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ルールは対処療法、モラルは原因療法。

先週末、約10年振りにプールに行った。

子供の頃とは違って、僕の首からは防水ケースがぶら下がり、その中にはスマホとお金が。

父にお金をもらって焼きそばを買いに行っていたあの頃の少年はもういない。

スライダーに心躍らせ、造波プールで思いっきりジャンプしていた少年もいない。

代わりに貴重品の管理は大丈夫か、日焼け止めは塗り残しがないか、などを気にする大人びた僕がそこにはいて、僕よりひとまわりもふたまわりも小さな新しい世代の少年少女たちがプールを満喫していた。

プールの監視員さんは相も変わらず大変そうで、「飛び込まないでくださ〜い」と気だるげに注意する。

飛び込み禁止!なんて言われなくてもしないのになぁ、と思った矢先に視界の隅で高校生くらいの男子グループが飛び込んでいく。

監視員さんの声が大きくなる。

そんな光景を見ていた僕は、その後普通にプールを楽しみ、後日筋肉痛になった。

そして数日後の今、日焼け跡のヒリヒリと共に記事を書く。


話を本題に移そう。

ルールや規制、そしてモラルの話。

プールの飛び込みの何が危ないって

・人が多いからぶつかる可能性
・水深が低いから身体を床に強打する可能性

この辺りだと思う。

少し考えればなんとなくわかる。

考えてわかることなら禁止にする必要はなくない?って思ったんだけど、全員が全員ここまで考えないんだよね、世の中。

こんな人混みの中、飛び込んでくるわけない。
このくらいの人混みなら、飛び込んでも平気。

こうした意識とモラルの差から事故が起きて、規制やルールが設けられていく。


最近、サウナでも似たようなことを感じた。

「大きな声での会話はお控えください。」

コロナ禍前後とサウナブーム前後でこうした張り紙は増えたように思う。

集中している人もいる密閉空間で長いこと大きな声で会話をしていたら邪魔になることくらい少し考えればわかるはず。

ましてやコロナ禍だったら飛沫とか気になるだろうしね。

だけど一緒に来た友達と「そろそろ出る?」とか「このテレビ番組何?」くらいの軽いやり取りを耳打ちですることは果たして禁じられるほどのことだろうか?

実際、「会話はお控えください。」の張り紙のあるサウナで恐らく知らない人同士が「ここ、時計あります?/故障してるみたいですよ。」と耳打ちで会話をしていたのを見たことがあるが、あのやり取りにはなんの問題性も感じなかったし、そこにいた誰も注意なんてしていなかった。

自分の行動を客観視できず、他者の気持ちを思いやれない人らがしてしまうモラルに欠けた行動が問題なのであって、飛び込みや会話の行為そのものは絶対的な悪ではない。

これが僕の持論だ。

だが結局のところ、それを上手に切り分ける術がないからルールや規制といった誰にでもわかるもので禁じていく。

実際、ルールや規制を設けた結果、そうした事故や迷惑行為は減るだろう。

ただそれって対処療法でしかなくない?

他人を思いやれないモラルに欠けた人々が存在する限り、ルールや規制は増え続けていく。

彼らが問題を起こした分、ルールと規制が追加されていく。

そんなイタチごっこに果たして意味はあるだろうか。

ルールや規制が設けられれば、厳しく取り締まる「ルール警察」みたいな人が出てきて、コンテンツ自体の魅力が損なわれていく。

そんなことでコンテンツが退廃していき、浮かばれないのはそのコンテンツを純粋に楽しんでいた人々だ。

新しいコンテンツが加速度的に増えていき、どこまでのラインがセーフで、どこからがアウトなのか言語化が追いつかない現代だからこそ、人々の意識やモラルの高さが求められるのではないだろうか。

ルールや規制といった対処療法をしていくのではなくて、モラルを欠いた人らに更生していただいて、そもそもの問題を未然に防いでいくっていう原因療法を行うのが僕の考える理想。

ただ現状、それは理想の域を超えることはできない。

教育水準とか育った環境が起因する問題だし。

モラルを後付け出来るのかっていう疑問点もあるし。

そもそもモラルっていうものが数値化できない概念みたいなもんだから、1歩間違えれば洗脳とか宗教じみた講釈を垂れることにもなりそうだし。

とにかく現実的に対処療法でしか対応できないのが今の世の中なのは理解しているつもりだ。


ここでまたアニメオタクを出してしまって申し訳ないのだが、学生時代の夏油傑に何故惹かれるのかがこれでハッキリした。

呪霊を適宜祓うことで平和を保つ対処療法では灰原のような犠牲が出るし、とにかく終わりが見えない。

呪霊を発生させない環境を整えるという原因療法には非術士を皆殺しにする、もしくは全人類の呪力を0にする必要があり、倫理的問題と高い難易度の壁があった。

そんな葛藤の前後で、非術士の存在価値を疑うような出来事が頻発する。(理子ちゃんの死を拍手で迎える盤星教徒、ミミナナを迫害する村落)

結果、夏油は術士だけの世界を作るという生き方を決めた。

どうしようもないから対処療法を選ぶしか無かったはずの世界で、原因療法に乗り出したその決断とそこに至るまでの葛藤がたまらなくカッコよくて、切なくて、惨くて、人間らしい。


現実の世界のルールや規制とモラルによる問題もいつかどうしようもないことじゃなくて、どうにかできることになればいいな

このメッセージってここに表示されるんですね!サポートはハードルが高すぎるのでスキで応援お願いします(♡)