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表現できないために「嘘つき」になってしまう話…諦めるしかない現実を受け止めたうえで、私が今やっていること

今回の話は、今までの記事の中で、一番『言い訳じみたもの』になる話です。

なので胸糞悪くなる方が少なからずいらっしゃると思いますが、罵倒することだけは、お願いですから避けてください。心の中で静かに怒ってください。…ぶつけられるのは困ります。

「恨まない」を貫くためにも、ご協力お願いします…

固定記事から過去記事
「恨まない」は私のポリシーであり本質であると気づいた話』を
読んだうえで本記事を読んでいただけるとより、わかりやすいかもしれません。

でも…世の中に少数だけど、同じ想いをしてる人がいるなら、それって辛いよね…ってことで、書いてみようかなと思いました。

※主に「私」はHSP気質持ちであることを考慮した上で、読み進めてもらえると嬉しいです。



「私」は追い詰められると、自分でも考えてもいなかった自分が、出てくることがある。その出てきた自分が、とても厄介なトラブルを作ることがある。…その場で対処できない「やらかし」だ。

それが一番出てくるのは、なぜか追い詰められているときにしてしまった約束に対しての振舞い…我に返ったとき、なんらかの方法でそれらの約束を反故にしている事に気づく。

その選択を取り返せない状況に陥ってから激しく後悔している事柄が、山ほどある。

なんであの時、あんなことしてしまったんだろうか。どうにかして、防ぐことは出来なかったのか…
そんな気持ちがある程度晴れるまで、頭の中でそんな言葉がぐるぐる回る。

行動に移せないもどかしさも同じように、湧いては消えて、浮かんでは忘れて…

でも、過去はどんなことしたって、なかったことにできない。

絶対に取り返すということはできない。

もう一度、そこまで持っていく、ということはできるかもしれないけど、過去とまったく同じ状態にはなり得ない。

だから、出来る事は結局、起こった事実を受け止めて、レッテル貼りも覚悟した上で、どんなに冷遇を受けたとしても、自分のできる事で未来にどう行動するか、だけなんだ、と思う。

それだけ、なんだ。…上手に動けない私はとても悲しい気持ちになってしまうけど。


嘘という結果が残ってしまうけど、実は…

だから、私の場合、表現できないから、嘘つく形になる…嘘とわかっていないことだってある。あとで振り返って自己嫌悪。こんなことばっかだ。

時間をもらえれば、今の「私」ぐらい、冷静になれていれば、それを嘘のままにしないでおけそうなのだが…

世の中その場の判断が全てなので、そこでうまくやれなかったら、一定数から見放される。…もう、慣れっこだ。

…そういうもんだ、とわかってはいるのに、心はダメージを受けてしまうから、脆弱だ。

でも、傷つかなかったフリをするほうが、もっと将来的には、悪影響だと気づいてしまったので、沈むときは時と場所を選んでやるように、できる限りしている。

それこそたまに間に合わず、人前で決壊させてしまうこともあるんだけど…今は人前にいけないから、ちゃんと自分だけで受け止められている、はず…

決壊させた結果、また人に冷ややかな視線を向けられる。

そりゃ当然か。みんな普段耐えているんだもの耐えられない人見て、呆れるのは、必然なんだ。…わかっちゃいるよ…でもいつでもそうなるんじゃないんだ、そうなるタイミングに重なってしまっただけなんだ、なんて言っても仕方のないことだから、…普段は黙っておくけど。

でもnote始めたから、noteには書くよ!
文字にしなきゃ、その気持ちは、あったことさえ忘れてしまうから!


嘘つきになっても、だいたい忘れてないし、恩を感じてたら実は小さく行動してる!

「やらかし」をあまりにも取り返せない、実害を被った人から酷評される…あれこれ考えた末、できる限り何を言われても、反発せず言わせといて、こちらはダンマリを決め込む(話そうとはしてるから、もしかしたら失声症ぽい気もする)んだけど、結局、それを最善だと思わないと、心が保てなくなった。つまり、自分の意志でしていると思うようにした。

でも、人から見れば、私の行動は、できない、やろうとしない、努力も見えない、なのだから、もう言われることに噛みついて余計に傷作るのは無駄なこと…そう思ってようやく「言われっぱなし、やられっぱなし」を選ぶようにした。

