MMAプロ練習を終えて。


木曜日の昨日は、MMAのプロ練習。



無事に1週間の夜のハードスパーは終わり。







この瞬間は、毎回ほっとする。


試合までに怪我なく、かつはハードな練習を乗り越える必要がある。


気は抜けれない。



柔道部の時とは違い、総合格闘技は打撃などの動きも増えて


さらにきつい競技になったなとは思うが、殴ってよし・蹴ってよしなのは最高だなっていう解放感もある。



試合のときは、グローブも薄くなり、レガース類も外すため、よりスリル満点のスポーツだ。



最近は、空手の試合動画なども見るようになった。



顔へのパンチなどは、寸止めしているが、キックはバチバチに当てている。



空手のようにガードが下がっているのは、MMAでは若干リスキーだが、




足を大股気味に開いているところは、パンチと蹴りの両方をバランスよく攻撃できて良いかもなと思いながら動画を見ていた。




しかし僕は10年以上柔道をやっていたから、試合で最後に頼るには結局柔道だと思う。



柔道が好きだ。学生時代に戻れても、生まれ変わっても柔道家の道を歩んでいくと思う。



生まれ変わった時には、身長があと15cm高い肉体だと尚更いい。


高身長の大外刈りで、1本勝ちを量産してオリンピック選手になるのが来世の僕の夢だ。



そう考えると、今MMA競技に取り組んでいる過程はけっして無駄にはならないと思う。



僕の今世は、柔の道を歩む人生ではあったものの、オリンピックや世界大会に選ばれる星の下で生まれていた訳ではなかった。



大体そういった選手は、英才教育のプロに近いような親や指導者との巡り合わせが10代のうちに起こっている。


 僕自身そういった人との出会いがなくとも、柔道で強くなれなかったことへの執念は今はMMAに向けることができているから、何だかんだで柔道への感謝がある。




小学校から始めた柔道のスポーツ少年団は、自分が卒業してからまもなくして解散になったが、



練習していた当時は、多くの生徒と6,7人ぐらいの指導者がいた。





大人も積極的にプライベートの時間ながら子供たちに柔道を教えに来てくれたりと、活気があって、いい思い出として記憶に残っている。



あの時、柔道を教えててくれたり、練習に付き合ってくれたりしてくれるような大人がいなかったら、今のように格闘技など取り組めていない。




僕にとってMMAは、柔道が染み込んだ体でなければ続けてはいられない。



地元の小さな村地域ながら、柔道が多人数で練習ができていたのは今考えると奇跡だったかもしれない。


今は柔道を習う子供たちは、年々減ってきている。



自分は大人になったこれからも柔道で社会貢献していくことが恩返しだと思っている。



子供たちには幼少から10代のうちに武道を染み込ませてあげて、


いじめなどに巻き込まれないように自分で身を守れるようにし、


一方で体の強さを誇示して弱い者いじめする人間にさせないよう、教育などに取り組みたい。




何が言いたいかというと、人生の中心軸を築いた柔道に感謝しているということ。
































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?