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鶏を捌く「命の授業」子どもに見せたいですか(その②)

前回の記事「その①」の続きです。その②なので当たり前ですが。

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(2021年03月17日ブログより)

タイトル:逆カウントダウン

激動の年となる雰囲気を少しも感じなかった2020年初頭の1月17日。
瀬戸内町へ出発することとなるちょうど15日前から、私はこのブログを始めました。
出発のカウントダウンとして。

さて、3月末に帰京することとなる私たちには、今日からラスト2か月のカウントダウンです。
ある意味帰るための逆カウントダウン。

元通りの世界は待っていません。コロナ禍真っただ中の大都会東京のど真ん中に帰ります。
それにこの奄美を感じた後の私たち母子は、自分たちの価値観にも少し変化を感じています。
娘も、娘の友だちも1年2か月前と比較したら、いよいよ思春期の扉を開けるべく難しい年ごろになっていることは間違いないです。

息子の方はもっと単純かな。
それでも大敵コロナがいる限り、行動が制限された中での都会生活が待っているので、自由に興味を示したものをベタベタ(探求しに?)触りまくるのは止めねばならないというこちらのストレスが発生する。

それでも「1年2か月思いっきり楽しむ!」と決めてきたから帰るよ!と言い切る娘にはある意味感服してしまいます。
帰りたくない~!とごねるかな…言い出しそうだな…と思うぐらい、日々の生活をエンジョイしているので。

この1年、コロナのお陰とは言いたくないけど、嫌という程「いかに日常、無事、平穏が有難いことか」をみんながそれぞれに感じたかと思います。
我が家はそこに、奄美への離島留学のお陰で…も加わります。
そして「人生は予定どおり行かない」ということもよくわかりました。

本当はもっとワークショップも通常教室もやりたかったし、
友達にも遊びに来てもらいたかった。(1か月に1家族ぐらいくる勢いで約束していた…)
小学校の前校長先生は、娘の東京の学校の校長先生と連絡をとって、色々な情報交換をしたりしたかったとも言っていたし、
私ももっと奄美の色々なスポットに行きたかった←行けたのに、どこも閉まっているからなぁ~と億劫になっていただけかもしれないけど笑。

でもそれでも、
た~くさんのユニークな親子と友達になれ、(ユニークすぎる!笑)
子どもたちは集落の人たちに可愛がってもらい、
学校では思いっきり行事に打ち込むことができ、
ワークショップも思ったほどではないけど何度か、何種類かこなせ、
今日はラジオにも1年ぶりに出ています…この集落では聞けないけど笑!!

なんて贅沢な1年だったのだろう。
そして残りの2か月も行事とミッション(ちょっと色々と…)で週末はいっぱい。
やれることを思いっきりやって悔いなく帰ろうと思います。
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東京組の変化

「奄美にいる間に絶対遊びに行くね!!!」と言ってくれた人たちの奄美来島旅行はことごとくキャンセル・不可能になり、結局緊急事態宣言の合間合間で私の両親がそれぞれ1回ずつ、娘の幼馴染親子が1回遊びに来てくれただけ。

旦那は最初の半年後は毎回抗体検査→抗原検査→PCR検査をしながら全部で6回ぐらいは来られたかな。なんせ運動会・学習発表会、行事はすべて父なしでは乗り切れなかった!

その間娘の同級生たちは、私たちの出発当時は2年生の冬。そしてコロナ禍の休校措置を経験し、外出もままならない中で様々な変化が起こりました。

もちろんそんな調査研究は巷でたくさん行われて専門家に分析されているので、私なりの、私の周りの、私が気づいた弊害をお伝えします。

変化1:子どもたちの塾通いが早期化した

これは全国の大都市圏ですでに起きている現象でしょうが、娘の学年。なんとコロナ禍以前より不思議現象が起きていました。

通常小3の冬あたり、春期講習直前から始まると言われているお受験モードが、なんと小2の夏前に始まったのです。

あの有名著名なSから始まるお受験塾。筑駒や男子・女子御三家にはそこへの通塾が当然とされ、中学受験激戦区の我がエリアにある直近の〇〇校ではその入塾テスト受検自体がなんと小2の6月で定員オーバー。その情報を知らなかったママたちはざわつき、その事実を知っていて入塾テストに駆け込んで間に合ったママに「なんで教えてくれなかったの!」と言ったとか言わなかったとか…(本当に言った笑)。

そんな異常現象がコロナ前に起きていた学年。全国一斉休校措置、そして東京は5月末までにそれが延長された期間、いや~、駆け込むは駆け込むは。手あたり次第に名だたる塾に駆け込み入塾。猫も杓子も状態。でも塾でさえもZOOM授業となり、今度はICT機器パニック…

仕方ないですよね…家で親が見てあげるにもちょうど勉強が難しくなる3年生だったし、そもそも共働き家庭が比較的多い地域。いくら在宅勤務で家にいた親でもずっと子どもの勉強をみてあげるわけにはいかない…

