2-8.担任の罠

 父も母も信じられず、弟とも不仲で、学校に居場所のない私は、いつも考えることを放棄して生きていた。ぼーっと過ごす以外に方法がなかった。必死に考えたところで、どうせ問題解決なんてしないからだ。

 すると、担任に呼び出しをくらった。 
 当時の私は忘れ物の女王だった。
前日に、ランドセルの中身を入れ替える際に、きちんと必要なものを入れていたはずなのに、ダメだった。国語の教科書はあるのにノートがない、算数のノートはあるのに教科書がない、と少しずつミスをしてした。
 また、イレギュラーなものを持っていくのが苦手で「明日は絶対コンパスをもってきてね」というような、「今日しか使わないもの」は持っていけなかった。それについて、担任に何度も何度も怒られていた。
 当時の担任は五十代の女性教師で、怒鳴ることはなかった。話が長くて一方的にものを言った。最初こそきちんとリアクションしていた私も、実生活で思考放棄を初めてからは、先生の注意にも返事をしなくなっていた。ただ、黙ってお説教が終わるのを待った。
 あまりに様子がおかしいと思った担任は、ある日、私に質問をした。今までずっと一方的に話していたのに、驚いた。
「ご両親は元気?」
 とりあえず頷いた。
「何か困っていることはあるの?」
 と聞き、
「ご両親には言わないから、話してごらん」
 と付け加えた。
 私は「ご両親には話さない」という言葉で急に我に返った。変な汗が出て、手が震えた。
 担任が私の手を握って、無言で見つめてきた。
 ついに私は、家で父が暴れていて、母も子どもたちを助けてくれなくて、弟とも仲が悪く、クラスでは無視されている、と打ち明けた。
 すると担任は驚いて、私の頬をひっぱたいた。
「めったなことを言うもんじゃない!そんな嘘をついてまで、注目されたいのか!」
 と、怒った。怒鳴らないけれど、強く太く、小さな声で言った。
「育ててくれる親御さんを悪く言うなんて、もっての他だ!それにうちのクラスにいじめんてない!もし、そんなことを他の先生に言ったら、この学校から出て行ってもらう」
 静かに脅してきたのだ。
 そして、担任は少し考えて、提案してきた。
「家庭内の問題は、大抵母親が悪い。お母さんがお父さんの言うことをきかないから、暴れるのでしょう。お母さんにお父さんの言うことをきくように頼んでごらん」
 私は頬のひりひりを感じながら、こんな罠にかかってしまった自分を心の中で責めた。
 もちろん、母にそんなお願いはしなかった。ただ、今日の出来事を、このクソ担任が両親に電話するとまずい、と思い、それだけはやめてほしいと頼んだ。
「うちのクラスにいじめはない、それがよく分かっているなら、そうしましょう」
 と約束を交わした。
 いじめのことを外に公表する気持ちのなかった私には、どうでもいい条件だったが、心底安心した。
 それから、どの教師にも親のことを打ち明けることはなかった。
 親も敵、弟も敵、クラスメイトも全員敵、保健室の養護教諭も敵、そして担任も敵だ。
 誰にも話ができない環境がどんどん出来上がっていく。こういうことが、面前DVが発見されずに深刻化していく要因になる。

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