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許すということ

誰もが過去に後ろめたいものを感じています。

さまざまな失敗を経て今があるのですから、よっぽどのことがない限り、汚点の一つや二つはあるはずです。

いや、一つや二つでは済まないでしょう。

誰もが大なり小なり十字架を背負っているわけです。

しかし、それにいつまでも引きずられる必要もないと思います。でないと、いつまで経っても前に進めません。

ただし、後ろめたさ、十字架を含めて今の自分があるのだという意識は必要です。

過去をきれいさっぱりなかったことにしたり、捏造するのは明らかに違うと思います。

そして、この意識がないと、他者を許すことができないのではないでしょうか?

自分のことを棚に上げて他人の過ちを非難するのは自分勝手です。

過去の失敗を意識するということは自分の後ろめたさを受け入れる、自分を許すことに他なりません。

他者が自らの誤りを悔いているならば、その人を受け入れるといいなぁと思います。

自分を許すように他人を許す、ということですね。

自分に関わることであればあるほど、なかなかできることではないのは確かです。

でもそのような雰囲気がないと、人の揚げ足を取るような貧しい社会になってしまうような気がしてなりません。

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