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【ショートショート】 君の香りに包まれて

 僕の彼女はいつもマイペースで、のんびりしている。お休みの日なんて、放っておいたら本当に昼前まで起きない。仕方がないから、僕は一生懸命起こす。
「ねえ、朝だよ。せっかくの休日なのにって、また言わなきゃいけなくなるよ」
「…んー…」
 僕の声が聞こえているんだかいないんだか、曖昧な返事を眠りの底から投げてくる。無防備すぎるこの顔を知っているのは僕だけだと思うと、起こすことも尊い仕事な気すらしてくる。何を隠そう、僕は彼女に夢中だったし、僕の世界は彼女が全てと言っても過言ではなかった。何なら彼女は、僕の「全て」だった。

「ほら、起きて。ご飯を食べて、散歩にでも行こうよ」
「…んー…お腹すいたのかあ…」
「すいたよ」
「まだ9時じゃんー…」
「もう9時だよ、いつも7時に起きてるのに。2時間も起こさずに、黙って待ってあげたでしょ」
 実際のところ、僕も寝坊をしていたので2時間しっかり待っていたわけではないが。
「…んー…起きるかあ…」
 ゴソゴソと布団から目は瞑ったままの、寝癖だらけの頭が出てくる。こんな様子を見られるのは僕の特権だと思うと、愛おしくて飛びついてしまう。
「なあに、もう起きたよ。ほら、大丈夫」
「まだ眠そうだね」
「昨日寝たの3時だからなあ…」
「知ってるよ、遅くまで仕事してたもんね」お陰で僕も寝不足気味ではあるが、そんなこと別に気にしてない。彼女は、僕の「全て」なのだから。

 彼女には少し長い寝間着の、ズボンの裾を引きずって、あくびをしながらゆっくり移動し、お腹をぽりぽり掻きつつ歯磨きをする。そんな彼女の後ろを、見守るようについて回る。こんな無防備な姿を見られるのも、僕の特権だ。
「わかったわかった、お腹すいたねごめんね」
「別にそんなことどうでもいいよ。近くにいたいからこうしてるだけ」
「本当に甘えん坊だなあ」
「悪い?」
「そんなところも可愛いんだけどねえー!」歯磨きを終えた彼女は、僕の顔を両手で挟むようにして、僕の目を覗き込む。
「何だよ、やめろよ」
 満更でもない気持ちになりつつ、ちょっと照れくさくて顔を背ける。
「照れてんのー、可愛いなあもう」
 僕の気持ちはお見通しみたいだ。束の間、僕のことを見つめて頭を撫でながら、何かを考えるような表情をして見せた。最近よく見せるその表情に、何となくどきりとする。

 僕は彼女の気持ちを、どこまで見通せているのだろう…。何となく不安になって、そのまま抱きついてその鼻先にキスをする。すると、はっと我に帰ったような素振りを見せて、こらあ!と彼女はいつもの顔に戻った。何か、仕事とか…僕の知らない世界で悩むようなことがあったのだろうか。何でも話してくれていいのに。
 僕の心配を知ってか知らずか、僕の頭をひと撫でして、満足げな顔でご飯にするかあ、と言いながら彼女はキッチンへ向かう。何か悩み事でもあるのかな、気のせいかな。その背を見守りつつ、僕もそっと後に続く。

 朝ご飯と言うには少し遅い、ブランチを二人で食べて、ひと休みをしつつ今日の計画を立てる。
「どうしよっか」
「部屋の掃除はいいの?」
「あ、洗濯はしなきゃいかんな」
「うんうん」
「干したら…今日お天気良いし、ちょっと公園にでも散歩に行こうか」
「おお、いいね!そうと決まれば早く洗濯して!ほら早く行こう!ねえ!」
「そんなにはしゃぐ?本当に、散歩好きだよねえ」
 ふふっといつものように笑う彼女に、少し安心する。いつもの、顔だ。僕の大好きな、顔だ。

ーーヴゥン…
 不意に彼女のスマホが光り、それに彼女は即座に反応し画面を見る。
「…だあれー?」
 彼女の動きの機敏さに驚きながら、僕はできるだけ平静を装って聞く。
「ちょっと待ってねえー…」
 忙しそうに指先を動かす彼女を、横目で見守って待つ。しばらくかかりそうだなと見て、僕は黙ってソファに座る。様子を見ていたら、画面を見ながらにこにこしだす彼女…何だ?
「…ねえ、誰?」
「うーん…ごめん、これからお茶しない?って連絡きちゃった…。公園に行くのは明日でもいい?お散歩は帰ってから行くから!」
「何だそれ!」ひどい話じゃないか、僕とのデートより優先すべき予定があるなんて!今までには考えられなかったことだ!

「ごめんね、チロちゃん。ちょっとだけ待っててね」
 そんな目をして言われたら、僕にはもう何も言えない。ふう…とため息をついて、ソファにゴロンと横になった。彼女はそんな僕に気づく様子もなく、ウキウキと身支度を始めた。新しいニットまで下ろして…!

 良いんだ、別に。本当は僕だって、いろいろわかっている。こんな毎日がずっと続くなんて思っちゃいない。それでも、いま彼女は僕の「全て」なのだ。

 僕はそっと、彼女が脱いだ寝間着の上に移動し不貞寝をする準備をした。


(1934文字)


=自分用メモ=
伏線を張る練習。会話の部分について、不自然じゃない程度に「彼女の独り言」にするのが少し難しかった。翌日、チロちゃんと彼女はしっかり公園に行って、チロちゃんが満足するまで遊んでくれていますように。

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