見出し画像

「生きる場所」は選びたい

さて、本日のテーマは、
「生きる場所」は選びたい、です。

これは環境的なこともありますし、心の寄りどころ的な意味合いも含みます。

先に結論をお話すると、生き方を選ぶためには選択肢を得ること。選択肢を得るためには、やっぱりある程度学びが必要。そして、自分の中で譲れないものをもつと、自分にとってよりよい選択肢を選ぶことが出来る、そのためには、合わないものから離れる、という考えを持っておきたい、ということです。

まず、私の経験談を少し話させてください。
私は、少々人のマイナス感情を拾いやすい性質があるらしく、その感情を必要以上の強度で感じてしまうのですが、そのせいか、仲良くなった後になんとなく「ここにいるべきではないのかもしれない」を感じ取ってしまいがちです。

これを強く感じてきたのが、各学校に進学する時です。私は大学まで進学していますが、中学校ぐらいから、「最初に仲良くなる人とは、居心地が悪くなって、次に仲良くなる人達とは、わりと長く付き合っていける」という謎のジンクス?があります。これが決まったパターンになっているな?と気づいたのは高校生のときです。

現に、小学、中学、高校…と一番最初に仲良くなった人とは今は縁はほとんどありません。そして、この一番最初に仲良くなる子が「成績上位者」である、というのもパターン化してるなぁ…と思っています。何故か、後々優秀な人と分かる人と繫がってしまうんですよね…でも繋ぎ止められないので、私の「第一印象」だけは、良いと思われる、ということなんでしょう…

一番先に仲良くなった人とは、喧嘩して別れるわけでもなく、ふと、「なんかここにいちゃ駄目な気がする」と勝手に感じて、急に距離を置き始めます…なので、その人の周りからかなり不可解な行動だと思われてたんじゃないかな、って思います。

…でも離れることを、回避できないんですよね…

今の私は、この現象が起きることは、「仕方のないこと」と思い、抗うのをやめました。それどころか、初対面でどんなに好感触でも、ある程度関わってみて、「合わない」となったら、自ら距離を置くようになりました。

…すると、不思議なことに、関わりたい人と、きちんと距離感をもって関われるようになったんです。

関わり続けてくれる人は、自分の時間を大切にしたいな、と思っている人が多くなりました。

なので私も、一人でも楽しいけど、これは人と一緒がいいな、と思うものに誘い、都合が合えば一緒に遊ぶ、というスタンスをとるようになりました。

そして、仲良くしてくれる人は、このスタンスに理解を示してくれる人、つまりは、やたら一緒にいることを望まない、「精神的に大人」な人が増えていったのです。

こういった考え方に変わってきたこともあり、現在、友人の数は相当に絞られました。今では、出身校が同じ、親族つながりの友達、地域でのつながり、元職場のつながりなど、強制的に結ばないといけなかった関わりであっても、かなり少なくなりました。だからこそ、私は自分の周りの環境、「生きる場所」を、ネットの声活動を軸にした付き合いに変えていくことにしたのです。

常に、自分に合うことが変われば、距離を置き、きっかけがあれば、ちょっと話す程度のほどよい距離で関わり、自分にあまり踏み込まれないようにする。そんな考え方に理解を示してくれる人と、じっくりと関わっていく。そうすることで、自分の幸せを大事に生きられるようになったように思います。

この考え方が、私の中の「譲れないもの」になり、それを大事にしてくれる人と、関われるようになって、随分と生きることを前向きに捉えられるようになりました。

この付き合い方を見つけるために、私は、大学での学びが、絶対的に必要だった、と今では感じています。…この頃の私は、世間的には、「いい子ちゃん」を演じられる人間だったので、大学進学になんの疑問も感じず、行けるところにいこう!と成績上位で上がることができた滑り止めの学校に行きました。ここで得た資格と、人脈、経験は、その後の私の激動の数年間を乗り越えるために、とても大事な学びでした。

激動の数年間…この話は、いつか本当にきちんと書き残しておこうとは思いますが、今はまだ、答えが出てない状態なので、機会がきたら、覚えている範囲でお話してみようと思います。

…人生、本当になにがあるか、わかりません。

大学卒業した頃の私は、職を失くし、心身の自由が大きく制限され、本職と趣味が逆転した、今の自分をまったく想像していませんでした。
ただ、私は「好き」を基準にした選択を激動期に繰り返して、今に至ります。…とても人に誇れる生き方はしていませんが、そんな自分でも、どこかに価値があるから存在しているし、今の自分は、今の自分になるべくしてなっていて、私が経験してきた全てが、今の自分のために必要だった、と思えています。後悔はたくさんしてますが、それでも、無駄だった、とは思っていません。今を過去を無駄にしないために、生きよう、そう思えています。


今回の話をまとめます。
「価値観」は、関わってきた人や、環境、触れてきた思想などで、大きく変わってきます。付き合う人、出向く場所を「好き」を基準に選ぶように変えたことで、私は元々いた「いい子ちゃん」が望まれる場所から、「好きを大切にする人」でいられる場所に移動することができ、結果、「生きる場所」を選ぶことが出来ることに気づけました。

「価値観が合わない環境」にいると、
自分が努力していたって、いずれ疲弊します。
最悪の場合、再起不能に陥ります。

変化する自分が受け入れられない場所にいても、成長することが難しくなります。人は生きていれば少しずつ変化していくものです。それは、私達にはどうすることもできません。それが人の変化ならば、なおさらのことです。

「合わない考え、環境」からは距離をおく、「譲れないもの」が生まれたら、その「譲れないもの」を基準に「生きる場所」を選んでいくと、いいのかもしれません。

「譲れないもの」でさえ、状況次第で変わることがあります。変わっていく自分に合わせて、自分の「生きる場所」を変えていかなければ、生きることが苦しくなるときが、来てしまいます。

苦しくなったときに、「生きる場所」を変えよう!と勇気を振り絞るためにも、学びと選択肢を広げておくことは、大事だと思います。

もし、学生さんがこの記事を読んでいるならば、学びは、大事だけど、学ぶ場所は一つじゃないよ!とお伝えしたいです!今はネットが発達してますから、勉強の場所を選べる時代です!活用しない手はありません!!

どうか、より自分に合った「生きる場所」をみつけて、のびのびと穏やかに生きることを自らの意志で、選べる人が増えたらな、と思います。

あと、社会勉強は必要です。私達は人の中でしか生きていけない以上、いろんな人の人生に本などで触れるのもありかもしれません。

そして、大きく(起き上がるのが難しい)失敗をしないために、
こうしたら失敗する!という方法は、学んでおいたほうがいいな、と大人になってしくじりまくりの私は思います。むしろ、成功方法より、失敗談のほうが大事かもしれません。


このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。

ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。

そんなわけで、本日はここまでです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。



いただいた支援は、描く発信の機材(今使っているペンもサポートや記事購入のお金で購入しました)や他のnoteユーザー様の支援、将来みつけたい目標のために使わせていただきます!