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原罪ってなぁに?〜優劣と比較〜

『原罪』という言葉ご存知でしょうか?

アダムとイブが禁断の果実に手を出してしまったことが人の原罪の始まりと言われています。

人は生まれながら罪を持っている。

と言われると少し気になります。いったいこの原罪とはどのようなものなのでしょうか?

自分の方がマシ

毎日毎日眠い目をこすり時間ギリギリに起床。

満員電車に揺られ会社に行く。

少なからず起こる理不尽に耐え残業もこなし帰宅。

そんな日々を送っている中、休日のある日、街を歩いていると清掃員がゴミを収集していました。

そんな姿を見て、

「日曜日にゴミの収集か。彼よりは自分の方がまだマシだな」

こんな例え話の「人よりマシ」と思う心こそが原罪だと教えてもらいました。

優劣

この例えでは、人よりマシであるということがポイントとなります。

そこには2つの問題が隠されています。

まず一つ目は「優劣」です。

自分は大学を出て、事務職に就いた。休みも土日祝ともにきっちり休める。

でも清掃員の彼はきっとそうではない。

このように人と比べて自分の基準で優劣を判断する心ですね。

自分には能力がある、実力がある、だから報われるのだ、こんな考えが透けているように感じます。

能力がある人は、ない人よりいい境遇なのは当たり前、あの人よりは劣ってるけど、この人よりは優れてるからまだマシ。

こんなこと考えたことありますか?

あります…

これが原罪の一つの要因です。

比較

そしてもう一つは人と比較すること。

人と比較されるモノが世の中には溢れています。学歴やスポーツの成績がそうですし、仕事も評価というかたちで比較されます。

比較されることは致し方のないことかもしれません。とても便利で一定のカテゴリーに分けることができるからです。

傾向を推し量ることにも有効です。

ただ、自分から人と比較するのはどうでしょう。

比較するのは赤の他人がすることであり、ある意味自分のミッションではありません。

人は自分の役割を持っています。その役割をうまく果たすことができればいいのです。

あの人はこうで、自分は…と考えず、あの人はあの人の役割、自分は自分の役割、と考えるのがいいと思います。

でもついつい人と比較してしまいがちです。

自ら諌めることができるか?

原罪ですから、もともと人に備わっているものとすれば、誰もが陥ってしまう過ちでもあります。

なかなか避けられないことでもあるわけです。

ではどうしたら良いのか?

おそらく、優劣を考えたり人と比べてしまってはじめて気づきます。

その時「違う違う、そうじゃない!」と自分に言えるかどうか、あるいは「そんなふうに考えるのはよそう!」と思えるかがカギですね。

自分を諌める、そうやって改めていくことが肝心なのかもしれません。


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