そしてその1年後。見事二極化です。すっかり塾慣れして塾通いが当然でそのまま受験体制に入っていく子どもと、すでに塾嫌い(=勉強嫌い)になって淘汰されてしまった子どもたち(何をもって淘汰かは別問題!)。

なんだか生き急がされた感いっぱいの子ども時代になってしまいました。

変化2:子どもたちの運動不足が顕著となり「小太り君・小太りちゃん」が増えた

これは在宅時間の長期化が原因です。もちろん。そしてそれまでたくさんスポーツ系の習い事をしていた子どもたちも、そこにまで制限がかかったために大好きな運動もできなくなってしまいました。

娘は幼稚園の頃から(お遊び)チアリーダーチームに所属しているのですが、そのチームでさえ学校の体育館が利用できなくなったために活動停止。その後は感染予防でスタンツ(組体操のガールズ版で飛んだりポーズをとったりするやつです)が禁止。

そりゃあ小太り君も小太りちゃんも増えますよね。学校が再開されてからはようやく動くようになった~!よかった~!と親たちは喜んでいましたが、それでも最初は「氷鬼禁止」という時期もあり(タッチするから?)、本当に未知のウィルスとの闘いは、子供時代を不自由にする憎きものになっていたようです。

そんな頃に「医療崩壊」と背中合わせというリスクはあるものの、離島でそれほどの制限がなく、マスクは付けながらもカヤックをやったり、授業で海で泳いだり、運動会も普通にやっていた娘は、偶然とはいえなんてラッキーだったのか…私としては心にチクっとくる罪悪感みたいなものがありました。

変化3:子どものストレス・不安・行動変異が見えた

新型コロナウィルスが社会に及ぼした影響を3つだけにまとめるつもりは毛頭ないです。社会的に見れば貧困層の子どもたちが最も影響を受けていると言われていますし、健康被害だって障害を抱える子どもたちのことを考えればまだまだな話。あくまで私の周りの、私が体感している話に絞っている話として。

今はだいぶ解消されていますが、娘の保育園時代の同級生は休校措置中のゲーム漬けの日でリズムを崩し、去年はそのまま不登校。今年は月10日ぐらい登校できれば合格だそうです。しかも重役出勤。

マスクが嫌だ!と言って去年1年近く休んだ娘のクラスメイトもいました。今年はフェイスガードに変えて登校しています。本当にマスクが原因だったのか、他に原因があったのか…今でもわかりません。

消毒ばかりする女友達は、手がガサガサボロボロになりましたが、それでもアルコール消毒液を常にどこかにぶら下げています。今現在も。

そして昨今…とにかく暴言が酷いです。これは3年生から4年生への避けられない成長過程と片づければそれまでですが、私個人としては休校中から続いている夜な夜な行われる「フォートナイト暴言祭り」も原因の一つなのではないかと思っています。

ヘッドフォンをし、同級生とオンラインで繋がり、「死ね死ね」「マジウザい」「くたばれ」「やるぞ、お前」…なんて言葉を12時過ぎまで繰り返す子たちも少なくない。

そしてそれを学校へ持ち込み、そこに混ざっていない同級生たちに平気で吐き捨てる。言われた方はたまったものじゃありません。傷ついて泣いて帰る子もいるし、逆にそんなことを言われても実感がなくて気にしない子もいる…それもそれで怖い。

果たしてこれはコロナの影響か、それとも無関係なのか…

実際に累計死者数が1万人を超え、感染者数も65万人以上となった今、「死ね」「くたばれ」は、たとえそれが子どもたちの成長過程だとしても、簡単に見過ごしていいのでしょうか。コロナで死んでいる人を目前に「死ね」と言えるのか、自分の祖父母が重症の時に「くたばれ」と言うのか。もちろん「実際そうなったら言うわけないでしょ!」とはわかっていますが、「死ね」という言葉が肌感覚になってしまうことに恐ろしさを感じることはないのでしょうか。親たちは…

鶏を捌く「命の授業」

ようやく本題です。私が教えるリベラル・アーツのエッセイ講座ならこんな長々と本題に入らない書き方は失格ですけどね笑。

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そんな「ストレスと行動変容」が東京の仲間たちに起きていた頃、我々親子は先述の桃源郷施設で「命」を感じながら時を過ごしていました。

ヤギの命。鶏の命。合鴨の命。何十年も聳え立つ学校の象徴だった大木ガジュマル、自生する月桂樹の葉、花、鳥…そして危険な蛇・ハブから我々親子が大嫌いなヤモリや、目に見えない微生物に至るまで!生命の宝石箱です。

そう、生態系。生きるという字がそれを表す、地球を繋ぎ私たち人間を活かしてくれる「生態系」。私たちは空気、水、食物、医薬品などまでも、様々な生物多様性の恵みを受け取っています。

東京で同級生たちが「死ね」「くたばれ」と叫びながらオンラインゲームをしている一方で、そこには「生命」がうごめいていた。それをとても有難いことだなとはわかっていました。なんとなくですが。でもその価値をつくづく感じることができたのが、この鶏を捌く「命の授業」のお陰だったのです。

その③につづきます。本当に長くなりそう…困った。

KYHR/SLA

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