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【ショートショート】 秘密の「仕組み」

 あまり人が来ない、校舎の南館。

 4階にひっそりある非常階段。
 屋上に繋がる、唯一の階段だ。

 学校の中で、空に一番近い場所へ繋がる鉄製の重い扉は、安全上の問題とやらでしっかりと鍵が掛けられている。確かに、しっかり掛けられているように見える…パッと見た感じは。

 実のところ鍵は壊れていて、屋上に出ることは難しくない。見た目は立派な錠前が付いているものだから、これは開けようとした者しか気が付かない「仕組み」だ。
 大人たちは多分、みんな気づいていない。仕事をしていない見せかけだけの鍵一つが、俺たちを守っていると信じている。

 うまく言えないけれど、「ざまあ見やがれ」という気持ちになって気味がいい。

 どんなことにだって、やってみた者だけが知る秘密がある。

 別に、危ないことがしたいわけじゃないし、誰かを危ない目に遭わせるようなつもりもない。高いところが特別好きなわけでも、いわゆる「悪いことをしている」という刺激を楽しんでいるつもりもない。

 ただ、俺は「自分が試したことで気がついた事実」を味わうために、ときどきこの屋上へ続く扉を開ける。

 そんなわけで、今日は何となくその気になって、チャイムが鳴った瞬間に急いで昼飯のコンビニおにぎりが入ったビニール袋を掴み、俺は例の階段を目指した。

 校舎の端にあるそこは、人が通ることはほぼない。
 しかし、それゆえ逆に目立つとも言える。あまりに人がいないため、「そこにいる理由」が説明しにくいからだ。

 よくよく周囲の様子を伺う。できることなら、あの「仕組み」は誰にも、気づかれたくない。
 廊下に誰もいないことをよく確認して、屋上へ繋がる階段を駆け上がり、錠前に手を伸ばす。

 そこでいつもと違う様子に、気がつく。

 …鍵が、開いている。
 こんなこと、俺がこの鍵のことを知ってから半年近くの間、一度もなかった。初めてのことだった。

 扉を、開けるか。このまま、帰るか。

 初めてのことにどきまぎはしたものの、そりゃあ他に気づく奴がいてもおかしくはないよな、と思う。先客の邪魔をしたいわけでもないけれど、でも俺も屋上に用事があるわけで。左手で、クシャリとビニール袋を握り直す。

 束の間迷ったけれど、「どんな奴がいるのか」という好奇心も相まって、俺は小さく深呼吸をして扉を開けた。

 俺の両脇を、風がごおっと音を立てて通り抜けていく。外界は思ったより眩しくて、目を細める。

 何となく、いつもよりそおっと扉を押し、屋上に足を踏み入れる。そしてそのままゆっくり、音を立てないように扉を閉めた。

 これで、屋上は「誰か」と「俺」だけの場所になった。そんなことを、思う。

 足音を立てないようにそっと進み、屋上全体が見えるくらいの場所に立ち、ぐるりと周囲を見渡してみる。…「誰か」は、どこだ?

 ──視界の隅で何かが動く。
 ハッとしてそちらに目を向けると、欄干にもたれて校庭を眺めている女子がいた。

 屋上をゆく強い風に煽られて、長い髪が舞う。俺の視界で動いたのは、その髪の毛だった。

 彼女は、じっと外を眺めたまま動かない。いや、屋上はすでに外なんだけど、そうじゃなくて…なんてどうでもいいことを思い足しつつ、さてどうしようかと考える。

 一人でぼんやり世の中を眺めたい日があることを、俺は知っている。

 それの邪魔をしたいわけではないけれど、俺自身にもそんな日はあって、それが今日だった。
 それならばそれで、俺は、俺のしたいことをしようという結論に至った。

 そのまま、彼女の背中がみえるギリギリの場所に腰をかけ、ビニール袋を広げる。

 もし、彼女がうっかり・・・・遠くへ行きそうなら、この距離くらいであれば、全力で走ったら間に合うかななんて冷静に考えつつ、おにぎりのパッケージを破る。

 それにしても今日は、いつもに増して風が強い。ゴミが飛んでしまわないように気を付ける必要があったけど、それでも天気はいいので気分がいい。

 パリリとした海苔ごと、おにぎりを頬張る。

 視界の隅っこに、誰とも知らない女子の背中を入れつつ、俺は俺の平常を生きる。明太子は今日も美味い…。

 のんびりと、二つ目のおにぎりに手を伸ばしたとき、突然「彼女」がこちらを振り返った。

 俺の姿を見た「彼女」の肩が、びくりと跳ねた。
 そりゃそうだ、誰もいないと思っていたところに人がいたら、普通驚く。驚かせて申し訳ないなと、少しだけ反省した。

 「彼女」はこちらを向いて、しばらくどうしようか迷っているようだった。

 俺も片手に焼き鮭のおにぎりを持ったまま、どうしたものかと見つめ返す。
 この場合、俺から話しかけた方が良いのだろうか。

 少しして、意を決したように、「彼女」はこちらに歩いてきた。…ときどき、頬を拭いながら。なるほど、あまり見られたくないだろう場面を見てしまったらしい。

 ──そして、「彼女」は「彼」だった。

 すらりと背の高い「彼」は、座ったままの俺を見下ろして「昼ごはん?」と問うてきた。近くに立つと、思ったより随分大きい。見上げるその目に、もう涙は見えない。

「うん」
「いつもここで食べてるの?」
「いや、たまに」
「よくここに来るの?」
「…いや、たまに」
「そう」静かにそう言って、「彼」はすんと鼻を啜った。

 強い風が、俺たちの間にどっと吹く。

「金曜日は来ない方が良いよ、見回りの先生がうろついているからね」
「そうなんだ、知らなかった。気をつけるよ」
「うん、そうして」

 「彼」は綺麗に笑って、「お邪魔しました」と俺に述べ、そのままゆっくり屋上の出入り口に向かって行った。

 あの人がこの世界を生き抜くためにも、屋上への入り口の「仕組み」は絶対に守らなくてはいけないなと、その背中を見て思った。

 あの人があの錠前を初めて開けてみようとしたとき、いったいどんなことを考えていたのだろうと興味を持った。

 その後、いつもよりゆっくり焼き鮭のおにぎりを食べた。
 風に吹かれながら、いつもよりいろんなことを、考えた。

 もしあの人に次会うことがあれば、もう少し話しをしてみたいと思った。


(2475文字)


=自分用メモ=
生きる上で、必要な場所がある。特に、学校のような決め事の多い四角い空間では。それは図書館だったり保健室だったり、校舎の隅だったり、部室だったり…。そういうことを思い出しながら書いた。
ちなみに私は、高校生だったとき屋上に登ったことがある。人があまり足を踏み入れない場所に座って、スカートがひどく汚れたことと、そこで風に撒き散らした細かくちぎったプリントが綺麗だったことだけは、よく覚えている。まるで青春。
なぜだか分からないが、後日それが担任にバレて叱られた気もするけど、都合の悪いことはあまり覚えていない。まさに、青春。



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