選択する理由と覚悟
少し大袈裟かもしれないけれど、私は、【会社への通勤手段の選択】に対して、【理由と覚悟】を明確にした。
というのも、引越しに伴い、会社の通勤経路が変わってくるからだ。経路が変更するだけでなく、これを期に、これまで【電車通勤】していたところを、【車通勤】にする選択権が同時に与えられた。正直、私の希望を伝えたとて、配属先側に承諾してもらえる保証はない。だけど、こちら側から話をする以上、『こうしたいと考えてますが、どうですか?』みたいな【明確な希望】が必要だと思った。だから私は、真っ先に【車通勤】を希望した。
ところが実際、旦那や身内と話としてみると、『車通勤は事故のリスク』や『渋滞で時間が読めないことへの不安』そして『片道1時間以上も運転したら、それだけで緊張したり、道路事情によるストレスで疲れたり』など、とにかく【不安要素】が多かった。私も、週末ドライバーとは言え運転の経験はある。1時間以上の距離も運転したし、会社の近くの道路も通ったことはある。しかし、通勤時間ではなかったし、天気も良くて、【比較的運転しやすい条件】が揃っていた。だから、いざ、【本当に自分が毎日通勤で往復することを想像】してみると、【不安要素の方が明らかに多い】と自分で納得したのだった。
【車通勤】は、正直なところ私の【密かな夢】だった。『1人の空間と時間を自由に使えるだろう』と思っていた。『天候に左右されることもない』し『寄り道が自由に出来るから出かけやすい』とか。【電車通勤】の私からすると【羨ましく思う要素】が色々あるわけだ。私の場合、【乗り換えの移動や待ち時間のストレス】や『徒歩の時間も長い』ので【天候よるストレス】も度々ある。そんな『ストレスから解放される』と思うと、『期待感が更に高まった』のは正直なところ。
しかしながら、【車通勤】の【不安要素の多さ】故に、【電車通勤】の【安心要素の多さ】の方が顕著に沢山出てきた訳だ。『電車に、乗ってしまえば目的地に必ず着く』とか『基本的には時間通り』とか。更には【電車の中で過ごす時間】は『仮眠したりブログに励んだり』と、【車通勤では叶わないこと】が、【今現在、日常的に出来ていること】を実感した。
そうすると、『電車通勤も悪くないよな〜』と私が思った訳だ。それに、今の配属先は、【通勤車両やドライバー情報の管理】が厳しく、登録やアルコールチェックなど、必要な手続きも重なってくる。また、冬に向けてはスタッドレスタイヤも必要になることを考えると、結果、そこまでして【車通勤にこだわる理由】が、実際に言うほど、『ないのかもしれない』となったのだ。
私は、先週のうちに、自分の営業担当に連絡していた。真っ先に【車通勤】の希望を持った、その時に伝えていた。そのため、『配属先側の上司とのアポが取れて来週に訪問する』と連絡があったことで、『私の意向の変更を伝える』ことにした。すると、私の【電車通勤】を希望することに対して、意外そうな反応をされた。それなりに理由を聞かれ、私は、あれやこれやと悩んだ結果であることを伝えた。それで『話としては落ち着いた』訳だけれど、『私の中ではモヤモヤ』していた。
『モヤモヤ』の原因は、【電車通勤】を希望した【私自身の選択】に『自信が持てなかったから』だ。『何故、自信が持てないのか?』と自問した。その答えは、『どちらにせよ、【メリットとデメリット】があり、それを私なりに理解しているから』である。それを加味して考えた時に、そもそも、根本は【通勤手段を選択すること】よりも、【今の現場を継続すること】の方が『私にとっては大事なんだよね』という【明確な希望】が顕著になった。そう、つまりは、『今の現場を継続したい』って気持ち。
ならば、とりあえず【今の現場を継続することが第一優先】な訳だ。【車通勤】に対して、配属先の上司は、ぶっちゃけあまり推奨しない。だから、【電車通勤】の人も何人かいる。私自身、2年以上も今の現場にいて、今更、手続きで手間をかけたい訳でもないし、これまで通り【電車通勤】の方が都合が良いだろうと個人的に思う。言っても、残り1年も無い現場だ。『先が見えているから』こそ、『わざわざリスクを伴う変化は必要ないかな』と思ってしまった。そんなことよりも、【今の現場での自分の実績・経験】の方が、今後の私にとって大きな財産になる気がした。
もしまた、次の現場で【通勤手段】を選択することがあったなら、『今回の自分の選択から考えたらいいじゃない?』とも思った。別に今、【リスクを伴う変化】を求めなくても、『次に繋げるための【今の選択】って気持ちでいいじゃない?』ってこと。
それと、もう1つ。今回の【電車通勤】の結論は、正直【最初の自分の選択とは異なる】ってこと。だから私は、『旦那や身内の意見に流されてるだけなのか?』みたいな気持ちに、若干なった。つまり、『私が嫌がる【他人任せ】じゃん!』て。でも、『それは違うよ』ってことを今回、学んだ気がしている。確かに【自分の最初の選択とは異なる】けれど、『周りの人達の意見に納得した』から【私の意見】として取り入れた訳だ。
だから別に【他人任せ】な訳じゃない!ってこと。だって、元々、【自分の意見】は明確にあったもん。でも、それを上回るだけの【自分に無かった意見】に『納得した』だけ。だから『最初は【車通勤】したいって思ってたけど、よくよく考えたら【電車通勤】にしようって気持ちに変わりました』ってことだもん。『それの何が嫌なんだ?』くらいの気持ちにもなる。ただ単純に『自分の意見も無く流されてる』とか『相手の意見の通りにしたい』とかじゃない。ちゃんと【自分の意見】として、『相手の意見を取り入れただけ』のこと。そう思えば別に、全然【他人任せ】じゃない!って自分で思えた。
更に言うと、【自分の意見】として【自分が選択】した訳なので、【電車通勤】で『やれるだけの事はやる!』って気持ち。つまりは【電車通勤】を選択した【理由と覚悟】を持って続けるってこと。【決して誰のせいにもしない】のは大前提。【電車通勤】の『デメリットを目の当たりに』しても、【自分が選択した結果】ってこと。今も既に十分に思うことはあるけれど、【全部、自分が選択した結果】って、毎回思う。
それでも『自分が納得出来ない』のであれば、自分でその【状況を変える努力をし続ける】とか、そもそも【環境を変える】とか。逆に、その状況に【納得する為の理由を探す】とか。あくまでも【自分が自分で納得する状況を作り出す】って話。それが、【自分の選択に責任を持つ】ってことだと個人的に思った。そして、私はそんな自分になりたいので、【中途半端】な理由や覚悟ではなく、【自分が納得】したうえで【選択する理由と覚悟】を持ち続けたい。