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【ショートショート】 坂道の先の未来

 通学路に、少し勾配のきつい下り坂がある。

 その坂の先に十字路があって、そこを通り過ぎた先で右に曲がると、私の通う学校が見える。

 何てことはない、いつもの道。
 その日は、私には珍しく早起きをして気まぐれに早く家を出たので、通学路に同じ制服の人間はほぼいなかった。

 通い慣れた道なのに、目に入る景色が少し違うだけで異世界のように見えて、不思議な気持ちになる。そんなことを考えながら、ゆっくりと自転車をこぐ。

 ──そんな私の横を、赤い自転車がものすごいスピードで通り過ぎていった。

 それなりのスピードで坂道に突っ込み、そのまま下っていく。減速したような様子は、全くない。そのまま下りきって、大胆に右手に曲がっていく背中を見つめる。

 全校朝礼でも、度々この十字路は気をつけるように言われているし、何なら毎朝誰かしら先生が立っているくらいの場所だ。

 あの制服は、間違いなくうちの制服だった。
 風にはためく夏服と、真っ黒なロングヘアの残像だけが、やたらと記憶に焼き付いて残る。

「…あぶな…」

 胸の内が思わず口に出る。あの勢いで行って、もし十字路に車が来ていたら間違いなく事故になっていたと思う。

 何をそんなに急ぐことがあったのだろうと、驚きながら時計を見る。時間は七時半過ぎ。教室で朝の点呼があるのは八時半だから、何か部活動でもしている人なのだろうか…。

 取り留めのないことを思いながら、のんびり坂道を下り学校へ向かう。

 人のいない朝の、独特なしんとした空気を吸いながら校門をくぐり、何となく非日常を感じて高揚する。
 早起きもたまにはいいかもしれない。そう言えば、来週が提出日でまた終わってない課題があったな。時間はあるし、やってみるか。

