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【読書ノート】『Wedge 11月号』

教員のブラックさなど、教育に関して何かとマイナス面の報道が目立つ。
確かに教員のブラックさは否定しようのない事実ではある。
でも、日本の教育には良いところもあって…と続けようとしたら、いまいち思いつかないな。

Wedge11月号の特集は「日本の教育が危ない 子どもに『問い』を立てる力を」だった。この特集部分について考えたい。

1.日本の教育の長所とは

日本の教育の良いところとはどんなところだろうと考えたときに、1番に思い浮かんだのは、日本人のマナーの良さだ。列にはきれいに整列する。落とし物があっても落とした人のもとに届く。色々あるけど、マナーは良いだろう。その理由として、日本の教育が度々あげられる。集団生活の中で社会的なマナーを身につけることができるのだろう。

「はじめ塾」の二代目塾長である和田重宏氏は日本の教育の良さとして次の2点をあげている。

①様々なタイプの人間がいる集団生活を送る中で、日々、ストレスを感じながら、他者との折り合いや協調などを学ぶことを通して、心身共に鍛えられること。
②基礎学習を母国語で学べる環境があり、算数の九九や漢字など一定の「読み・書き・そろばん」の能力があること。

Wedge11月号「子どもたちに生きる力を 『3つのカン』を育てるには」より

たしかにその通りだ。母国語で学べる環境な。日本人の識字率は高い。基礎学力も高い。こう考えると、日本の教育も捨てたもんじゃないな。基礎はしっかりしているのだろう。

2.日本の教育は危ない…のか

どうして特集の題は「日本の教育が危ない」なのだろう?
誌面で問題とされていたのは、正解主義と受験の低年齢化だ。

正解主義。受験においても、教育全般においても、正解を求めるから詰め込み教育がなされる。事実詰め込み教育がなされていた。しかしながら、現状でもそのような教育が行われているかというと、そうでもない。「生きる力」を育むための「主体的・対話的で深い学び」の実践が進んでいる。そのような中で、教員の授業における役割も「知識の伝達者」から「コーディネーター」に変化している。子どもたちが考えるような授業がなされている。小学校はこんな感じだけど、中学高校となるとどうだろうな。前よりは考える授業とか、経験が重視されるような授業にはなっていると思うが、その先には受験があるから詰め込みが行われているのかな。受験が正解を求めている以上、正解を教えるような授業になるのも仕方のないことではある。それが良いことなのかどうかは考えものだ。受験のあり方が変わらない限り、その下の教育が大きく変わることはないだろう。

受験の低年齢化。これは首都圏を中心に大きな問題になるだろう。小学校、幼稚園でも受験があるレベルだからな。良い学校に早いうちに入れておきたいという親の思いも強いのだろう。親の教育熱が高い。それがある種空回りして、子どもの思いを飛び越えた形で塾に入れる。周りの雰囲気がそうさせているということも否めない。子どもは勉強、勉強、勉強とまるでスキマ時間はない。子どもの心の状態が不安になる。

問題はある。でもそれを解決するための特効薬はないな。原因は複合的で根が深い。日本の教育には外科的手術が必要だ。日本の教育も変化している。1人1台タブレットに代表される教育のICT化とか。そうした歩みを進めているところではあるのだが、おそらくそのどれも小手先のテクニックに過ぎない。もっと大きな変化が必要だ。

3.おわりに

日本の教育には良いところも悪いところもあって、語るにもまあ難しい。でも、子どもの思いは何より大切だし、それを大人が分かっていなければならない。このことは否定しようのないことだと思う。子どもが素直に、色々な経験ができるように、苦しくないように成長できるのが望ましい。それを補助する教育を目指さなければならない。


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