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【ショートショート】 小川さん

「俺、見ちゃったんだよね…」
 その朝、いつもの電車に乗るべくホームで合流するや否や、リョウタが嬉々として話しだした。
「なになに」
 俺は、つけていたイヤホンを片付けながら相槌を打つ。
「昨日の夜、結構遅い時間に小川さんが、駅前でおじさんと歩いてたんだよ」
「え、どういうこと」思わず手を止めてリョウタの顔を見た。
「いや、わかんねえけど。うちの制服だなーって見てたら、小川さんだった。つか、あれはおじさん越えてもう爺さんクラスだったな。金持ちそうな爺さんと、がっつり腕組んで歩いてたんだよ」
「…へえ」
「何か、かなり仲良さそうでびびった」
 こんな風に密着して歩いててさ、とすり寄ってくるリョウタを肘で押し留めながら、ふうんなんて生返事をする。
「ありゃあ…、アヤシイな」意味深にニヤつくリョウタを、何となく不快に思いながら適当にその話題を聞き流した。俺はそれ以上、その話しをしたくなかった。

 小川さんは、俺たちと同じクラスの女子だ。髪を染めるでもなく、ピアスをするでもない。本人の素行が派手なわけではないのだけど、周りの友達は賑やかな、いわゆる一軍の女子にの中にいる。授業もしっかり受けていて、成績はクラス5番以内に入っている上に、人当たりも良い人気者という、漫画の中にいそうな高スペックな上に美人。その辺をただ歩くだけで人目を引く…そんな女子だった。

 言うまでもなく、クラスの奴らは男女問わず、多分みんな小川さんに惹かれていたし、何なら学年を超えて他学年ですら噂になるような人物だった。かく言う俺も、彼女にマイナスな印象を抱いたことはなく、何なら好意を抱いていたくらいだ。そんな彼女が、夜中に駅前を金持ちそうな爺さんと歩いていた?何のために…?
 別に小川さんを、「そんな目」で見てるわけじゃ無いけど、言うほど彼女を知らないことに気がついた俺は、何となく藪蛇な気がして、できるだけその話題には触れたくなかった。

「なあなあ、聞けよ」
 俺の食いつきが悪かったせいか、リョウタは学校に着くやいなや、いつものメンツに先の話題を振る。「ええ…」とか「マジかよ!」なんて声が聞こえる。あーあ…。

 その日一日、教室の中でいつもと変わった様子を見せずに、楽しげに友達と話している彼女を盗み見て過ごした。いつもと変わらないその姿に、何となくほっとする。俺は「言うほど彼女を知らない」と改めて思った。家の近所でわりと見かけることがあって、住んでいるところが近所らしいと思うことがあったくらいで、本当にただのクラスメイトとして挨拶をするくらいの関係でしかない。
 でも、恐らくこのクラスで俺しか知らない一面を、俺は見たことがあった。だから、リョウタの言動に嫌悪したのだと、気がついた頃には昼休みになっていた。

ーーあれは、ある夜のことだった。
 あの夜、風呂上がりに牛乳を爆飲みしたことが母にバレて、買ってくるよう叱られた。俺がちょうど風呂から上がって部屋に戻り、ベッドに腰掛けようとした瞬間のことだった。面倒くさいと逃げようとしたが、模試の結果が振るわなかったことを引き合いに出されてしまったため、ぐうの音も出ず結局買いに出かけることになった。

 そんなわけで、俺は家の近くのコンビニに向かった。一般的にいう、閑静な住宅街を抜けて少し大きめのバス通りに出る。大きめとはいえ、夜になると一気に車も人も減るので、俺は信号をさほど気にせず歩いていた。
 そんなときに、小川さんを見かけた。一つ角を曲がって、通りに出たすぐのところでその姿を見つけ、思わず彼女の5mほど後ろで立ち止まる。
 一瞬「こんなところで何してんだ?」と思ったけれど、よく考えたら横断歩道で何をしてるも何もない。彼女は信号が変わるのを待っていたのだ。誰も通っていない、俺なら何も気にせず、無視したことを意識することなく信号無視をしてしまうような信号を。
 塾か何かの帰りだろうか、肩にスクールバッグの肩紐を1本だけ掛け、音楽を聴いている様子もなく、ただ静かに前を向いていた。声をかけるか束の間迷ったけれど、その横顔に思わず見入ってしまった。普段の賑やかな雰囲気とは、全く違った空気を纏っていてすっかり声をかけそびれ、信号が青になって彼女が動き出すまで、まるで時が止まったようだった。

 誰も見ていないような信号を守るその姿に、うまく言えないけど、多分俺は、彼女の人間性を垣間見たような気がした。

 ただそれだけのことなのだけど、俺はリョウタが考えているようなことは、多分起きていないんじゃないかなと改めて思った。
 ふと後ろの方にいるリョウタたちを見ると、何となく小声でよくない話しをしているような感じだった。何だかとても嫌な気分だ。深呼吸して、もうその話しはやめようと言うべく、俺は自分の席を立ったーー。

ーー後日、小川さんが腕を組んで歩いていたのは、彼女のお爺さんだったことを知り、俺の「人を見る目もなかなかじゃないか」と自画自賛したのは、また別なお話し。


(2028文字)


=自分用メモ=
人は、「誰も見ていないと油断している瞬間」が素顔の瞬間だと思う。誰も見ていないと思っていても、どこかできっと誰かがあなたを見ている…。そんなことを思う機会があり、作品に織り込んだ。終わり方が少し強引だったかなと少し反省をしつつ…。

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