持論【愛されていない】感覚について

今回のタイトルについて、過去に何度か思うことはあった。ただ、1人時間の使い方を自分で決めるようになったからこそ、ブログに発信して説明出来るくらいには思考回路がまとまった気がする。そんな私の持論を発信したい。

というのも私は、過去に『親から愛されていない』と思った経験や、現在も『彼から愛されていないんじゃないの?』って言われることがある。その根拠として、過去の経験で言うと、子どもながらに『自分以外の周りの友達の親と比較していた』ことがあった。自分には経験のないような友達の話を沢山聞いた。親からしてもらった嬉しいことや楽しいこと、褒められたことや希望を叶えてくれたこと等々。無意識ではあるものの『自分を満たしてくれる=親の愛情』だと思っていた気がする。また、現在で言うと、周りの人達から見た私の彼のイメージについて、本人達からは考えられない!と感じる部分があるみたいだ。共通して言えるのは、どちらも【一部分の切り抜き】を情報源とした『なんとも勝手な言い分だ』ということである。

過去の私は、そんな風に思いながらも固定概念のある環境で20数年。両親から【愛されていない】と感じたことは、ほとんど無かったと記憶している。ところが、自らの意思で家を出て、固定概念を初めて捨てた時のこと。私は、両親から【愛されていなかった】と本気で思ったことがある。『今も昔も私が苦しい原因や、自分にとって都合の悪いことがあると全部、両親と固定概念に関わって生きてきたからだ!』と決めつけた。そして、そんな【自分の最悪な気持ちの矛先】に私は1番困ったのだ。散々1人で苦しんだ挙句、自分自身が、両親や固定概念のことを、『肯定的に思えるように思考転換する』努力を始めた。きっと人間【愛されていない】と思い続ける事ほど、自分の人生苦しいことは無いと思い知った。『両親がどんな気持ちで私を産み育てたのか、愛情の有無についてどう思っているのか。』なんてことは、正直今更過ぎてどうでもいい。私が【自分の意思で生きたいと思うようになった先で辿り着いた答え】が、結局のところ、かけがえのない【ご縁】で、【私は両親の元に生まれてきた】という事実。その【奇跡的な出会い】に関して言うと、【自分の人生で出会う全ての人】に共通して言えると思うようになった。
また、現在の彼との関係については、彼から私への愛情は、『彼なりに表現している』と自負するようになった。仮に周りから「本当に愛されてんの?」なんて聞かれても、私は自信を持って言う。「そんなの知らん。表現の仕方なんて人それぞれだし、受け取り方も人それぞれ。逆に私の愛情が彼に伝わってるかだって、私が知ったこっちゃないもんね!互いにやりたいようにやるだけ」って話。別に、自分の理想を形だけ叶えて欲しいなんて気持ちは無くなった。『自分を満たしてくれるだけが愛情な訳じゃない!』と、今の私はハッキリと言える。【自分の気持ちに正直】な彼だからこそ、同棲してる現実が、何よりも互いに愛情がある証だと日々実感している。将来の話をする時に、いつも私の存在がいること。そんな日常に日々愛を感じてます!って私は自信を持って言えるようになった。

つまり何が言いたいのかって話だけど、要は、【愛されていない】って自分自身で思っていたら、自分の人生きっと一生苦しいよ!って話。それと同じくらい、自分の人生で関わる人に対して【自分にとって都合の悪い人】だと『決めつけた状態で生き続ける』こと。これもまた、私にとって大変苦しい数年を過ごしたって話。今となっては『両親との【関係回復の鍵】となった、大事な経験だった』と思っているけど。

私の実体験は、今回は、私と両親、私と彼の関係について紹介した。ただ、先にも書いた通り、【奇跡的な出会い】に関して言うと、『自分の人生で出会う全ての人に共通して言えること』だと思っている。身内の人間だけに関わらず、友達や職場、その他の人間関係を構築しながら生きていく上で、めちゃくちゃ大事だなって改めて思った。『愛情や感情表現』なんてものは、本当に人それぞれ。同様に、受け取り方も人それぞれ。私も含めて、ある意味それぞれの個性みたいな感じ。だから、『みんな違って当たり前』ってこと。出会う人みんな、『それぞれの【心の距離感や関係性】があるんだろうな』ってことを、今更ながら最近知った。互いに人間なんだから、上手くいかないことなんて山ほどあるに決まってる。そんな自分の人生で、『何かしらの【縁】あって出会う人達な訳だ』って私は思う。相手が親なら、『自分の【親】だと思う気持ちが自分にあるのか。その上で、どのような【心の距離感や関係性】を求めるのか』なんてことも、最近は頻繁に考える。

更に最近の私で言うと、【私と友達】→友達の彼氏(旦那)や親。【私と彼氏】→彼の親・家族・友達。【私と会社】→上司・その他関わる人達。【私とブログ】→読者の皆様。今の私の生活に対して、占める頻度の高い人達について。私の意思で【意識的に求めた対象】があるのも事実だが、『そこに付随する対象も必然的に増えた』気がしている。『当たり前だけど、みんな大切な存在』だ。でも、だからといって『相手の気持ちに焦点を当てて、自分の意思を見失う』なんて事態は避けたい。『自分が疲れる』だけでなく、『相手から見ても【自分の人間性】みたいなものがブレブレになる』と思うようになったからだ。自分の言動や行動全てに対して、『相手に〇〇って思われるかな?』と不安になって躊躇うくらいなら、『自分の意思でやめれば』いいと思う。逆に『相手に〇〇って思われても別にいいわ!』って開き直って『自分の意思のままにやって』みるのも有りだと思う。だって、実際の相手の反応なんてものは相手次第なんだから。『意外と無反応』なこともあれば、『話のネタにある』こともあるし、『そんな自分の反応に相手が慣れる』ことだってあることを、私は実体験から学んできた。
正に、今の会社での私のポジションは、そんな感じ。私の意思で選んだ会社に付随する配属先と、その上司や人間関係。上司の【読めない感情】には、『あえて何も考えずにやりたいことを自由にやっている』私。配属された以上、私にとって『仕事をする上で大切な上司だ』って気持ちは、もちろんだけど思っている。だからこそ、不安過ぎて苦しい時もあった。だけど、それも上司なりの『放置プレーのやり方』なのかもしれない。と考えるようになってからは、私のメンタルは確実に楽になった。『細かく教えてくれる上司』だけが【愛ある上司】な訳じゃなくて、『放置プレーでも、明確な指示をくれる上司』もまた、【愛ある上司】かもしれないよね。なんて今では思っている。もし、本当に何とも思われてなくても、それならそれで、『ただただ仕事のための関係で、派遣に【無関心な上司】だな』って私が思うだけ。『人間の感情ってそんなもの』って最近思う。

結論、再び要約すると、【愛されていない】って思うのは自分だけど、【本当の愛情の有無】は相手次第ってこと。だから、相手に対しての【自分の気持ちの有無】を意識すれば、きっと『自分がスッキリするよね』って話。あと、『自分にとって都合の悪い人』ってことを決めつけても、『苦しむのは結局自分だけだよね』って話。【一部分しか知らない相手】のことで自分だけが苦しむ。正に【自分の最悪な気持ちの矛先】に苦しむ事態。そんな時は、自分自身が『相手を肯定的に思えるように思考転換する』こと。またそのためにも、『相手へ向ける【自分の気持ちの有無や距離感、関係性】を整理してみる』ってのが、私が乗り越えた実体験ということで。つまりは、今回の私の持論に繋がるっていう話。

長文のお付き合い、ありがとうございました😊

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