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古代仏教とお葬式 〜神々と仏の接点〜

九條です。

歴史好きの人や仏教に関心がおありの方ならご存知かと思うのですが、奈良仏教(南都六宗)では、いまでも奈良時代からの伝統を守り続けているのでお葬式は致しません。

日本でお葬式を仏教形式でするようになったのは平安時代の頃からだと考えられているのですが、具体的にその詳しい年代まではよく分かっていないのです。

古い例で申しますと、平安時代中期の中宮定子(西暦977〜1001年:清少納言が仕えた人)は、神道式でお葬式をしていることが分かっています[1]。ちょうどその頃に市井で活躍していた空也くうや上人(西暦903〜972年:空也聖くうやひじり)は、人々を仏教式で葬った(火葬した)とされています[2]。

ただ、お葬式は神道式で追善供養は仏教式という例は、飛鳥時代の厩戸皇子うまやとのみこ(聖徳太子:西暦574〜622年)の頃からあります[3]。

また、我が国で初めて火葬された天皇は持統天皇だとされています[4]。

このように見てくると、お葬式と火葬と追善供養とは、古代(なかでもとりわけ古い時代)には別々の概念であったことが読み取れると思います。

ですから、亡くなった人を仏教で追善供養する例は古くからありましたが、仏教とお葬式とが接点を持ったのは、やはり平安時代の中頃からかなと思います。ちょうどその頃には神仏習合思想も流行し始めますね。

奈良仏教が誕生した奈良時代は、お葬式は古墳時代からの伝統(古代の神道の形式)に従うことが多かったようです。そして現在の奈良仏教では他宗派さんにお願いすることが基本となっています。

ウチは法相宗(南都六宗のうちのひとつ)ですから、法相宗でお葬式をすることはなく(そもそも冒頭で述べたように法相宗をはじめとした南都六宗にはお葬式は存在しないので)、お葬式は浄土宗のお寺さまにお願いしています。

ただ私は、命終わったあとには、まだ何十回、もしかしたら何百回、何千回もこの世に生まれ変わって修行を積むことになるのかも知れないのですが、最終的には(古代寺院の多くのご本尊となっている)薬師如来の浄土(薬師浄土)である東方浄瑠璃世界とうほうじょうるりせかいに生まれ変わりたいなと願っています。阿弥陀様の浄土(阿弥陀浄土)である西方極楽世界は私には馴染めなさそうなので。^^;


【註】
1)『栄華物語』第七巻
2)『空也誄』/『日本往生極楽記』等
3)「法隆寺金堂釈迦三尊像銘」/「法隆寺金堂薬師如来像銘」/『上宮聖徳法王帝説』(「天寿国繍帳」銘文)等
4)『続日本紀』巻第三

©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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