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それはデパートの屋上から始まった

多くの方にお読み頂いて、スキまでくださり
ありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します(図々しい(笑))

思い出のモノに触れると当時の良い事や悪い事まで蘇ってきますね。
サイコメトラーEIJIみたいに。

今回は前回と前々回に則した内容となっています。

就活にまつわる体験談になっていますが、
いつも通りの思い出話です(笑)

今こそ夢を叶える時

"ゲームを作りたい"という事を目標を掲げて10代を駆けていた頃。

技術だけでなく知識や歴史と教われない部分は独力で勉強して、満を持しての就活開始!
…でありましたが、バッチリ就職氷河期ど真ん中(笑)

努力してきたと言ってもライバルは4大や院卒と言った年上の方ばかり。努力でも負けていたのでしょう。
奇跡的(?)に作品選考に歩を進められたり、プレゼンテーションまで勝ち上がれた会社はあっても、逆にコテンパンにされて全戦全敗。
結果的にゲーム会社でゲームを作る事は叶いませんでした…。

のべ4.50社ほど受けたところでムリだと思った時には、もう"秋深し"
多少なりとも自信があっただけに
「お、おしまいだ…」と"ブロリー戦のベジータ状態"になったのは今も忘れません。

ベコベコに打ちのめされた後に残ったのは、
それでも「人を喜んでもらう現場に携わりたい」という事でした。


成りたい姿の源流を辿ってみた

自分はそもそもやりたい事の側面として
「周り人間と違う生き方がしたい」
という"ハイパー天邪鬼モード全開"なのがキッカケなのでした。

それが転じて
「自分の個性を通じて人を楽しませたい」

という思いになり、ゲームやアニメと言った作品に触れた事で創作に興味を持って
「自分でもやってみよう」→「コレだッ!」
…だからゲームは「人を楽しませる手段」だったり方法でした。

就活に失敗して、ゲームはムリでも何か無いかと考えたら"小説を書いている事"を武器“として、手段を変えようと思い「シナリオライター」を目指す方向へと転換して行きました。
(今思えばそれも安易で浅はかですが(笑))

その方向転換が功を奏してサンライズ…へは行けませんでしたが、どこぞに受かっちゃったので結果オーライ。

前回の記事でアニメーションに変な詳しさがあるのはコレが理由です。

…ただこの選択は"終わりの始まり"でもあり……。
そのお話しは今度ご紹介します。


それはデパートの屋上から始まった

「人を楽しませたい」という事が基盤になった出発点はデパートの屋上に居た、お兄さんやお姉さんです。

1980年代…ロードサイドの百貨店の屋上は、当時の子供たちからしたら、地元にあるちょっとした遊園地のようでした。

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親が買い物に行く時はいつも一緒について行き、
母から貰った数百円を握って、屋上へ駆け上がった先は僕にとって最高の遊び場であり、楽園です。

10円単位でペダルを踏んだら動くカートや、単に上下しかしないロボットのようなモノ。
50円で出来た平面筐体のゲーム。メダルで出来るジャンケンマシーンなど…。

そのお兄さんやお姉さんは、はしゃいで走り回った自分を時には叱り、母が来ないで泣いた時はずっと一緒に居てくれたり、ゲームの攻略を教えてくれたり。

いつの頃からか屋上に行く事が、お兄さんやお姉さんに会う事に変わっていました。

そして学校の事、ゲームの事、遊びや、悩みとか…何か色々話した気がします。
今思えば"相当ヒマしてる"事になっちゃうんですけどね(笑)

僕はあの頃の彼らに憧れていたんだと思います。

本質を持ってると何かとラクだった

よく「何がしたいんだ」と厳密に追求されたり、自問自答したりする事はあると思います。
時代や環境によってその辺は変わってしまうと思いますし、それなよって己の心境もだいぶ変わります。
だから定型文的に物事を捉えずに居る方がラクな気がします。

僕はそう言う時代の人間ですから、
「夢は職業」でした。大体の人間が。
それ自体は否定しません。僕はそれで今があります。
でも夢が職業である必要はありません。

このコトバで良いのか何とも言えませんけど
「やらずに悔いるより、やって後悔」

みたいなカンジで、興味ある事、身に付けたい事は片っ端からチャレンジし続けての今です。
決して良い事ばかりじゃなくツラい事の方が多かった話ですが「自分で選んだやりたい事」なので、今振り返れば結構身になっているんだなと感じましたね。

その後カタチは違えど

アニメーション会社を辞めた後、僕はゲーム会社系のテーマパークに勤めました。

「自分の個性を通じて人を楽しませたい」という思いはずっとあったので、今度は自ら演者としてアトラクションというゲームの住人に成り切って"一緒に楽しむ"という事がしてみたかったからです。
ゲーム性もあり利用者の大半は子ども、子どもは好きでしたからナンダカンダで「デパートの屋上のスタッフのようなヒト」になれた訳です。

そこから10年程経った時、僕はイベント会社に居ました。
主にMCを務めながら企画にも携わり、初めて企画してやったのが「謎解きゲーム」です。

ちょうど"謎解き、リアル脱出ゲーム"が頻繁にメディアで取り上げられてブームになっていた2010年代前半の事。

企画原案、設定、脚本、そしてゲーム制作。
自らもキャストとして、仲間と一緒に
「本格的な小芝居を交えて謎解きゲームを展開していくと言うものでした」

ゲーム会社でコンシューマーハードで作る事は出来ませんでしたが「自分の作ったゲームを通じて楽しんでもらいたい」という夢は叶った訳です。

今は大きく環境も変わって、これまで話した事とは全く別の業界で全く違う仕事内容なのですが(笑)

過去に色々してきた仕事のお陰で、
仕事の業務内容の一部分が好きだったり、
あとは自分のスタンスが確立されたのもあって、とても充実しています。

今回の記事は「こう言う生き方をした人も居るんですよー」的なご紹介でした。

最後までお読みくださりありがとうございます。
新しい試みで作ったので、上手くいって居れば良いのだけど…(笑)

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