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【ショートショート】 さくら色のマグカップ

 その日は何だかまっすぐ帰る気になれなくて、私は駅前のコーヒーチェーン店の前で足を止めた。一瞬迷ったけど、普段そんな気になることは滅多にないなと思い直し、これもタイミングとそのまま店に入った。

 自動ドアが開くと同時に、ふわりと感じるコーヒーの香り。コーヒーに特にこだわりを持つことなく、インスタントで済ませてしまうような私にとって、チェーン店のコーヒーショップでも十分満足できるような「空間の匂い」だった。
 そのまま店内をぐるりと見渡してみる。ショップオリジナルのマグカップや、コーヒー豆、インスタントコーヒーの袋などが大きな棚に所狭しと並べられている。へえ、こんな感じなんだと思いながら、あまりキョロキョロして不審に思われないようにそっと棚の前を歩いて注文口の札が下がっているレジに向かう。その途中、棚にかわいいなと思ったマグカップを見かけたのだけど、何となく手に取る勇気が出ずそのまま前を通過…うっ、気になる…。

 レジの前に立つと、レジスペース内で別な仕事をしていたらしい店員さんが気付き、声をかけてくれた。「いらっしゃいませ、店内でお過ごしですか?」
 あっ、はいと慌てて返事をし、謎にドキマギしながらレジに綺麗に並べられたメニューを覗く。何やら見慣れないカタカナのメニューがずらりと並んでいる…ややこしいことを考えるのが億劫になって、「ブレンドをください」と言ってしまう。甘いものを飲みたい気分だったのに!これだから私は…!と悶々としているところで、店員さんが言葉を続ける。
「承知しました、サイズはいかがいたしましょう?」
「サイズ…、ふ、普通のやつで」
「はい、ミディアムで。ご一緒にお食事はいかがですか?」
「食事…?」うっかりした、そうか食べ物を頼むこともできるのか!横のガラスケースを見やると、いくつかケーキやサンドイッチが並んでいる。夕食の都合もあるけれど、せっかくなら小腹も空いているし何か食べてみようかな。と、いうことで一番はじめに目に入ったミルクレープを頼んでみることにした。
 はい!と明るい返事をして、店員さんは手際よくコーヒーカップを何かしらの機械にセットしてから、ケーキをお皿に取り、フォークとおしぼりを添えてトレイにセットしてくれる。

 お会計をして、「右手の受け取り口でお待ちください」の言葉に促され、コーヒーを受け取りに移動する。手元のトレイにある、蜂蜜か何かがコーティングされているらしい、ツヤツヤとしたミルクレープを見ると何となく気分が上がる。そのまま待ち構えていたレジとは別の店員さんから、湯気の立ったあたたかいコーヒーを受け取り店内奥へ進む。

 店内はそれなりに混んでいて、学校帰りの学生さんや忙しそうにパソコンを叩いているサラリーマン、買い物帰りの休憩中らしいお年寄りなど、客層も幅広かった。とりあえず、手近なところで空いている席を見つけ、コーヒーなどが乗ったトレイを置いて、荷物を下ろして座る。
 何となくソワソワしながら手を拭いて、ミルクレープの周りについているビニールを取り、コーヒーにミルクを注ぐ。ミルクレープがあるので、砂糖入れないことにした。

 しばらくゆったりした気持ちでミルクレープやコーヒーを味わい、ふと横を気にすると、隣の席にいたのは男子高校生二人組だった。

「とりあえず、卒業式までもう時間はないわけよ」
「そうだよな」
「後悔はしたくないだろ、人生一度きりだぞ」
「まあ、な」
 聞き耳を立てるつもりはないのだが、聞くともなく聞こえてくる話しを聞いてしまう。そうか、もう卒業シーズンか。

「俺も告るから、お前も頑張れよ」
「えっ」
「何」
「お前も告るの?」
「…うん」
 甘酸っぱい青春のやり取りに目を細めながら、少し冷めたコーヒーを口に運ぶ。歳を取るとはこういうことか…。

「俺、第二ボタンくれって言ってみるつもりだよ」
「…そうか」
「それでどうなりたいとかは、別に今考えてない。でもあいつ大学のためにこの辺離れるって言ってたし、俺は俺で自分の気持ちに整理をつけるために、自分の気持ちだけ言っておこうかなって」
「…うん」
「な。俺も頑張るから、お前もユリカに告ってみろよ」
「…でも」
「でもじゃねえよ。好きなものを好きだと思う気持ちは大切にした方が良いって言ってくれたのはお前だろ」
「…」
「お互い悔いなく生きようぜ」
「…そうだよなあ」
「まあ、俺の場合は答えとか聞くまでもないんだけどな」こないだも女子に呼び出されてたし…、と彼らのやりとりは続く。

 私はそっと、それ以上は意図して聞かないように、窓の外に目線をやってカップに残っていたコーヒーをゴクリと飲み干す。

 世の中には、いろんな気持ちがある。
 いろんな好きが、ある。
 いろんな想いが渦巻いて、絡まってこんがらがって、そして解けて、一つの糸となる。そんな糸を縒り合わせて、自分を織りあげ編み上げていく。そういう、ものだったなということを、不意に思い出して、深呼吸をする。
 ラストひと口、残しておいたミルクレープを口に放り込んで、真剣に話し込む彼らに心の中で頭を下げて席を立った。

 帰り際、先ほど勇気が出なくて素通りした棚の前で、自然と足を止める。かわいいなと思ったマグカップを手に取ってみる。やはり、かわいい。
 先ほどの高校生の言葉を反芻する。『好きなものを好きだという気持ちは大切にした方が良い』なるほど、そうだよなあ。自分の気持ちは自分しかわかってやれない。大切にできるのは自分だけだ。よし。

 意を決して、かわいらしいピンクのマグカップを手にした一人のおじさんが、そこにはいた。


(2281文字)


=自分用メモ=
老若男女、好きなものを好きだと素直にいうのに勇気が必要な人は一定数いるはず。かくいう自分も、そうだ。それでも自分の中の声に耳を傾けられるのは、自分しかいない。そんなぐるぐるした気持ちを、そっと肯定する話しが書きたくて、これを書いた。

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