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SEIJI|軽井沢滞在記《2》―堀辰雄のかげを求めて―

 浅間山の雄大な姿を臨む塩沢湖畔、軽井沢高原文庫内に、一件の山荘がひっそりと佇んでいました。1985年に旧軽井沢から移築された、堀辰雄の1412別荘です。

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 杉皮で覆われた素朴な造りの山荘は、ともすれば瞬く間に再び自然に飲み込まれてしまいそうな佇まいでした。一歩足を踏み入れると、テラスの板張りはまるで、生きた湿潤な木が横たわっているかのようです。このような建築は、「幸福の谷」で今も現役で使われている同志社大シーモアハウスにも見られたのですが、当時の別荘建築として主流だったのでしょうか? わたしには素朴を通り越して、舞台装置としての“野趣”、茶の湯における侘び寂びのような、意図的なものである気がしてなりませんでした。
 堀辰雄はこの山荘を1941年にアメリカ人スミスから買い求め、4年にわたって毎夏を過ごしたといいます。この家が軽井沢に所有した4番目の別荘というのですから、この地に対する彼の深い思い入れを見てとることができます。内部で見学できるのは二部屋で、一方には大きな暖炉があり、冬でも滞在できる造りです。家具調度も質素な木造りのものが多いなか、室生犀星から贈られた棚や、折り畳み式のテーブルが目を引きました。

 続いて、こちらも作家ゆかりの地、信濃追分にある堀辰雄文学記念館に向かいましょう。1934年(昭和9年)から、堀辰雄はこの地にあった油屋旅館に滞在するようになり、1944年(昭和19年)にはこの地に病身を養いながら居を定めました。

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 大きな門をくぐり抜けると、まずはじめに強い印象をもたらしたのは、豊かな山百合の香りでした。梅雨明けと盛夏の境目、軽井沢ではいたるところで百合が独特の官能的な芳香を漂わせていました。建物まで続く一本道には、青々とした楓の木が日差しを散らしています。これらの楓は、室生犀星から堀辰雄に贈られたものであると学芸員の方から伺いました。

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 今は資料館となっている堀多恵夫人の住まいのすぐ向かいに、まるで茶室のような書庫と、旧堀辰雄邸があります。

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 書庫の蔵書は、堀辰雄自身が夫人に本の並び方を丁寧に指示し作らせたものでしたが、死の10日前に完成し、彼が実際にこれらの並びを見ることはありませんでした。本の分野は哲学、宗教、民俗学、美術、音楽など幅広く、資料館には彼が夫人に託した分類表も残されており、文学好きとしては大変興味深い文献のリストとなっています。

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 堀辰雄が晩年を過ごした家。床の間には川端康成の書が掛けられ、女優の高峰三枝子から贈られた椅子が置かれています。

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 手狭な作業机を新調したばかりのわたしにとって、この卓の小ささには意外な驚きがありました。作品の執筆もここで行われていたのでしょうか。

 一通り見学し終えると、出口のところに「山百合の種 ご自由にお持ち帰りください」と籠に入ったたくさんの包みを見つけました。百合は種から花を咲かせるまで数年かかるそうですが、一度咲けば毎年のようにその優美な姿を見せてくれるのです。わたしは籠から包みを一つを取ると、ポケットにしまいました。裏庭の萼紫陽花の近くに植えたら、きっと美しく咲くでしょう…… 重たげな白い花が群れるさまを、わたしはありありと想像するのでした。
 ところで、今は高原文庫に移築された杉皮張りの別荘ですが、堀辰雄の後に画家夫妻が所有していた折には、ベランダの前に大きな百合が咲き乱れており、そばを通る者の足を止めていたそうです。

 記念館を去るにあたり、振り返りざま、ふいにわたしは、庭園に屹立したその白い立ち姿に天使の翼を見たような気がしました。折りたたまれた翼は夏の風にそよぎ、じっと羽ばたきの瞬間を待っているかのようでした。

青磁

<参考文献>
・『堀辰雄文学記念館 常設展示図録』軽井沢町教育委員会,2001年
・小谷明『デッサンで巡る歴史別荘散歩 軽井沢の古い山荘』軽井沢新聞社,2020年

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