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溺れている日々に気づいた時にすること

最近、溺れているなと感じる。
実際は溺れていないのだけど、こう、息をしにくいというか。
つまり、生活に余白がない。
余裕がないのである。

何か大きなことが起こっているわけでもないのに、こんな溺れているのかといったん立ち止まって独り対談(頭の中で自分自身と対話することを勝手にそう呼んでいる)をしてみた。

自分と向き合ってみて、シンプルにいっぱいいっぱいになってるんだと気づく。

でも、やらなければならないタスクにいっぱいいっぱいになっているわけではなくて、やりたいことを成すためにやった方が良いと思っているタスクでいっぱいいっぱいになっている。

結果、やりたいことの何から手を付けたらいいのか分からなくなっている。

お前は今、優先順位を曖昧にしているんだと独り対談で向き合った自分自身が地団駄を踏んでいた。

優先順位。
耳に胼胝たこができるほど聞いてきたし、大事なことだって分かっていたはずなんだけど。
案外、自分は取り入れられてなかったんだなあと気づいた。
よくよく考えてみると、今、私が一番やりたいことは何ですか?と訊かれるとパッと答えが出てこない。全部が横に綺麗に整列しているような感じである。

したいことがたくさんあるくせに、綺麗に整列させて、全部を満遍なく一緒にやろうとしているのである。
もう分かっているはずだ。私は同時に何かをすることが下手であることを。そして、それは既に大学時代に4年間お世話になったゼミの先生に指摘されていて、お前は同時にやるという概念を捨てろと言われいる。

不器用なくせに、なんでもいっぺんにやろうとして、あっぷあっぷと溺れる。

ああ、またやってしまったんだなと手を出し過ぎた自分に呆れてしまう。

私はしたいことがたくさんある。たくさんあるからこそ、目の前に広げたら、まず何から手をつける整理しなければならない。それを忘れていたのだ。

ここ最近、行動の断捨離をしたいしたいと周りに言っていたのは、余裕がなくなっていたからで、無意識に優先順位を明確にせねばと思っていたのかもしれない。

やりたいこととやらねばならないことを紙に書き出す。
短編集を紙本にしたい。長編小説をコンテストに応募したい。ライティングの仕事をとりたい。アコギを弾けるようになりたい。資格をとりたい。エトセトラエトセトラ……。

書き出したことを、四つに分類する。
①重要で急を要する
②重要でないが急を要する
③重要ではあるが急を要しない
④重要でないし急を要しない
この四つに分けていくと、なんとなく道が分かってきた。

自分の頭の中で分からなければ、図に出たものに従えばいい。

ちょっと頭がすっきりした気がする。
書き出した紙は見える位置に貼っておく。私のことだ。どうせすぐに忘れてまた道に迷うだろうから。

頭の中を整理するのに、頭の中だけで考えずに可視化するのってこんなに便利なことだったかと現在、書きながら感動している。

これは今後も使いたい。
不器用な自分が少し器用に生きれる方法かもしれない。

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