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人と学問とChatGPTと

九條です。

私はコンピュータやコンピュータネットワークについては何もわからない素人なのですが、ChatGPTとはAIの進化系と理解して良いのでしょうか?

AIもそうだと思いますが、ChatGPTはインターネット上の膨大な量の情報を瞬時に(または事前に)検索・学習して「模範解答」を導き出す。簡単に(大雑把に)言えばそういう仕組みなのでしょうか?

すると、そこには致命的な問題があると思います。

そもそも、研究者(学者)やその道の専門家(プロ)は、自身の知識の本質部分(すなわち自説の思考のプロセスなど)はインターネット上では公表しないものです。学界で論文などを書いて発表します。

インターネット上で公表するのは、その結果であり思考のプロセスの表面的なごく一部分でしかありません。私もそうです。それすらしない人も多いです。

そもそも、思考のプロセスという形而上学的な現象は文字や言葉(言語)という形而下に表現することは甚だ難しいものです。

ですからプロは、例えば1つの論文に対して何度も何度も違った視点から読み込んで、註に示されている多くの文献や資料等を(検証する意味で)自分の目でしっかりと確認し、そういう地道な作業を長い時間を掛けて繰り返して、そうしてその論文を書いた筆者の(文字には現されていない)思考のプロセスを理解するわけです。

その上で賛同したり反論したりします。

ですから、インターネット上で公開されている情報をいくら(何万、何億と)寄せ集めたとしても、それだけでは表面的な薄っぺらい結果論の寄せ集めでしかなく、人の思考のプロセスには一歩も踏み込めていないと言う結果に至ると思います。

中学生や高校生の学習テストの「模範解答」や「小論文」程度ならばそれで満点を取れるのかも知れませんが、それ以上の学問的な、たとえば大学でのレポートなどとなると及第点には至らないと思います。

「原典にあたる」
そして
「自分で考える」

ということは、どのような分野の学問でも(その各々の方法論は違っていても)、根幹にあたる共通する基本中の基本だと思います。

ですから、インターネット上の情報を寄せ集めてそれをもとにした(ましてやChatGPTなどで生成した)ようなレポートは、大学をはじめとした研究機関では受け付けてもらえない(門前払いされる)のは、当然だと思います。

人は「考える」生き物です。

人が「自分で調べ」「自分で考える」ことを放棄し、他人の(その思考のプロセスを抜きにした)結果論ばかりの情報を寄せ集めるだけに満足してしまえば、人としての知性はやがて失われるのではないかと思います。それは「文化の消失」を意味すると思います。

人は「神仏」すら信じなくなり、他者の想いが想像できなくなり、やがてAIを神として崇めるようになるのかも知れません。

はるか紀元前の古代ギリシアの時代に生まれた諸学問そして人間性の追求は、いま失われる危機にあるのではないかと感じる今日この頃です。

©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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