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【思考】何かをみて、何かを感じて、それを述べるということ

いつだったかの自己紹介で書いたことがあるが、私はこれまでの人生で、いっとき心が風邪を引いた時期がある。その時期は本当に、何も楽しむことができなかった。

例えばドラマもお笑いも、もちろん映画だって内容が全く頭に入らず、その内容にどうしてもついていけない。本を読んでも、目が滑って内容に触れられない。かつて大好きで人生のバイブルとまで思って気に入っていた小説ですら、手に取る気持ちがすっかり萎んでしまった。

心が弱るとどうなるのか、知識としては知っていたけれど、実際に自分がそうなってみて初めてわかる恐怖と絶望がそこにはあった。
特に私は、「本を読むこと」も「ドラマを観ること」も大好きだったから、それができなくなる自分を想定していなくて、本当に落ち込んだ。気分転換のすべを奪われたような…自分が自分でなくなるような。

ちなみにこれが、お気に入りの小説。
よしもとばななさんの「キッチン」

そんな時期を経たからこそ、ここ最近複数のドラマを内容をしっかり理解して楽しみ、ああだこうだと自分の感想を述べられるようになったことが、単純に嬉しい。
そもそも、ドラマ1つを1週間あけて観て楽しめるようになったことにも感動したし、それについて感想を抱けるようになったと気づいたとき心底ホッとした。

一概には言えないが、少なくとも私はドラマを楽しめるようになったとき、自分の中で何か一つ乗り越えられたような気がした。そこが、乗り越え出したスタート地点だった。本が読めるようになるまでは、もう少しかかった。

何かをみて影響され、心が動く。その心の動きにまず気づくことができて、その気がついたことを的確な言葉にすることで初めて、自分の中にある気持ちは可視化される。他者に伝えることも、後々変化した自分と比較することもできるようになる。

ずっと何気なく感覚でやってきたことが、どれほど心と頭を使う作業だったのかを思い知らされるような気がした。特に私は感動屋さんなので、ハッピーエンドもバッドエンドも関係なく、心的疲労は必至だったようだ。笑

だから私は、ドラマの感想を述べることもある意味リハビリの一環のような気持ちでいる。楽しみながら、ドラマを観ていたときに感じて記憶のノートに書き殴ったようなものを、一枚一枚丁寧に見直して、明文化していく作業をしている。

楽しい。
いろんなものに触れて、それに触れた自分の感情の変化が楽しい。かつていいなと思ったものに触れ、再度「いいなあ」と思う瞬間も楽しい。逆に「あれ、そんな感動しなくなったな?」という変化を実感できるのも、楽しい。

新しいものに触れて、新たに感動することも楽しいし、感動を得られなかったときは「何で感動しなかったのだろう」と考えることが楽しい。

何かをみて、何かを感じて、それを述べることは私にとって「楽しい」以外の何物でもないのだと、思う。

そんなことを思いつつ、次期ドラマはどんなものがあるかなあとソワソワしている。新しい作品に触れるそのときを、ワクワクしながら待っている!

そんな春の夜。

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