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ぬいぐるみに対する責任

私はぬいぐるみが好きだ。

自室のベッドには、たくさんのぬいぐるみたちが並んでいる。

最も長い付き合いのぬいぐるみとは、生まれたときから一緒だ。
そして、最も付き合いの浅いものでも10年は一緒に過ごしている。

この光景が小学校低学年の少年の部屋なのであれば愛おしいのだろう。
しかし、私はもうすぐ大学4年生になろうとしている立派な青年男子だ。

客観的に見ると気持ち悪い。

私は一人っ子だからか、小さい頃から話し相手はぬいぐるみたちだった。

昼休みに上級生とドッジボールをして、ボコボコにされたこと。

いつもムーンウォークで移動する友達がいたこと。

席替えで隣の席になった女の子を好きになったこと。

口で屁の音を出すのがとんでもなく上手い友達がいたこと。

とにかく何でも、ぬいぐるみたちに話した。

私にとってぬいぐるみたちは、親とも、兄弟とも、友達とも、自分の子どもとも違う、特別な存在だった。

毎晩その日にあったことを話し、一緒に眠りについた。

ベッドの上にいるぬいぐるみたちが寒くないように、掛け布団を掛けてあげたりもした。

そして、自分の近くで寝るぬいぐるみは、日ごとに変えた。
ぬいぐるみたちの間にカーストを作ってしまうのが、なんだか可哀想な気がしたからだ。

寝るときにぬいぐるみを抱きしめると、自分の鼓動の反動で、あたかも、ぬいぐるみの心臓がドクドク動いているような気がしてくる。

私は小4になるまで、これが本当にぬいぐるみの鼓動だと思っていた。

今思うと、ぬいぐるみを媒介して自分の生存確認をしているだけだった。

そもそも、こんなにぬいぐるみに感情移入してしまうのは、幼少期に「トイストーリー」を観てしまったせいだろう。

今でも「行ってきます」や「ただいま」を伝えるし、ぬいぐるみの腕が捻れていると、「痛そう」と感じ、直してあげたくなる。


そして、今、私が最も恐れているのは、彼らとの別れだ。

いずれは、彼らから自立して、離れて生活しなければならなくなる。
それはものすごく心細い。

でも、「一緒にいれない心細さ」以上に、私がいなくなったあとの彼らの身が心配で仕方ない。

なぜなら、彼らは死ねないからだ(「そもそも生きてないだろ!」なんて言わないでね)。

彼らがこの世から消えるには、人間に捨てられ、ゴミ処理場で燃やされて灰になるしかない。

「トイストーリー3」のクライマックスシーンみたいに。

人間は死ぬことが決まっているからいい。
私は、「人間は死んだら何も残らないし、あの世なんてない」と思っているタチの人間だ。

でも、ぬいぐるみは、人間によって捨てられ、ゴミ処理場で燃やされない限り、生き続けられてしまう。

こんなに辛いことはない。

だって、この世から消えるには、人間に捨てられるという過程を踏み、1度傷ついてから、生きたまま燃やされなきゃいけない。

また、生き続ける場合、様々な人に受け継がれていくわけだが、みんながみんな、大事に扱ってくれるわけではない。

私のように、布団を掛けて寝かせたり、腕が捻れていたら直してあげたりする持ち主と出会えるとは限らない。

「トイストーリー」のシドのような悪い子に渡ってしまうかもしれない。

ウッディたちは勇敢で団結力もあり、運も良かったから生還できたけど、あれは選ばれ者たちのサクセスストーリーだ。

果たして、私のぬいぐるみたちにあのような困難を乗り越える力があるのだろうか。

そういうことを考えると、今も私の後ろのベッドで横になっている彼らと、どう向き合い、持ち主としてどう責任を取ればよいのか、わからない。

私の人生で、これ以上の悩みはない気がする。
結構本気で。

私が死んだ時に、一緒に燃やしてもらうか?
いや、それだと、私は死んでるからいいけど、彼らは生きたまま焼かれてしまう。

もし、私の人生をやり直せるならば、ぬいぐるみと「トイストーリー」からは距離を置く。


それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました。

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