絶賛子育て旅の途中
小学生の男の子の子供を持っていると、たくさんの傷に遭遇する。今日も我が子は首筋に傷を作って帰ってきた。事情を聞けば、何かに怒っている友達に、「激おこぷんぷん丸」と言ってからかったらしい。そして、反撃にあったとのこと。
怒っている子をからかえば、それは激怒されるに決まっている。大人でも怒る。
何故そんな簡単なことをわからないのか。思ったことをそのまま口に出してしまう特性所以か。
空気を読むお友達は、「大丈夫?」と聞くだけ、もしくはそっとしておいてあげる子もいるというのに。何故我が子はそれができないのか。
こんなことも教えないといけないのか、と肩を落としつつも、
「怒っている子は、そっとしておいてあげる。絶対からかっては駄目」
と教えた。
「これくらいわかるだろう」という期待値は簡単に裏切られ、「こんなこともわからないのか」という落胆とともに現実がやってくる。何も言わないし、学校では何も起こっていないだろうという安心感も、個人面談やお他所のお子様からの告げ口で簡単に破られることとなるのだ。
その都度子どもにお小言や説教を垂れる自分にも本当に嫌気がさす。子どもが小さいうちは、「子どもの心に理解ある母親になろう」なんて思ってたはずなのに、もうその抱負さえ吹っ飛んでいる始末。
だが、と思い直す。
私の子供は、生きている。
トラブルが起きても、どうしてこうなったのか、どうしたら上手く立ち回れるかアドバイスすることが出来る。学校の先生では時間が取れなくても、母親なら、怒りつつも何度でも教えてあげられる。
なんとか良いところを探し出し、自分を叱咤激励することを幾度行ってきたことか。そしてこれからも、そうやって自分の背中を自分で擦って、自分で押して、行くのだろう。
子供が8歳なら、私も「母親8歳」。まだまだ絶賛子育旅の途中。きっとどこかに同じような旅の仲間がいるはずと言い聞かせ、今日も茨の道を歩むのだ。
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