温かく、静かに佇む
実家に帰省する時期は、春、夏、冬――とある程度決まっています。
この絵は春に咲く蘭の花と、窓辺の明るい光の関係を考えながら描きました。
🌸
実家で過ごしている時、私はよく台所に立ちます。
料理をしたり、掃除をしたり、犬のごはんを作ったり、もらった花を切ったり、色々します。
台所のシンクの向かいに、横長の窓があります。
その窓にはカフェ・カーテンかかかっており、時間帯によっては庭の草木の影をこちらに落とします。
東向きなので、朝が最も光が差し込み、影が長く伸びます。
これはまだ太陽が東側に残っている時の――午前10:00から11:00頃の光です。
🕊
あるギャラリーのオーナーが、私の絵を見て「日常の中のファンタジー」とおっしゃいました。
私は、「日常」を描いているつもりは全くありません。
そもそも、毎日に対して「日常」という概念を抱いていません。
ただ、そう言われても特に反論したいというわけでもなく、自分の中で留めているだけの思考に過ぎませんが…。
しかし、「日常の中のファンタジー」と言われた時、ある種そうでもあると思いました。
現実に実在する空間や物質を描きつつも、描きたい光は自分の中での解釈によって、現実そのものの光では無い―――そもそも、絵画になっている時点で既にファンタジーかもしれない、と。
この場所で得た光や空間をベースに、結局は絵の中で自分勝手に曲解している――純粋な曲解、素直な曲解。
私に必要なのは、自己との対話であり、やはり、「何を描きたいか」だと思い知らされます。
絵を描き続けることでしか、考え続けることでしか
次に進んでいくことは敵いませんが
この絵を描き終えて、シンプルにしていくことを次の目標にしようと思いました。
🍵
花は、美しいです。
美しい花の姿を見ていると、嬉しい気持ちにも 穏やかな気持ちにも、自分という人間の情けなさを感じて少し俯きたくなる時もあります。
花は、言葉を話しません。
ただ、語りかけてくる感覚があります。
静かに光を浴びて、美しく佇むその姿は
もっとも、目指したいと思えます。
私がいつ、体験した光の再獲得ができるかはわかりませんが――おそらく、長い長い道のりでしょうが、
身近に美しい光があり、植物があり、人がいることで
そこまで重たくならずに絵に取り組むことができます。
それはなんと、恵まれたことでしょうか。
地道に頑張れることが楽しくもあります。