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働き方は自分で決める①

先日。元教員の方達とお話をする機会がありました。
小学校であるか
中学校であるか
高校であるか
支援学校であるか  

また、その人の性格にもよりますが

私が16年間見てきて、結局どこも同じという結論に至るのは
小学校、小学部はどこの学校に行っても、いつの時代も

「しんどそう」

この一言。

なぜそうなるのか・・・
色々考えてみたこともあるけれど

みんなで
一緒に

という全員を同じ目線にしようとする
悪しき(私にとっては)日本の教育の根幹が教員にも根付いているから

どの学校に行っても小学部の先生がいつだって
ダントツ病休率でした。

周りの顔色とか噂ばっかり伺っていたり
やはり義務教育学年ということもあってか、保護者に寄り添っちゃって
寄り添い過ぎちゃって。いや。それやっちゃだめでしょ。
みたいなことをやっちゃう。

歩けば地雷に当たる。
そんなイメージしかありません。正直。。。 

行事の準備とかしても、とても非効率なことが多く
5人くらいいれば済むようなことを全員導入して、結局指示出す人もよくわかっておらず、統制も取られないまま過ぎていく。みたいなことが多い

とにかくみんなでやりたがり過ぎて非効率以外のなんでもない事が多かった。(だいぶ毒を吐きますがごめんなさい)

とりあえず、みんなが仕事に参加する。という建前上のお手伝いをみんなしたがるんです。

入らなくていいバケツリレーの間に無駄に入る。 そんな感じ。

惜しみなく誰かのために時間を使えるって本当に素敵なことです。

でもそれって私は独身だからできた。
家族を持って、我が子を犠牲にしながらその働き方をする魅力ってなんなのか。

私にはその意味は全く見出せません。

正直、、前向きな言葉を、今まで一緒に働いてきた小学部の先生から聞いたことがない。

最後、1年間だけ現職で他府県を受けて小学部で働きましたが、若い教員がとにかく多かったですが、みんな後ろ向き。
若者と喋ってるのに、未来がなかったんです。本当に会話が楽しくなかった。「私には無理」が合言葉

小学校って
色々な呪縛に覆われてる気がするのです。

1年だけ、小学部で働かせてもらって気づいたことがあります。
どの学部よりも、お母さんへの傾聴がいかに大切か。
それが間違っていても。です。

みんな若い。
本当にお母さんを毎日頑張っている。必死なんです。
障害があってもなくても可愛い我が子です。
でも、どこかでこんなはずじゃなかった。とか
きっとよくなるはず。

とか色々な面で受容しきれていなくって
なぜ私が??
こんなに頑張っているのに。
とか、本当に言葉でなんて言い表せられない位の不安と闘っています。
どの世代の人だってもちろんそうですけど、
お母さんたちも成長中。なのです。

高等部で長年働いている人だと、共感してくれる方がいるのかと思うのですが、小学生の時点で、顔つき、周りの大人の対応、家庭方針、保護者との関わり方などを見ると、高等部に上がってきた時、どんなふうになっていくだろう。。というのがなんとなく想像がつきます・・・

肢体不自由のお子さんだと、体の変形や拘縮具合などをみていると次にここに負担がかかって、どこの手術が必要になりそうだとか、肺炎起こさなければいいけどな。。。
そのうち医療的ケアが必要になっていくのかな。。。。
などなど、なんとなく。わかってきます。長年働いていると。

でも、小学部のお母さんたちには、そんな未来を考えている余裕はありません。先読みし過ぎて、助言などもってのほか。
まずまずお母さんの話、気持ちに寄り添うことからが最優先事項のように感じました。
円滑に話を進めるには少し先輩ママが間に入って色々と助言をしてもらうのがお母さんたちもストンと話が入る感じでした。

そこは、支援学校の小学部に限らず、小学校の保護者も同じなのではないかと思うのです。一番手がかかる年頃です。
無闇に一人でほっとけないし、でも仕事もあるし、とにかく体も心も忙しい。

かといって教員はサービス業じゃないし
仕事とプライベートはしっかりと線引きするべきです。

最初に働いた地域はとにかく、個人情報などに厳しく、保護者と携帯交換するだなんてもってのほか。学校を通してちゃんと話をしましょうとのスタンスがとても強く、聞かれてもしっかりと断ることができていました。
(やはり、小・中学部はやりとりたくさんしていましたが)

今でいうパワハラじゃないですが、しっかりと線引きできるかしないかも結局学校の上に立つ人間の裁量次第です。雰囲気がそうさせる。
みんな事なかれ主義で、右にならえですからね。

こちら↓に書いてる内容があてはまるのかな。

ちゃんと自分の意思を持つこと
貫くこと

とても大事だと感じます。

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