進化と変化とみーちゃんと
友人みーちゃんの記事
この記事を見たみーちゃんから「この私、布団被れてなくない?」と連絡がきた
確かに肩周り寒そうだねなんて二人で笑いました
絵って難しい
みーちゃんからは「基本的に私のことは、なんでも書いてくれ」だなんて言われている
初めの頃、自分の記事で友人のことを濃く描くのはどうだろうとか時代的に気つかうな〜なんて思ったりもしていたけど慣れた
そして二人で楽しんでいる
自分自身のことも赤裸々に、ついでにみーちゃんのことも振り返ったり整理してみよう…ってね
一緒にいる時間が多かったから書きたいことは沢山ある
何していたって何を書いたってどう取られるかは分からないんだから、みーちゃんと私が良ければそれでいいかなんて思えた
他人の気持ちばかり先回りして考えるのは疲れるだけで意味がないしね
なんか言いたい人は言うしいるんだしいなくならないし
全員に好かれるだなんて無理なのに、いい人でいたかった
私がやっていたのは他人にとって都合がいい人
そんなものはもういらない
考え方って変わるものだ
まだまだ色々と思っちゃうけどね
自分の人生を生きたくなった
どんなに良いことだったとしても、悪気がないとしても受け取り方は人それぞれなんだし…
ビクビク他人の顔色ばかり気にして生きていた私が少しそう思えるようになったのもnoteで気持ちを整理できたおかげかな
誰かに嫌われないように
誰かの望むように身を削ってでも頑張る
そんなことをしていたって嫌われる時は嫌われるんだから、むしろ好かれるより嫌われた方がいいのになんて過去の出来事については思う
馬鹿みたいに他人の気持ちを優先して望むように合わせて合わせて過ごしていた
本当に馬鹿
その人たちは私に何もくれないよって言いたい
noteをなぜ、まだ続けているかって言ったら気持ちの整理と思い出づくり
文字を起こすと、なんだかスッキリするので一番メンタルが整うお薬なんじゃないかなって思っている
noteって平和
良い人ばかりだから覗きたくなる
だから、目標達成した後もなんやかんや続けていられる
文字から伝わる人間性
素敵な人が多いんだよね
なんて素晴らしい平和な世界
昔はネットって怖かったけど使う人が増えた分、民度が高い場所が増えた
なんでなんだろうな…不思議だね
それも私の想像でしかないかもしれないけど、noteで出会う記事全てと言っていいほど魅力的だから本人もきっと魅力的な人だって思える
きっとそう
会ったことなんかないのに絶対に素敵な人だってわかる
仲良しみーちゃん
みーちゃんの記事を何日も書かない日が続くと本人からリクエストがくるくらいだ
何度も読み返してくれている
みーちゃんはみーちゃんの記事が好きらしい
初期のみーちゃん
今のキャラデザインの方が気に入っていたりする
この頃を二人で見返していて「なんか遠慮があるね」「中途半端だね」なんて話した
そ、そりゃね…
どんなふうに書いていいかわからなかったからね
アップ前に、こんなふうに書きました
あげますって言っていたくらい
今はそのうち読むだろう
読んだよって感想くれる
そんな感じ
新しいコミュニケーション
noteは気持ちの整理と思い出を保管する場所になっていたりする
なんやかんやで二人の場所にもなっていたりする
感覚としては私の部屋にみーちゃんが遊びに来ている感じ
振り返ると周りも自分も変化しているね
楽しいね
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