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レコードと部屋と彼11 -マッチングアプリで3週間の本気の恋をした話-

店の外に出ると、彼は私の手を握って駅へ向かった。


これと同じような体験を、ちょうど3週間前にしたばかり。

その時も、もしかしたらそういう成り行きになるかもしれないって、会う前からうっすら思ってた。


その人と2人きりで出かけるのは初めてだった。

いつも、みんなの中でわいわい楽しく絡んで、わりと仲の良い方だったと思う。どうこうなりたいと思ってたわけじゃないけど、お互い何となく好意があるような、そういう気はしていた。


乳がんになって。

手術も終わり、薬の治療が始まり、あらゆる大変なことが一段落した後、乳がんを抱えたまま普通の生活に戻っていかなくてはならなかった。

まず、体力が思ったよりも落ちていて、しばらくは人に会ったりすることもできなかった。

少しずつ身体の調子が戻ってきたとき、次に向き合うのは心だった。

ある意味で、病気を気にしないで生きていくこと。

思ったよりも、簡単なことではなかった。

不安でたまらなかった。

病気を得て初めて、一人で生きてくのはつらい、しんどいって分かった。人生で初めて、誰かに寄り添っていて欲しい、寄りかかりたいと心底思った。でも、私のこの身体をまず人目に触れさせることができるのだろうか。

術後、親にすら見せていない、身体。

誰かに見てもらって、大丈夫だよって、言ってほしかった。



そうなるって思ってたわけじゃないけど。

とにかく、術後、寂しくて、話を聞いてほしかった。私の病気のことを知ってる誰かに会いたかった。それで、たまたまその人に連絡をしたら、時間の都合をつけて会ってくれた。

その人の新しい仕事の話、私の新しいバイトの話、手術の話、そういう話をしながら、ふとその人が言った。

「なんで俺に声かけてくれたの」

分かんない。何となく。

「正直なところ、今、すごくセックスしたいって思ってるんだけど。魅力的だもん。でも、迷ってる。一度したら、俺、冷たくなっちゃうから」

何も言わないで、やるだけやってその後冷たくあしらわれるより、いいと思った。

「好きなんだったら止めといた方がいいかも」

好きかどうかとか、よく分かんない。うん、好きかもしれない。

「とりあえずお店出たらキスするから」


みたいなやり取りを他愛なく続けていた。この後、どうなるかとかあんまり具体的に考えてなかった。

それでも、お店を出てエレベーターに乗ったところで、

「キスするって言ったでしょ」

とその人が迫ってきた。

ちょうど、別の階から人が乗り込んできて、漫画みたいな展開。

素知らぬ顔でエレベーターが1階についたらそそくさと外に出る。

駅の改札に向かい、改札を抜けたところで、その人が心を決めたように私の手を握る。

その人は私の握った手を引っ張りながら、電車に乗り込む。乗った電車は、彼の家の方ではなく、私の最寄り駅へと向かう方だった。

手を握り合ったまま、その人の肩に頭をもたせかけて、この人ならいいかなぁとぼんやり思っていた。好きとか、そういうことよりも。この人なら大丈夫かな、って。いろんな意味で。


最寄り駅でホテルを探して、宿泊料金を払って部屋へ。

ベッドに並んで座って、来ちゃったねって話をする。

ベッドに仰向けに倒れた私に、その人が話しかけながら何回かキスをする。ものすごく当たり前に。

シャワーを浴びて、ガウンを着て。

相手が私の手術のことをもう知っているから、そんなに怖くはなかった。まだ触ると痛いから、触らないでって。きれいに手術してくれたんだね、とその人は言った。



残念ながら、その日のセックスは上手くいかなかった。

それでも、その人の気持ちが嬉しかった。

私が女として、男性に認めてほしいって思っている気持ちを敏感にくみ取ってくれたんだ。

後から知ったけど、その人には付き合ってる人がいる。

だからその日限りの関係だった。

でも、愛情がなかったわけではないんだと思う。

男女の愛、というよりも、友情に近かったのではないかな。

手術をして、傷ついた女心を少しでも癒せるように。

すがってきた手を押しやることも振りほどくこともできなかったから、それが、その人なりの優しさだったんだと思う。


正直、救われた。

他人に手術の痕を見せられたということ。

相手が受け入れてくれたということ。

その事実が、この先、私をどれだけ後押ししてくれるだろう。



そして。

相手がいる人に恋をするのは、もうやめようと。改めて思わされた。


相手がいない人で、自分が好きになれる人をちゃんと探さないと。


この人との出来事も、私がマッチングアプリを始めるきっかけの一つだった。

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