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「正しいか」ではなくあなたはどう感じるか

こんばんは、Mihoです。
また暖かさが戻って来ましたね~。
いつもの道端に明るいお花を見つけて春を感じました。

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めちゃくちゃ春色でかわいい😍😍😍
植えてくれた人ありがとう~💕
そろそろ衣替えもしたいけど、もう少し暖かさが確定してからでいいかな😚

セッションをしていると

「〇〇はおかしいですよね?」

とか

「〇〇はあり得ないですよね」

と言われることがあります。

わたしは

「ん~~~それはどうでしょうね~~~?」

と答えます。
別にはぐらかしてるわけではないですよ😆

わたしは論文も書きます。
その経験も踏まえていいますと「絶対」ってまずないし、「普通」とか「おかしい」の基準は本当に人それぞれなんですよね。

たとえば、ガリレオが地動説を唱えるまでみんな天動説を信じていました。
日本だと残さず食べることが礼儀といわれますが、中国だと少し食べ残すことが「十分にいただきました」という礼儀になるそうです。

なによりも、今わたしたちが教科書に載っていたパンデミックや戦争を経験するなんて、誰が予想していたでしょう。
それくらい「絶対」ということはないんですよね。
なので、一研究者として、大切な場面で「絶対」は使いません。
まだ見つかっていないだけ、まだ気づかれていないことの方が「絶対」多いから。
でも、非常に情緒的な表現として「絶対」を使うときもあります。
「絶対大丈夫」とかね😋

では、クライアントはその表現を通じて何を訴えているのでしょう?
正確に訳するなら

「わたしはそれを強く信じている」

「わたしにはそれを受け入れがたい」

「わたしはそれにとても傷ついた」

「わたしはそれにとても腹が立っている」

などではないでしょうか。

このとき「正しいかどうか」の話になると、内面的な洞察は深まりません。
もし本当に「一般的かどうか」が知りたいだけなら、統計情報でも見ればいいのです。

が、わざわざあることの正しさを確かめたくなっているときは、なにかに動揺しているときではないかな、と感じます。
「あなたは正しいよ」と保障されたいのかもしれません。

心理学的には、揺さぶられたときこそ、自分を見つめ直し異なる要素に対して心を開く絶好のチャンスです

だから、わたしは「どうでしょう~。あなたはそう思うんですか?」と訊ねます。

大事なのは、あなたがどう感じているか。
あなたにとってある出来事がどのような意味を持つのか。
どう感じても、どう信じていても自由なのです。
でも、それが痛みになっているのなら、変化させてみる価値はあります。

だから、「正しいか」なんてどうでもいいのです。
あなたが感じていることの方がずっとずっと大切です。
そのことに気づいていただくのが、心理学的な支援の意義だと思います。

自分が本当に感じていることを、いつも見つめていきたいですね😊


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