 そんなことを考えながら、ほの暗い廊下を進み、ガラリと教室の後ろ扉を開ける。

「えっ」

 教室の隅っこに人影を見て、誰もいないと油断していた私は思わず声が出てしまった。一番窓側の一番前の席…あれ、あの人の名前何だっけ…。

 驚きのあまり教室の入り口で立ち止まり、ぐるぐる一人で考える私を気にした様子もなく、彼女は席に座って外を眺めていた。

 彼女越しに見えるグラウンドには、何部かわからないけれどランニングをしている人が見える。

 もう夏も終わるというのに、まだクラスメイトの名前を把握していないというところに、少々の罪悪感を抱く。

 とはいえ接点がないからそうなったのであり、取り立てて挨拶をするほどの仲でもないしという、何とも言えない居心地の悪さも抱えながら、廊下側の自分の席に静かに向かう。

 彼女は一切こちらを見ない。気にしている様子もない。
 相互に干渉しない二人のまま、朝の教室に浸る。

 それが、彼女を認識した初めての日になった。


▪︎


 その日から、私はときどき早起きをして学校に行くようになった。

 深い意味はない。ただの気まぐれだ。

 私の登校時間はバラバラだったけれど、どうやら彼女は一定して八時前には教室にいるようだった。

 ほぼ毎朝、教室に二人きりになっていたが、特に仲良くなるなんてこともなかった。お互い「朝の時間」に干渉しないのは暗黙の了解になっていたように思う。

 位置で言うと、私の方が教室後方の席なので、自分の席につくと彼女は自然と視界に入る。

 彼女は大抵、窓の外を眺めていた。たまに本を読んだり、寝ていたりということもあった。

 存在を認識して以降、それとなく気にしてみたけれど、教室での彼女は基本的にいつも一人だったし、それを苦にしている様子もなかった。変わった人なんだなと、思った。

 あの日から、何か変化したことと言えば、彼女の名前は森野であると知ったこと、そしてたまに教室で目が合うようになったことくらいだろうか。

 本当に、それ以上でも以下でもない。友人というには遠く、知り合いというには曖昧。せいぜい「クラスメイト」くらいがしっくりくる関係だった。


 そんな中でも、ゆっくりそして着実に季節は移り変わる。

 ふと朝方の暑さがマシになっていると気がつき、秋の気配を自覚し始めた頃、久々に八時前よりさらに早い時間に登校することにした。

 七時半過ぎ。
 もう少しであの坂道というところで、背後から追い抜かしていく自転車を見た。

 あの、いつかの赤い自転車だった。
 ブレーキをかけずに、躊躇せず十字路に向かって突き進んでいく。

 あのときはわからなかったけれど、今なら、その姿が見知ったものだと認識できた。あの背中。あの、ロングヘア。

 あれは、森野だ。

 知った存在となると、一気に肝が冷える。
 本当に一切の迷いなく、彼女はブレーキに手をかけずに十字路に突っ込んでいく。見ている私の心音が速くなる。

 …無事に右折する赤い自転車を見送り、はあと息を吐いてはじめて、自分が息を止めて森野を見守っていたことに気がつく。

 気づいてすぐ、私は自転車のペダルをめいっぱい踏み込んで、森野の後を追いかけた。


▪︎


 教室に行くと、いつものように彼女はしれっと自分の席に座っていた。

「ねえ」

 これまで興味はあっても、一度たりとて超えたことのなかった一本のラインを、私は超えた。

「なあに」
 森野は振り向かない。窓の外を眺めたまま、返事をする。ほぼ初めて聞く森野の声。

「何で、あんな危ないことするの」
「危ないことって?」
「ブレーキ。何で、かけないであんなふうに坂道下るの」
「いつもそうしてるから」

 何でという問いに、いまいち噛み合わない返事が来て、私は面くらい言葉に迷う。

「私、毎朝賭けをしてるの」

 こちらの反応を気にも留めず、彼女は続ける。

「二年になってから、ずっと何かつまんないなーって思ってて。それで毎朝、生きるか死ぬかの運試ししようって思って。二年になってから、ずっとあの坂道をノンストップで下ってるの」

 あの時間なら人が少ないし、先生とかもいないし。特にそれ以上の理由なんてないよとまで言って、やっと森野は振り向く。初めてきちんと彼女の顔を見た。

「…怖くないの」
「特にいま目標もないし、それで言うと」言葉を区切って、彼女は私の目を見る。

「このまま、生き続けていく方が怖い」

 ──何もかも、想定していないものばかり渡されて、私はすっかり黙ってしまう。そんな私に、落ち着いた口調で森野は話し続ける。

「家の事情とかいろいろあるから、進学とか何かもう本当にちゃんと考えなきゃだし。この年だと、働くのも何かと制約あるし、とりあえずまあ高校は出とこうかなとだけは思ってるけど」

 森野の言葉は、はっきり言わないまでも相応の含みがあり重さがあった。
 お気楽な私の人生には無縁な、想像できないような煩雑な道を彼女は生きているのだと薄ぼんやり知った。…でも、それでも。

「私、よくわかんないけど、うまく言えないけど。…森野さんが事故に遭うようなことがあったら嫌だなとは思う」

 少しだけ驚いたように瞬きをして見せ、それをスッと取り去って自嘲気味に森野は笑う。

「よくわかんないのに?」

「うん。よくわかんないけど。今日こうして、話しちゃったし。知らなかったあなたのこと、知っちゃったし」

 森野は、じっと私を見ている。頭の真ん中が熱くなって、うまく考えがまとまらない。

「知った以上、少しでも関わった以上、森野さんは私の人生の登場人物になったから。事故に遭ったり、いなくなったりしたら、私はショックを受けると思う。だから…」

 私は何を言いたいんだろう。止める権利なんてない、多分。所詮ただのクラスメイトだ。何もうまくまとまらない。頭の中に浮かんだ言葉を、そのまま掴んで口から出した。

「ねえ、友達になろうよ」

 私の言葉の続きを待っていた森野は、え?と拍子抜けしたような顔をして見せ、そのままふふっと笑った。そんな顔をして笑うのかと思いつつ、彼女の笑い声に釣られて私も笑う。

「何、じゃあ一緒に毎朝あんたも『賭け』をしてくれるの」

 森野は、試すような物の言い方で笑いながら、言う。

「それは、しない。私は死ぬのも痛いのも、怖いから。その代わり」

 私は、真っ直ぐ森野の顔を見て静かに、言う。

「一緒に考えたり、悩んだりすることは、できるよ」


 ──卒業式の帰り道、「あの日」の話しを笑いながらする森野に、うるさいなと文句を言いつつ、二人で笑い合ったのは、また別なお話し。


(3365文字)


=自分用メモ=
死ぬより生きる方がつらい。そんな日も生きていたらきっとある。それでも、そのつらさを分け合える人がいたら、晒し合える人がいたら、あるいは。私の人生の登場人物一覧より、「いろんな人」の顔を思い浮かべながら書いた。
リフレインの癖は相変わらず。3000字超なので、いつもより少し長め。

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