【ショートショート】 春の魔物
「この世界は魔物だらけだ!」
不意にマコトが声を上げる。まあいつものことだ。
「聞いてる?」
触らぬ神に祟りなしと、そっとしておこうとしたのがバレたと見えて、マコトはわざわざ振り返って私の顔を見る。
「聞いてない」
「聞いてよ!聞いてるくせに!」
もう言ってることが無茶苦茶だが、こんなのはいつものことである。
「魔物だらけなんだよ、私の周りは!」
だって絶対捨ててないのに、どこにもないんだもん!と、30分ほど探しているプリントがまだみつからないらしく、がばりと机に突っ伏してやいやい嘆き出した。こんな光景も、いつものこと。3年目ともなると、受け流すのも慣れたものだ。
「何で書いてすぐ提出しなかったのよ」
「もう少し真剣に熱量を示した方がいいと思ったんだもん!」
マコトはさっきから、進路希望調査票なるものを探している。先ほどの授業で、「現時点で良いから、希望を書いて提出するように」と担任に言われたものだ。
「もう少し真剣にってどういうこと?何て書いたの」
机に伏せて、こっちを見ることもしないままマコトは小さく答える。
「スーパーモデル?」
想定外の返事に、私は思わずはあ、と半笑いでため息をついてしまった。
「…そんで、それを書いた紙を無くしたって騒いでんの?」
「魔物が無くした。私は悪くない」
「もう諦めて担任にもらい直しておいでよ」
「いやだよ」
「なんで」
相変わらず突っ伏したまま、頭だけぐるりと動かしてマコトは私の方を見た。
「だって、笑われるから」
「えっ」
半笑いを引っ込めきれず、中途半端な表情でマコトの視線を受け止める。
「私、何をしても笑われるから。馬鹿にされるから」
「…」
こういう場合、何て答えるのが正解なのだろう。笑ってごめんという謝罪?そんなことないよという、適当な相槌…?
一瞬の間にぐるぐると頭を巡らせたが、正解だと思える答えは見つからず私は黙った。マコトは顔をこちらに向けたまま、窓際に座る私を通り越して、窓の外を見ている。
不意に風が、ぶわっと教室に吹き込む。カーテンがぶわっと広がって、教室にぶわっと桜の花びらが舞い込む。
「…きれい」
ゆっくり瞬きをしながら、マコトが言う。
「そうだね」
成り立てホヤホヤな、高校3年生の、春の放課後。
「いいなあ、レイちゃんは」
「…何が」
「ふふっ。何もかもが、いい」
どうやらマコトは気を悪くしたわけではなさそうだ。少しホッとして、何それ。と返す。何となく困った気持ちを抱えたまま、私は私で、適当に書いた進路希望調査票を眺める。家から通える範囲で、自分の学力に無理のない無難な大学。
「私たち、気がついたら高校3年生だって」
「そうね」
「早いね」
「うん」
音楽室から、誰かが弾いているピアノの音が聞こえる。
「進路とか、未来とか将来とか、どうしようね」
「いや、本当にね」
「レイちゃん、何かないの?夢とか、興味のある仕事とか」
「ないわけじゃないけど」
「そうかあ、じゃあもうプリント提出できるね」
適当に行けそうな大学を書いた、となぜか私はそのとき言えなかった。
「いいなあレイちゃん」
「何なのさっきから…」
何も羨まれるようなことなんてない。むしろ私は夢を堂々と語れるマコトが羨ましかった。
ふふっと、こっちの気を知ってか知らずか、マコトは楽しそうに笑う。
またぶわっと風が吹いて、教室に桜の花びらが舞い込む。
気がつくと私は、適当なことを書いた進路希望調査票を破っていた。細かく細かく破って、机に紙吹雪が生まれる。マコトは何も言わず、そっと薄目を開けてそれを見守る。
風が、吹く。
桜の花びらに混じって、紙吹雪が教室に舞う。
「きれい」
「そうだね」数分前の会話を、私たちは繰り返す。
「一緒に、新しいプリントもらいにいこうか」
私は教室に、たくさんの花びらを撒き終えてから、マコトにそう言った。
「やっぱり、いいなあレイちゃんは」
くすくすと楽しそうにマコトは笑う。
「私は素直に無くしたって言うけど、レイちゃんは何て言ってもらうの?」
私は、ニヤリと笑って
「春の魔物に食べられましたって、言う」
はは!と嬉しそうに、マコトは声を上げた。
そしてそのまま席を立ち、教室の出口へ向かう「彼」の背中を見る。去年の春には179になったと言っていたことを思い出した。細身だし身長はまだ伸びているとも言っていた。友達の贔屓目にみても、モデルは案外向いているかもしれない。
2年前、私のスカートを羨んでいたマコトをふと思い出しながら、私は、新しくもらうプリントに、素直に夢を書いてみようと決めた。
(1859文字)
=自分用メモ=
春先には、魔物がたくさん出る。環境の変化が大きく、それに伴って気持ちの変化も大きい。そんな中、少しでも気持ちが上向きになるようなストーリーに「魔物」を乗せられたらいいなと思って、これを書いた。
マコトの「生物学的な性別」をどこまで明らかにするかだけ、少し悩んだ。
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