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【エッセイ】想像の上限を更新し続ける
ああ、ここから私はどこに向かっていこうかな。
目指す方向は、こっちであっているのかな。
ふとした瞬間、そういう気持ちに駆られる瞬間があるのは、きっと私だけではないはずだ。
特に、ゴールの見えない道を走っているときほど、そういう気持ちになる。
そんなとき、考えることのお話。
何で見たのか、どこで聞いたのか覚えていないのだが、「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という言葉が、時折強く私の背を押してきた。
改めて調べてみると、「ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ」というフランスの小説家の言葉らしい。
人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。
(Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables)
原文などは、上記の通り。
さらに詳細を追ってみる。
この表現はヴェルヌの作品中にはなく、アロット・ド・ラ・フュイの伝記では、『海底二万里』執筆中のヴェルヌが父親に宛てた手紙の一節ということになっている(Allotte de la Fuye, Jules Verne : sa vie et son oeuvre, Paris, Kra, 1928, p.162)。「先日、本当とは思えないようなことが思い浮かぶと書いた。でも、そうじゃないんだ。人に想像できることはすべて、ほかの人が実現できるんだよ」この手紙は実物が発見されていない。
また『蒸気で動く家』には「可能性の範囲内にあることはすべて実現されるべきだし、きっと実現される[注釈 1]」という台詞があり、ディズニーランドパリの園内で引用されている。
海底2万マイル云々が関わる辺りから、何となく察していたがディズニーに接点があったようだ。
ということは、私がこの言葉を知ったきっかけは、ディズニー関係だったのだろうか。あまり明確な記憶はない。
いずれにせよ、私には「なるほどな」と印象に残り、今でも何となく心の隅で光り続けている言葉なのだ。
「想像できることは、必ず実現できる。」…なんて力のある言葉なのだろう。
明日の自分は、こうなっていたい。
来年の自分は、あれができるようになりたい。
二年後…五年後…果てなく続く、未来への想像。
思い描く未来が、自分で想像できるものなのであれば、実現できることは際限なく広がることになる。
本来、想像という言葉の意味は「実際に知覚に与えられていない物事を、心の中に思い浮かべること」だ。
ただ、当たり前なことだけれど、何でも思い浮かべるだけで実現できるはずはない。
ヴェルヌの言葉の真意は、きっともっと深い。
想像の限りを、張り巡らす。
これをするには何が必要か、どこへ行くべきか、そこで何をしたらいいのか。
そういう細部まで想像できて、具体的に思い描けて初めて「実現できる」ということなのだと思う。
では、その「想像力」はどこで得たらいいのか。
自分で、学んでいくしかないわけだ。
例えば、「空を飛ぶ自分」を実現させるには、どのように飛ぶ自分が想像できるのか。
大きな翼を背負っている自分を想像するなら、より具体的に「どんな形状の翼か」とか「どんな素材できているのか」とか…そういう細部に至るまで、想像できるくらいになれば、それはもう「実現可能と言える」。
想像力は、豊かな方がいい。
豊かであればあるほど、いろんな形状の翼が思い浮かぶはずだ。いろんな素材が思いつくはずだ。
それらのどこかに、きっと「空を飛ぶ自分」を実現させられる答えがある。
そういうことを、言わんとしているのではないかと考えた。
想像の上限を、日々更新していくことで、想像の翼はどこまでも広がる。
想像しうることは、可能性のタネとも言えるだろう。
だからこそ私は、日々いろんなことをこれからも想像していこうと思う。
…想像の中でなら、簡単に某芸人さんのような翼を生やすことだってできちゃうわけだ!
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未来の自分をどんどんパワーアップさせて、そこに近づくための手段を想像力を尽くして追いかけていきたい!
(ZAZYさん、私は結構すきです。念のため)
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