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嘘の背後に隠される、私たちの本当の気持ち:映画『ディア・エヴァン・ハンセン』

臨床心理士の冬木カウンセラーによる「映画で学ぶ心理学」シリーズ。
有名作品から、知る人ぞ知る作品まで、様々な映画作品をテーマに心理学を探索します。


冬木 更紗
心理学学位および臨床心理学専攻修士取得。療育センターにて就学前の子どもを対象に応用行動分析に基づくグループ指導経験あり。臨床心理士および公認心理師取得後、精神科・心療内科にてカウンセリングを行なっている。また、WAIS-IV知能検査やエゴグラムなどの心理検査も実施経験が豊富。

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あらすじ

皆さんは「嘘をつくこと」「嘘をつかれること」について、どのように考えていますか?
今回紹介するのは、2021年にアメリカで公開されたミュージカル映画『ディア・エヴァン・ハンセン』です。

主人公は、社交不安障害とうつ病と診断され、精神科に通いながら、友達もなく、母にも心を開けずに過ごす17歳の少年エヴァン。

ある日、木から落ちて骨折したエヴァンは、真っ白なギプスをはめて学校に登校します。
精神科のセラピストから自分自身へ向けて手紙を書くように言われていたエヴァンは、授業中に手紙を書き上げ、図書館で印刷しようとします。
すると、そこに乱暴者で周囲から「変わり者」と疎まれている同級生のコナーがやってきました。

コナーはエヴァンのギプスを目にすると「これで親友のふりができるな」と言い、エヴァンのギプスに大きく「コナー」と自分の名前をサインします。
その時、エヴァンの手紙に気づいたコナーは、手紙を取り上げてしまいます。
エヴァンは自分の手紙がSNSで公開されるのではないかと怯えます。

しかし、ある日コナーの両親に学校で呼び出され、コナーが自殺したと知らされます。
コナーの両親は、エヴァンの腕のギプスに書かれた「コナー」という文字を目にして、目を輝かせます。
彼らは、息子が持っていた例のエヴァンの手紙を目にし、エヴァンのことを友人だと思い込んでいたのです。

エヴァンは、残されたコナーの両親と妹に、自分がコナーの親友であったという嘘をつくことに決めたのでした。


嘘を信じる、という心の防衛

物語が進むにつれ、コナーの家族は段々とエヴァンを親友だと確信を持つようになります。

家族にとって、乱暴者で急に機嫌を損ねるコナーは、扱いが難しく、厄介な問題でした。
しかし、コナーが自ら命を絶ったとき、家族がコナーの孤独な心を埋められていなかったという事実は、家族にとって受け入れ難いものだったはずです。

家族の心には、抱えきれないほどの無力感や、罪悪感が生まれたかもしれません。そして、コナーの喪失は、家族それぞれが抱える孤独をより一層強くしたかもしれません。

「コナーにはエヴァンという親友がいた」という嘘を強く信じさせたもの。

それはエヴァンの嘘を重ねる努力だけでなく、家族がそれぞれに抱えた孤独感への抵抗、悲しみを先延ばしにするための時間稼ぎであり、事実を否認し希望を求める心のエネルギーの片鱗であったと言えるでしょう。


嘘をつく、という心の防衛

この物語には多くの嘘が登場します。

コナーは、自分と似た孤独を抱えるエヴァンに「親友のふりができる」と言ってギプスにサインします。
エヴァンは、亡くなったコナーと親友であったという嘘をつきます。
生徒会長を務めるアラナは、精神疾患を抱えながらも完璧な自分を演じてさまざまな活動に尽力します。

その背景には、他者と関わりたいけれど、真の自分では受け入れてもらえないのではないかと考えて自分を偽ってしまう、そんな共通点がうかがえます。

もしかしたら、コナーは乱暴者として他者を遠ざけることで、自分自身の弱さを隠そうとしていたのかもしれません。

彼らにとって、嘘は「孤独を紛らわす方法」であり、同時に「人と関わる手段」なのです。
しかし、心の底では「本当の自分に気づいてほしい」「自分の弱さや欠点も愛してほしい」と思っているのです。

ここでもやはり、嘘をつくことは、本来の自分が愛されないのではないかという不安に対する心の防衛であると考えられます。
そして、事実と向き合うだけの心のエネルギーを回復するために必要な時間稼ぎであるとも考えられます。

この物語は、エヴァンが最も隠したかった自分の弱さの象徴的なエピソードである「骨折の理由」を母親に打ち明け、抱きしめられて幕を閉じます。

エヴァンは嘘の力で人と関わり、自分を癒すことで、やっと事実と向き合う準備ができたのです。

コナーの家族やエヴァンはこの後、自分自身の弱さや、コナーが孤独だったことなど、受け入れ難い事実と向き合わなければなりません。
映画が終わってから過酷な物語が新たに始まるような、スタート地点に立たされるようなそんな気持ちになりました。


私たちの嘘

通常、嘘は「悪いもの」と考えられています。
なぜなら、嘘が心の痛みを伴うものだからです。

騙したいという気持ちがあろうとなかろうと、嘘をつく側には罪悪感が生じます(無意識あるいは意識的に)。

嘘をつかれた人は、それを知った時に裏切られたと感じたり、気づけなかった自分を責めたりします。

それでも、私たちは人に嘘をつきます。

大切な人と関わるときに、自分がありのままの「自分」を受け入れる準備ができているとは限りません。
自分でさえ嫌いな「自分」を、他者に打ち明けることは大きな勇気が必要でしょう。

受け入れられたいという気持ちや、他者の評価を懸念する気持ちは、親密な相手にほど強く感じるかもしれません

他者と自分の関係性を変えたいと思って嘘をつくこともあるかもしれません。他者に事実を受け入れる準備がまだ無いと感じて、傷つけるのを恐れてつく嘘もあるでしょう。

また、嘘の中には、自分さえ知らなかった真実が隠されていることもあります。

自分が思わずついてしまった嘘、一見理由がわからないような他者の嘘の背景には、守りたい信念や他者に踏み入れてほしくない大事なもの、壊したくない自分や他者の気持ちが隠されているかもしれません。


文:冬木 更紗
編集:メザニン広報室

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