悲しいよね。「違う!」って言い返したくなるけど、それをすれば、返ってきた反応に打ちのめされるから、…駄目になってしまった。

打ちのめされると、とてつもないパワーで後ろに引きずられていくから。

後退をするくらいなら、立ち止まってとりあえず被弾して、少ししたらまたじりじりと動く…そうすることがどうやら、私にとっての最善のようだから…仕方ないと割り切って進むほか、できること、ないんだよね。

動くときは、人の目があると、駄目になる。だから「努力」と呼ばれるものは、私の場合、『見せない』ようにしている。

そうでないと、動き続けられないから。このnoteも誰にも利用してることを現時点では教えてないし、教えるつもりもないし、もし正体に気づかれたとしたら連絡を止めている人達にたいして『黙っててもらう』が絶対条件だ。

…もう動き出した以上、止められては困るのだ。だってこれが今の「私」が唯一自分の裁量で動かすことができる『切り札』なのだから。

成果を自分で作ることができるまで、私はここで生きることを諦めない。そのための、noteだから。

こんな考え方になったのは固定記事の一番上の記事を
読んでもらえるとわかるかもしれない…
(どん底から浮上できた体験談、このnote活動の理由になる記事)



今に始まった話じゃないけど「私」の評価は実害を被るか否かで決まる

私は、所謂、「手のひら返し」をする人間だ。…そう評価されることがけっして少なくないから、もう公言しておく。

私の言動によって実害を被った人に何度か、そんなふうに言われてしまった。…間違いなく、浅はかな行動をとってしまった事実は存在する。…ただ、今ならこう言える、

そうならざるを得ない理由が、どこかに確かに存在した。

その理由が、私の制御の及ばぬところに隠れていた、そういうことなんだと、今は自分の精神衛生のために、思うようにしている。

…嗚呼、とてつもなく身勝手。文字にしたらなおさらだ。なんて見苦しい言い訳をしてるのだろう。

誰かに迷惑をかけているのに、「それは、私にはどうすることもできなかったんです!」だなんて…いや、どうにかするのが、当然だろ??

という批判がくるのは、百も承知。だって自分でさえ、そうやって私自身を責め立ててきたんだもの。

でも、もう、こればかりしてるのは、無理!

取り返せないことを、ようやく本当の意味で理解できるようになったこの数年、こんな堂々巡りを繰り返したザマが、人生史上最も沈んだ8ヶ月に繋がってしまったのだから。

何度でも言いたい。

私はもう「死ぬ」なんて、ごめんだ!!

死ぬぐらいなら、責められまくったとしても、その後の私の行動から、見方を改めてくれる人がいると信じて、確実にできることで前に進むことを選ぶ。

いずれ、迷惑被った分の利子ぐらいは返ってくるかもしれない…、それぐらいの気概で、責めることより、自分のことにきちんと時間も心も使える人に、もう一度、認めてもらえるようになる可能性に、私は賭けようと思う。

そして、過去に本当にごく一部、私の失敗を、受け止めなおして、不都合があったにも関わらず、もう一度私との縁を繋いでくれた人だっている。

…その人達が受け止めてくれたことで、私は確かに救われた。

どんな状況であれ、私の可能性を信じてくれる人がいるのかもしれない…

そう思えるようになったから、今の私がある。

実害を受けてもなお、もう一度「私」の本質を見ようとしてくれる人であれば、もしかしたら、私のことを恨まずに付き合えるのかもしれない。

そんなことを二十数年生きてきて思う。

…世の中にそんなにいないと思うんだけども。そんな、ちょっと物好きな方は…

こんな言い方してますが、めっちゃくちゃ出会ったことで救われてる人たちに対する感謝でいっぱいなんだ…わかりにくいけどね…



分かり合えない人が大半、だから分かり合える人は大事にしたい

たとえ一度嫌ったとしても、「私」の本質を見ようとして、その時の「私」の気持ちを推測した上で、もう一度向き合ってくれる人が少数だが、確かに存在はしているらしい。

そんな人との縁は、私は全力で大事にしたい。私の都合で傷つけたくない。

…まあ、私自身、私の振る舞いでもう一度縁が切れる(切られる)のを恐れているんだろうけど…

でも、そこまで至れない人が、大半だから…

今、見つけられている数十人の大切な人達は、私が「私」でいれる限り、大事に縁を繋いでいきたい。


もちろん、このnoteから、「私」を知ろうとしてくれた方々も、ね?


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このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。

ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。

そんなわけで、本日はここまでです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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