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新選組オタクが尊王攘夷を感じに行った~山口の旅 前編

 こんにちは、もいです。
 一ヶ月ほど前にはなるのですが、ちょろっと山口にドライブへ行ってきたので、そのレポをまとめようと久々にnoteを書きました。
 今まで旅行に行っても写真を撮るだけで記録には残していないので、忘れないためにもnoteにしたためていこうと思います。
 新選組オタと書いてはいますが、日本史(歴史全般)からっきしダメな人間で、知識は漫画やゲーム、映画などのエンタメから得たものが多めです。
 歴史に詳しい方からしたら「なんじゃこのレポ!けしからん!」と思うかもしれませんが、一旅行者が感じたことをまとめたレポと思って暖かい目で読んでいただけると幸いです。


何故山口に行こうと思ったのか

 福岡に住む私にとって、山口は身近な存在でした。だけど、それは下関までの話。それより先にはほとんど行ったことがなく、幼いころに秋吉台に行ったか否かくらいの記憶でした。
 で、そんな私がなぜ下関より先に行こうかと思ったかというと、ずばり「尊王攘夷から見た幕末を知りたい」と思ったからです。
 高校生の頃、某新選組漫画を読んでから新選組にはまった私は、大学のころに新選組のスポット巡りに京都へ行ったり、歴史書物を読み漁ったりと、とにかく新選組が大好きで、幕末時代も新選組側(幕府側?)からしか歴史を見ていませんでした。
 しかし、歴史というのは一方向から見ても読み解けるものではなく、やはり多角的に見なければ本当の歴史は見えてこない。そう思って、今回は明治維新の祖である吉田松陰を祀る松陰神社に行こうと思い、山口の旅に出ることにしました。

ざっくりした旅程

 普段旅行の予定なんて大枠でしか組まないので今回もほぼ行き当たりばったりだったのですが、主なルートは下記の通りとなりました。

1.松陰神社
2.吉田松陰の墓及び墓所
3.東光寺
4.道の駅 萩往還
5.毛利博物館
6.防府天満宮

 ぶっちゃけ行きたい場所は「松陰神社」と「防府天満宮」だけだったのですが、道中寄り道をしていろいろと立ち寄れたからすごく楽しかったです。

いざ出発

めかりPAへ立ち寄り

 8月29日7:45。自宅を出発し、九州道に乗ってまずはめかりPAに立ち寄りました。

 何度も行ったことある関門海峡ですが、めかり公園より高いのでしょうか?門司港も下関も一望できて、目の前には大きな関門橋は大迫力でした。
 家を出る時間も早かったので、売店でおにぎりとちくわ、眠気覚ましにコーヒーを買いました。
 限定で海老名PAのメロンパンが売っていたり、たい焼きならぬふく焼きが売っていたりと、10年ほど前に立ち寄った時よりもかなりパワーアップしていたので立ち寄るだけでとても楽しかったです。

 それから山口県に突入し、2時間以上車を走らせてようやく萩市へと突入。
 道中すごく不思議だったのが、街中にある看板の色がなんか変なんです。何が変って、ドコモやユニクロなど、通常は赤いであろう看板の色がどれも茶色の色に変換されているのです。
 一人で運転していたから写真がなくて申し訳ないんですが、まるでこの町から赤色が取り上げられたように、それは本当に不思議な光景でした。
 だけど調べてみると、ちゃんと看板の色が茶色いのには理由があったようですね。(詳しくはこちらのブログ様を読まれてください。)

松陰神社

 そんなこんなでようやく松陰神社へ到着。
 平日ということもあってか、境内にはそんなに人はおらず落ち着いた雰囲気でした。
 松下村塾が世界遺産に登録されたのもあってか、立派なロータリー?があったり、かなり整備された印象。
 入ってすぐに大きな鳥居がありました。

 左側にあるのは「吉田松陰歴史館」で、10/30までは工事中のようでした……。吉田松陰について知りたかったのでちょっと残念でしたが、衝立の一部がアクリル板?になっていて、石碑が見えるようになっていました。

 若干反射しているのはアクリル板のせいですね。
 公式サイトによると、明治維新100年を記念し1968年に建立されたものらしいです。また、石碑に書かれている「明治維新胎動之地」は、佐藤栄作元首相が書かれた文字みたいです。(今更知ったのですが、佐藤栄作元首相って、山口県出身なんですね。)

 で、鳥居をくぐるとその先にある大きな石碑。

 この石碑に彫られているのは、吉田松陰のもっとも有名な短歌である「親思ふ こころにまさる親心 けふの音づれ 何ときくらむ」です。
 です。と言い切ったもの実は私、日本史がからっきしダメで、ゲームや漫画で得た知識しかありませんでした。だからこの短歌が読まれた背景も全く知らなかったし、なぜそれが石碑になっているのかもよくわかりませんでした。(しかし、この後立ち寄った施設でようやく吉田松陰の生涯を知ることができたのです。)

