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知恵と勇気と感謝、3つのバリューセット‼️

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。

有名なことわざですね。

わたしがよくこのnoteで紹介している『嫌われる勇気』のアドラーも、名監督野村克也氏も、このことわざに触れています。

てっきり中国のことわざかと思っていたら、イギリスのことわざのようでした😅

わたしたちは馬を連れて行く人になることもあれば、馬になることもあります。

馬を連れて行く立場とは、人を導く側。親であったり、上司であったり、先輩であったり。

親、上司、先輩じゃなかったとしても、たいそうなことに限らず、ちょっとしたアドバイス、助言レベルも「馬を連れて行く」立場と言えます。

そんなとき、そのアドバイスを聞き入れてくれるかどうかは馬次第、つまり本人次第ということでになります。

よく「なんにも言うことを聞いてくれない!」と嘆く人を見かけますが(わたしのことでもあるのですが…)聞いてもらえるよう努力するにしても、最終的に聞き入れるかどうかは本人次第ということです。

アドラー的には「他者の課題」ということでしょう。

一方自分が馬の立場のときもあります。教えを乞う立場ですね。

せっかく連れて行ってもらっても、そこの水を飲むかどうかは自分で判断すること。

そして仮に水を飲んだとしても、その水辺までの道のりを覚えなければその場限りになってしまう。そうならないように道順を覚えるのも自分次第。

馬を連れて行く立場であっても、馬であっても、個人的にはこのことわざで感じることは「知恵」「勇気」「感謝」の三つです。

「知恵」とは水辺に連れて行く立場であれば、どうしたら水を飲んでもらえるか、どうすればうまく辿り着けるようになるか知恵を巡らすこと、そして連れて行かれる側は道順を覚え水の飲み方を体得する知恵を持つこと。

「勇気」とは連れて行く側は水を飲むことができるよう勇気づけること、連れて行かれる側は水を飲む勇気を持つこと。

「感謝」とは自分に従ってくれたことへの感謝、道を授けてくれたことへの感謝のこと。

こんな風に捉えています。

「知恵」「勇気」「感謝」の三つは理性と感性が絡み合っています。どちらか一方では足りないし、分けてみることも難しく、いわば「セット」なのではないでしょうか?

ちょっと深読みのし過ぎかもしれませんが💦水を飲ませる、あるいは飲むためにはこの三つが必要なんだよ、と教えられるているような気がしています。

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