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【古代史 基礎講読 01】聖武天皇のこころ ~大仏造立の詔~

九條です。

いまから1280年ほど前の天平15(743)年10月15日のこと。

聖武天皇は、紫香楽宮しがらきのみや(現在の滋賀県甲賀市信楽町にあったとされる奈良時代の離宮)にて[1]大仏(盧舎那仏るしゃなぶつ)を造ることを発願し、その思いを「大仏造立だいぶつぞうりゅうみことのり」として発布しました[2]。

その聖武天皇の思いを読み解いてみたいと思います。

原文は漢文ですが、読み下してみると非常に美しくてリズミカルで格調高い古代日本(奈良時代)の文章です。ぜひ味わってみてください。

ですから今回の「読み下し」は、いつもよりかなり丁寧に「ふりがな」をつけてみました。^_^

【原文】
朕以薄德 恭承大位 志存兼濟 勤撫人物 雖率土之濱 已霑仁恕 而普天之下 未浴法恩 誠欲賴三寶之威靈 乾坤相泰 脩萬代之福業 動植咸榮 粤以天平十五年歳次癸未十月十五日 發菩薩大願 奉造盧舍那佛金銅像一軀 盡國銅而鎔象 削大山以構堂 廣及法界 為朕智識 遂使同蒙利益 共致菩提 夫 有天下之富者 朕也  有天下之勢者 朕也 以此富勢造此尊像 事也易成 心也難至 但恐徒有勞人 無能感聖 或生誹謗 反墮罪辜 是故 預智識者 懇發至誠 各招介福 宜每日三拜盧舍那佛 自當存念各造盧舍那佛也 如更有人 情願持一枝草一把土 助造像者 恣聽之 此詔 對有意協助者 採包攝態度 異於以往 國郡等司 莫因此事侵擾百姓強令收斂 布告遐邇 知朕意焉

(『続日本紀』天平十五年冬十月条より[3])


【読み下し】
ちん薄徳はくとくもっうやうやしく大位たいいく。こころざし兼済けんさいそんして勤めて人物をす。

率土そっとの浜はすで仁恕じんじょうるおうといえども、しかも普天のもといま法恩ほうおんに浴さず。

誠に三宝の威霊いれいに頼り、乾坤けんこん相泰あいやすらかに万代ばんだい福業ふくごうを修め、動植ことごとく栄えんことを欲す。

ここに天平十五のとしほし癸未みずのとひつじやどる十月十五日をもって菩薩の大願たいがんおこし、盧舎那仏るしゃなぶつの金銅の像一たいを造り奉る。

国銅をつくしてかたちとかし、大山たいさんを削りてもって堂を構え、広く法界ほっかいに及ぼしてちんが知識[4]となし、ついには同じく利益りやくこうむらしめ、共に菩提を致さしめん。

それ天下のたもつ者はちんなり。天下のせいたもつ者もちんなり。富勢ふせいもっの尊像を造る。事や成り易く心や至り難し。

ただ恐らくはいたづらに人を労することりて、ひじりを感ずることなく、あるい誹訪ひぼうを生じて罪辜ざいこせんことを。

の故に知識に預る者はねんごろに至誠をほっし、おのおのおおいなる福を招き、よろし日毎ひごと盧舎那仏るしゃなぶつ三拝さんはいすべし。

おのずかまさおもいそんし、おのおの盧舎那仏るしゃなぶつを造るべし。

更に人の一枝いっしそう一把いっぱもって像を助け造らんことをこころに願う者らば、ほしいままにこれをゆるせ。

国郡くにこおり等のつかさの事にりて、百姓ひゃくせい[5]を侵擾しんじょうしてあながち収斂しゅうれんせしむることなかれ。

遐邇かじに布告してちんが意を知らしめよ。

(九條による読み下し)


【意味(現代語訳)】
私は徳の薄い身でありながら、ありがたくも天皇の位を受け継ぎ、その志は広く人々を救うことにあるとの信念をもって、人々を慈むことに努めて参りました。

私は天皇として、その人々に対する思いやりと敬愛の心は、私の努力によって国土の隅々にまで尽くすことができるだろうと思います。しかしさらに深く今この国のことを思うと、仏の法恩には、天下のもの一切が浴しているとは思われません。

ですから私はこの国を治める者として、三宝(仏・法・僧)の威光とその力を頼りとし、そうすることによって天地ともに安泰となるよう願っています。そのために今、万代までの幸せを願う事業を起こして、草、木、動物など、この世の生きとし生けるもの全てが繁栄することを心より望んでいます。

そこで私は、この天平十五年の癸未みずのとひつじとなった十月十五日をもって、人々を導く菩薩(仏の弟子)として、盧舎那仏るしゃなぶつの金銅像一体を造る大いなる願いをここに発します。

国中の銅を尽くしてその像を造り、大きな山を削ってその仏堂を建て、仏の教えをあまねくこの世の隅々にまで広め、これを私の発願による仏道修行の功徳(知識)としたいと願います。

そしてこの事業が成功したならば、私も国中の人々も、ともに同じく仏の功徳を受け、ともに仏の悟りの境地へと至ることができるでしょう。

いま、天下の富は天皇である私のもとへと集約されています。天下に号令するその力は天皇である私にあります。ですから天皇としてのその富と権力に頼って、強権を用いて上記のような仏の像を造ることは簡単であるでしょうし、その成就への道も容易かも知れません。しかしそれでは私の大いなる願いが果たされることはありません。

いたずらに人々を酷使して労苦を強いてはこの事業の尊い意義は失われるでしょう。あるいはこの事業そのものが人々の心の中に憎悪の念を生み出して罪を作り出すようなことがあってはなりません。

ですから、この事業に参加する人は、それぞれが心からの誠意と真心をもって、皆に大きな幸せを招くよう廬舎那仏るしゃなぶつを敬い、自らの意思でこの事業に参加するようにして欲しいと願っています。

そして、もし、たった一本の枝や、草や、一握りの土であっても、それをこの事業に捧げて大仏造立の助けになることを願う人があれば、それを断ることなくその望みの通りに受け入れなければなりません。

国司や郡司といった役人においては、この大仏造立の事業の名のもとに人々の暮らしに介入したり、人々に強いて物を供出させたりするようなことは、あってはなりません。

みやこからの遠近を問わず、国中にこのみことのりを布告して、私のこの志を人々にしっかりと伝えてください。

(九條による現代語訳)


【註】
[1]恭仁宮という説もあり。
[2]律令下においては基本的には天子による臨時の意思表示を「詔」とし、常時ものを「勅」とした(『令義解』による)。
[3]国史大系版『続日本紀』(前編)吉川弘文館 1974年
[4]知識=(仏教では)功徳を積む行為。転じて(おもに古代においては)仏教の信者やその集団。
[5]百姓(ひゃくせい)=国の民。


※1997年に行なった市民講座向けの講義ノートから抜粋しました。


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