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大正3年の『カチューシャの唄』のことなど

九條です。

ずっと以前から気になっていることがありまして…。

松井須磨子さん(1886~1919年)が歌った『カチューシャの唄』。この歌は1914(大正3)年に発表されました。

私は以前、この歌のレコード(戦前のSP版)を持っていて聴いていたのですが、彼女の歌はどうも音程が微妙に不安定といいますか、ほんの少しズレているといいますか…。私にはそういう風に聞こえてしまいます。(>_<)

松井須磨子が歌う『カチューシャの唄』は、いまではYouTubeで公開されていて誰でも聴くことができます。もし興味がおありでしたら、いちどお聴きになってみてください。

松井須磨子『カチューシャの唄』(2分34秒)

【歌詞】
『カチューシャの唄』
(作詞:島村抱月・相馬御風/作曲:中山晋平)

〔一番〕
カチューシャ可愛や
別れの辛さ
せめて淡雪とけぬ間と
神に願いを(ララ)掛けましょうか

〔二番〕
カチューシャ可愛や
別れの辛さ
今宵ひと夜に降る雪の
明日は野山の(ララ)路隠せ

〔三番〕
カチューシャ可愛や
別れの辛さ
せめてまた逢うそれまでは
同じ姿で(ララ)いてたもれ

〔四番〕
カチューシャ可愛や
別れの辛さ
辛い別れの涙のひまに
風は野を吹く(ララ)日はくれる

〔五番〕
カチューシャ可愛や
別れの辛さ
広い野原をとぼとぼと
独り出て行く(ララ)明日の旅

(※歌詞はパブリックドメインとなっています)


わが国に本格的な西洋式の音楽理論を導入したのは瀧廉太郎(1879~1903年)だということですが、松井須磨子の時代にはまだ西洋式の音程や音階といったものはあまり普及していなかったのでしょうか。それとも単に録音が悪いだけでしょうか。または須磨子さんが少しヘタなだけ?(゚O゚)\(-- ;) コラ

ほかにも、明治に大流行した川上音二郎(1864~1911年)の『オッペケペー節』(1891年頃公開か?)も、私には音程が不安定で音がだいぶズレているように聞こえます。面白くて変わった歌です。まだ江戸期の雰囲気が残っているようにも感じます。

川上音二郎『オッペケペー節』(1分41秒)

【歌詞】
『オッペケペー節』
(作詞:不詳/作曲:不詳)

〔前置き?〕
ままにならぬは浮世のならい
ままになるのは米ばかり
ア、オッペケペー、オッペケペッポー、ペッポッポ

〔一番〕
不景気きわまる今日に
細民困窮顧みず
目深に被った高帽子
金の指輪に金時計
権門貴顕に膝を曲げ
芸者幇間たいこに金を蒔き
内には蔵に米を積み
但し冥土のお土産か
地獄で閻魔に面会し
賄賂使うて極楽へ
行けるかへ、行けないよ
オッペケペー、オッペケペッポ、ペッポッポ〜ィ

〔二番〕
親が窮すりゃ緞子の布団
敷て娘は玉の輿
ア、オッペケペ、オッペケペッポ、ペツポッポー
娘の肩掛立派だが
父っあん毛布ケットを腰にまき
どちらも御客を乗せがる
帰り車は駆引きだ
本当に転覆かえしちゃ危ないよ
オヤ、いけないね
オツペケペ、オッペケペッポ、ペッポッポ〜ィ

(※歌詞はパブリックドメインとなっています)


以下は余談ですが…。

明治・大正の「唱歌」は、ほんとうに美しいですねぇ~。たとえば私が好きな歌では、

『仰げば尊し』作者不詳/1884(明治17)年
『夏は来ぬ』小山作之助/1896(明治29)年
『花』瀧廉太郎/1900(明治33)年
『荒城の月』瀧廉太郎/1900(明治33)年
『早春賦』中田章/1913(大正2)年
『朧月夜』岡野貞一/1914(大正3)年
『浜辺の歌』成田為三/1918(大正7)年頃

などなど。

私の出身大学の卒業式では大学全体での式が終わった後、ゼミ生が担当教授の研究室に集まって教授に花束を贈り、教授の前でゼミ生全員で肩を組んで『仰げば尊し』を合唱して感謝の意を伝える事が明治の頃からの伝統となっていました。^_^

閑話休題。
私は唱歌の中ではとりわけ瀧廉太郎の『花』が大好きで、しばしば(とくに春になると)私の頭の中でリピート再生されます。^^;

ご存知のかたが多いかと思いますが、この瀧廉太郎の『花』は1番と2番とでは一箇所だけメロディが違うのですよね。

1番の冒頭の「春のうららの隅田川」と2番の冒頭の「見ずや曙露浴びて」の部分が少しメロディが異なります。

この、ほんのちょっとしたメロディの違いの部分に瀧廉太郎さんの美しくて豊かで繊細な音学家としての感性がキラリと光っているなと感じます。

以下の『花』をぜひ聴いてみてください(これは歌も演奏も素晴らしいと思います)。

瀧廉太郎『花』(2分53秒)

【歌詞】
『花』(作詞:武島羽衣/作曲:瀧廉太郎)

〔一番〕
春のうららの隅田川
のぼくだりの船人が
かいしづくも花と散る
眺めを何に譬うべき

〔二番〕
見ずやあけぼの露浴びて
我にもの言う桜木を
見ずや夕暮れ手を伸べて
我さし招く青柳あおやぎ

〔三番〕
錦織り成す長堤ちょうてい
暮るれば昇る朧月
げに一刻も千金の
眺めを何に譬うべき

(※歌詞はパブリックドメインとなっています)


『花』の詩も美しいですね。1番と3番とは最後の一節「眺めを何に譬うべき」が対応していますね。そして3番の歌詞は蘇軾の詩『春夜』の「春宵一刻値千金」に因んでいるそうです。

「いやぁ、唱歌って、本当にいいもんですね~」(←水野晴郎さんの声で)

美しい日本の情景や日本人の「こゝろ」を詩った明治・大正の唱歌。永く、末永く「日本の歌」として歌い継がれて欲しいなと願います。^_^

©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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