍の果てに散った多くの人々が生きた当時が
今の私たちの日々に連なり 未来を彩っていく。
その重みの何たるかを垣間見たような気がした。
そして、心の中で深く深く想った。

ねぇ、愛しい人。
ありがとう、私を此処へ連れてきてくれて。

途中 ―

在る青年の言葉の前で 何度も足が止まった。
幾ら別の作品を見て回っても 必ずその前で足が止まる。

きっと私は嘗て 彼だったのかもしれない。
或いは 彼こそが 今の私なのかもしれない。

( 来る終戦記念日に寄せて )



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