 石碑に立ち寄ると、そこは二股の道となっていました。左に行けば「学びの道」で、右に行けば本殿へと続く道。どうせ境内をぐるっと回るのなら先に「学びの道」に行くか、と思い二股の道は左に進むことにしました。
 学びの道では、吉田松陰が生涯に読んだ句が飾られていました。道の左右に設置されており、ゆったり一つ一つ読んでいきながらお散歩するのに丁度よさそうな感じでした。

 そして「学びの道」を抜けると見えてくるのが「松門神社」。こちらには吉田松陰の塾生・門下生が祀られているとのことでした。その左わきには「萩の乱」で亡くなられた方を祀る石碑もありました。

 本当にひっそりとした感じだったので、気に留めず素通りする人もいるんじゃないのかな……と思いました。
 もともとは違う場所にあったようなのですが、いろいろな理由でこの場所に移されたとのこと。あえて松門神社の傍に建てたのかな、と思うと何となくこの位置にあるのも納得でした。

 そして、松門神社から左に向かうとようやく見えた本殿、松陰神社です。

 左右にあるのはおみくじで、そのさらに外側には学業成就の絵馬がたくさん飾られていました。
 私も一枚おみくじを引いてみて、結果はこの通り。

 旅に関してはなかなか良い啓示で、恋愛の「ちょっと待ちなさい」はなんか人っぽくて笑っちゃいました。うん、こういうの好き。

 この時近くに観光客とガイドさんがいらっしゃったのですが、その際ガイドさんが「松陰神社のご神体は、松陰先生が使われていた硯なんですよ」と説明をされていました。
 普段神社に行ってもご神体なんて気にしたことなかったのですが、最近刀剣乱舞をやっているのもあって「ご神体は、吉田松陰が愛用していた硯なのか……付喪神」とオタクの悪いところが出てしまいました。

 さて、本殿でのお参りを済ませて参道へと向かいます。
 そこに見えたのは、世界文化遺産にも登録された二つの建物でした。

 吉田松陰幽囚ノ旧宅。
 2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして登録された史跡です。黒船に乗り込もうとしたけれど失敗し捕らえられた吉田松陰が、萩で謹慎生活を送る際に使われていた建物のようです。

 世界文化遺産だけでなく、国指定史跡でもあるようです。

 建物としては本当に古民家といった形で建っており、雨風をどうやってしのいでいるんだろう……。とちょっと疑問に思いました。

 そしてその隣にあるのが、かの有名な松下村塾。

 奥には吉田松陰の肖像画などが飾られており、ここに日本を大きく変えた幕末志士たちが集い学んでいたんだと思うと、すごく不思議な感覚になりました。

 こちらも国指定史跡。
 部屋の中には、松下村塾の塾生たちの写真や肖像画も飾られていました。

 私が映り込んでしまっているのですが、並ぶのはどれも教科書で見たことある人ばかりで、松下村塾がいかに幕末、明治維新、ひいてはこれからの日本に大きく影響を与えた場所なのかと肌で感じることができました。

 そのあとは、宝物殿でもある至誠館へと立ち寄り。
 入場料500円かかるけど、吉田松陰のことをもっと詳しく知るには立ち寄らねば、と思い入りました。
 中は無料ゾーンと有料ゾーンに分かれており、無料ゾーンではお土産を買ったり、吉田松陰のでっかい年表パネルを見たりできました。有料ゾーンでは、吉田松陰の様々な展示物をはじめ、期間限定?で安倍元首相の大きな書も展示されていました。
 館内はすべて撮影NGだったので写真は何もないのですが、吉田松陰がなぜ尊王攘夷を目指したのか、教科書だけでは学ぶことのできない歴史が詰まっている施設でした。

前半のまとめ

 というわけで、目的地だった松陰神社のレポでした。
 写真を交えるとかなり長くなったので、いったんここで区切って三編に分けてまとめようと思います。

 まだ立ち寄ったスポットとしては松陰神社だけになりますが、それでも吉田松陰をはじめ明治維新の志士たちについて知って、感じることのできる、とても重要なスポットなんだな、と改めて思いました。
 また、吉田松陰は「松陰先生」と呼ばれており、いかに萩の人たちに愛されているのかも肌で感じることができました。
 いやー、本当に行ってよかったなーと思える場所でした。
 吉田松陰歴史館は工事中だったので、完成された際はぜひまた立ち寄ってみたいです。

 まだまだこの後いろんな場所に行ったので、写真も交えつつレポ続けていきたいです。

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