【ショートショート】 煙、くゆる今
それは、よく晴れた6月の終わりのことだった。
元気だったじいちゃんが、本当に何の前触れもなく亡くなった。
ピンピンポクリとは、まさにこのことと大人たちは泣きながらも、大往生だと頷き合っていた。
おかげでかなり久しぶりに、いとこのたっくんこと、タクミくんに会えることとなり、不謹慎かなと思いながらも僕は少し嬉しかった。
そして何より、学校に行かない「正当な理由」を得た気もして、後ろめたさがない分、いつもよりずっと心が軽かった。
たっくんは僕よりいくつか年上で、今年大学を卒業するらしい。細かいことはあまり覚えていない。
何年か前にたっくん一家が引っ越すまで、僕たちは近所に住んでいたのでよく遊んでいた。
サッカー、野球、缶蹴り、鬼ごっこ、ドロケイ…たっくんの友達も近所にいたので、お兄さんたちに紛れて毎日毎日一緒に遊んでもらったのだ。
チビな僕は何をして遊ぶにも邪魔だったはずなのに、今思い出しても楽しかったなと思えるくらい、特別ルールでハンデをもらい、よく遊んでもらった。
小さい頃は年の差なんて気にしたことなかったけれど、さすがに大学生と高校生の差はでかい。
久々に会うたっくんは、ヒゲを生やしてまるで知らない人みたいな見た目になっていて、僕はすっかり萎縮してしまった。
前みたいに「たっくん」と話しかけることができず、タイミングを伺いながらとりあえず、ずっとたっくんの近くをうろうろしていたのである。
あまりにたっくんが、僕のことを気にする様子が見えなくて、話してみたいけどもう忘れられているのかもしれないと思い始めたころ、そのタイミングは訪れた。
いろいろな準備に大人たちが奔走するなか、食事をとる間の線香番を、先に食べた僕とたっくんが引き受けることになったのだ。
二人は、とりあえずだだっ広くて線香の香りが立ち込める部屋に座る。
静かすぎて、何だかとても気まずい。じいちゃんの遺影を眺めながら、時間が過ぎるのを待つ…。
「俺さあ」
不意に、ずっと黙ったままだったたっくんが口を開いた。そのまま、僕の返事を待たずに言葉を続ける。
「昔から、水泳の選手になりたかったんだよね」
何の話しか、全く見えなくて手探りでとりあえず思ったことを述べる。
「…初めて聞いた」
だって初めて言ったもんと彼は笑う。その笑顔にかつてのたっくんを見つけて、僕は安堵し何だか嬉しくなった。
「でな。あるじゃん、駅前に温水プールが。あそこにずっと通ってたんだよ」
「…それは知ってた。たっくん毎週金曜は遊べなかったから」どきどきしながら、それでもそれがバレないように努めて冷静に返事をする。
「よく覚えてるなあ!そうそう。あのときまだこの辺に住んでたもんな」
うんうんと頷きながら、たっくんは話を続ける。
「俺、泳ぐことが好きでさあ。どうしたら速く泳げるかばっか考えて、筋トレもかなりしたし、前回より0.01秒でも泳げるようになりたくて、結構ガチってたんだよね」
「うん」
「でさ、まあ地区代表に選ばれたり、その先の県代表に選ばれたりもしてたわけよ」
「すごい!」
「だろ」
口の端を片方だけ持ち上げて、得意げにニヤリと笑って見せる。
「でもあるとき、ちょっとチャリで事故ってさ。大した怪我ではなかったけど、一応手術が必要な感じではあって、術後のリハビリもかなり頑張ったけど、もう一番良かったときには戻れないなって、感じる瞬間がきたんだ」
「…うん」
僕は何となく、話し出してからずっとたっくんの顔を見ることは見れずにいる。手持ち無沙汰に、膝の上に置いた手をモゾモゾと動かす。
「で、ずーっと腐って、大学もわりとサボりながら過ごしてたんだよ。辞めるかどうかとかもちょっと考えたけど、まあ、何つーか、プライドとかもあって中退ってのは自分的にナシだなーってダラダラやってたわけ」
「うん」
「そしたら、ある日じーちゃんに呼び出されたんだよ。ちょっと顔見せにこいよって」
「うん」
「そんなこと、これまで言われたことなかったから、びっくりしてさ。まあ多分だけど、母さんとかがじいちゃんに愚痴って、お呼び出しになったんだと思うんだよな」
「うん、うん」
「まあ、直々に呼び出されたらもう行くしかないなっつーわけで、行ったんだけど」
たっくんはそこで、少し息を吸う。
「顔見せに行ったら、何も言わずに『よお!』っていつもみたいにニヤって笑ってさ。怪我のことも大学のことも、何も聞かずに『まあここに座れよ』って、じーちゃんの横に座らされて」
線香の煙は、ゆらりゆらりと灰色の線を描き続ける。何となく、落ち着く香りだなと思う。
「昔みたいに一緒に野球観て、じーちゃんが本棚に隠してた、かったい煎餅出してきて食べてさ。うわー子どものときに、似たようなことした気がする!ってエモいことを、ただただ普通にしてきたんだよ」
「うん」
「俺、何かよくわかんないけど、煎餅食べながら泣けてきてさあ。人生で初めて、泣きながら煎餅を食べるってことをしたわけよ」
「…うん」
「別に何を言われた訳でもないし、何かしてもらった訳でもない。強いていうなら、煎餅もう一枚くれたくらいで。ただそれだけなんだけどさ。俺、今じーちゃんの遺影見ながら、あの日のこと思い出してた」
そこまで言うと、たっくんは僕の方を向いた。視線を横面に感じつつ、どんな表情で目を合わせたら良いのか分からず、ゴソゴソと無闇に座り直してみる。
「…俺は、そのままでいいと思うぜ」
ハッとして、たっくんの顔を見る。今日、初めて目があった。
「学校に行っても行かなくても、したいことがあってもなくても。…何つか、俺バカだから、何もいいこと言えないけど」
そこまで言って、バリバリと頭を掻きながら、たっくんはまたニヤリと笑って見せた。誰かに似ていると思った瞬間、じいちゃんの顔が思い浮かんだ。
「まあ、俺でよければ、一緒に煎餅くらいなら食えるよ」
「…うん」
僕は、そのとき改めて「じいちゃんの孫でよかったな」と思った。
線香の煙は、ゆっくりと現実に線を引き続ける。
何かが大きく変わったなんて都合のいいことはないと思うけれど、少しだけ…ほんの少しだけ明日からまた何かやれる気が、した。
(2529文字)
=自分用メモ=
大往生とはいえ、身内が亡くなることはとんでもなくつらい。ただ、それでも「生きている側」は、着実に今を生き続けていく。どれだけ悲しもうと、実感が無かろうと何だろうと。そんな瞬間を、切り取ってみた。人生の選択肢なんて、いくらでも、ある。誰か一人でも、寄り添う存在があれば、どこへでもどこまででも歩いていけると、思う。
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