日髙竜介 ワールドフットウェアギャラリー

ワールド フットウェア ギャラリーという靴や革製品の店のものです。1970年東京生まれ…

日髙竜介 ワールドフットウェアギャラリー

ワールド フットウェア ギャラリーという靴や革製品の店のものです。1970年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。 現在は、TV出演、ファッション誌への執筆、講演やトークショーなど、紳士靴に関しての活動範囲を広げています。

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他人は自分を映す鏡

 「他人は自分を映す鏡」とはよく言ったもので、これは己を知ることの本質であると、私が大学生の時に先生に教わりました。 授業はさぼってばかりいた私がたまたま出席した授業で、ドイツ語だったか英語だったか、もしかしたら数学だったかもしれません(笑)  「あなたたちは今、自己を確立しようと躍起になっている。自分とは何か、どこから来てどこに向かうのか、必死にもがいているのが見て取れます。もがいて苦しんで、部屋に閉じこもって内省的になる学生を嫌というほど見てきました。がしかし、それでは

    • 共鳴

       先日、2011年11月にフランス・パリで開催された「第21回世界空手道選手権大会」の女子個人『形』の部で初優¬勝した宇佐美里香選手の動画を観ました。私はその存在さえも知らなかったのですが、『形』という競技は、相手と拳を交えて試合をするのではなく、ひとりで『カタ』だけを披露する審美競技です。  個人的には、審美競技というのは観戦するのに今一つ興味を惹かれない競技であり、ましてや、空手の『形』となるとその何たるかさえ全く知らないので、観ても面白くないだろうなと軽い気持ちでその

      •  私がまだ中学生の時に、星新一さんの「鍵」という短編小説を読みました。 主人公は自宅で古びた鍵を拾い、その鍵はどこの鍵だろうと家中の鍵穴を試します。 どこにも合わず、とりあえず近所の鍵穴を試したところまたもやどこにも合わない。  休日に隣町で同じことを試し、そのまた隣の町を試しては休みのたびにその範囲を広げていくのです。ついには長期休暇を取って海外にまで足をのばし、毎年違う国を訪れてはその鍵に合う鍵穴を試す旅を繰り返します。  そして主人公が死を目前にした時には、その鍵

        • シャンデリアの本質

           店にいて様々なお客さんと話すことは本当に素晴らしい経験です。自分が行動する範囲外のひとと、それもたくさんのひととゆっくりと話しをする機会なんて、普通の人々にはなかなか訪れないものです。  先日、70歳代のお客様とお話しする機会があって、それはそれはとても興味深いものでした。 「あなた、私がシャンデリアのどこを見るか分かるかね?」 その方は私にそう質問しました。 私どもの店にはいわゆるシャンデリアが飾られています。最近の東京では様々なショップで見られます。シャンデリアは

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        • 靴を履き続けろ!
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          車椅子用の靴

          当店には、車椅子がないと移動出来ないお客様が少なからずいらっしゃいます。 そのひとは、大切なものを選ぶときに特徴的なあの表情を浮かべながら店内を一瞥し、私に尋ねます。 「ブーツを探しています。比較的クラシカルなもので長く履けるものを提案していただけませんか?」 「喜んで。」 私たちにとっては背筋の伸びる、そしてアドレナリンだかドーパミンだかセロトニンだかが噴出する最高の瞬間です。 これは、レストランで言うと、今日の(胃袋の)気分を伝えて、「とにかくうまいものを食べさ

          フランス

           フランスはイタリアと並んで、世界最高の革産地だ。中でもカーフと呼ばれる仔牛の革に関しては最高の素材がつくられる。この背景には質の良い原皮が大量に取れるという事情がある。つまり、なめされた革以前に、仔牛の皮がたくさん取れるのだ。イタリア原皮に関しては、イタリア国内に世界一大きな革製造(なめし)産業を擁するので、多くは国内で消費されてしまい、日本まではなかなか届かないが、フランスのタンナー(革なめし業者)の数はそれほど多くなく、フランスの仔牛皮は、ヨーロッパはもちろん全世界に輸

          オーストラリア

           二〇一〇年、シーシェパードというアメリカの動物愛護団体が日本の調査捕鯨船を妨害していたことがニュースになった。実際には監視船への攻撃という犯罪行為によって大きなニュースになった。この団体に港を提供し、このテロを行った小型高速艇を発進させたのがオーストラリアである。それまでも、オーストラリアは日本の調査捕鯨に対しては一貫的に攻撃的な態度をとってきたが、この事件でさすがにその機運もひと段落したようだ。しかし、この国際捕鯨問題は各国の利害が入り混じって一層、複雑化して来ている。

          ジャマイカ

           ジャマイカの生んだ偉大なるポピュラーミュージックは、何といってもレゲエとスカだ。イギリス支配によって英語が公用語であったことがこの二つの音楽ジャンルを世界的メジャーにした要因であったことは確かではあるが、もちろんそれだけではない。国民の九割以上がアフリカ系人種という南米では珍しい民族性と、アメリカのジャズやリズム&ブルースが出会うことによってそれらは生まれた。最初にスカが生まれた。単調なバックビート(二拍目と四拍目を強調したリズム)にのせて自由奔放なトロンボーンやピアノが絡

          ポルトガル

           ポルトガル第二の都市ポルトの郊外には、一大革靴生産地がある。サン・ジョアン・ダ・マデイラという名の小さな街だ。ポルトから車で三十分ほど南へ下ったところにある。この街とその周辺にポルトガル靴産業を支えるほとんどが集中して集まる。数多くのメーカーが存在するが、残念ながら聞き知ったものはほとんどないのが事実だ。何故なら、ほとんどのメーカーは自社ブランドではなく、他社のブランドの靴をつくっているからだ。それもポルトガルのブランドではなく、フランスやイギリスのものが多い。  フラン

          スペイン

           ヨーロッパではイタリアに次ぐ第二の靴輸出国と知られる。革靴の生産地は、アリカンテ、アルバセーテ、サラゴサ、そしてマヨルカ島とスペイン東部に集中しているが、エスパドリーユと呼ばれる麻製ロープを底材に使ったカジュアルなものは中央北部でつくられる。このエスパドリーユはもともとスペインとフランスにまたがるバスク地方で履かれていた民族的な靴だからだ。水辺で履けば濡れてもすぐに乾き、夏の暑い日には足がべたつかず、室内で使用すればおしゃれで開放的な、とても快適な靴であることから、一九三〇

          メキシコ

           メキシコはコカコーラの消費量が世界一の国だそうだ。年間で国民一人当たり五〇〇本近くの消費量を誇る。赤ん坊や老人の分を減じて計算すると、一日に一人二本は飲む計算になる。それを聞いたときは、乾燥した国で昼間の強い日差しの下に飲むコカコーラは格別においしいのだろうと思っていたのだが、最近、本国アメリカに逆輸入されたメキシコ産コカコーラが売れているというニュースを知った。何でも、アメリカ産に比べて炭酸が少なく、甘味料にコーンシロップではなくサトウキビやテンサイなどの砂糖原料を使用し

          インド

           世界の大部分の国、場所では靴というよりは、サンダルや素足で一生を過ごすところが少なくない。我々人類は寒い不毛な土地に住むよりも、温暖で肥沃な土地に住むことを好み、そしてそこで圧倒的に繁栄しているのだ。たとえばインドでは、多くの人々が革靴などは履かずに一生を終える。ダージリンやカシミールなど北東部の山岳部を除けば国土の大部分が熱帯気候のインドでは、足が凍傷に罹る心配はなく、したがって皆が革靴の必要性をあまり感じずに生活をしている。もっとも日本でも職業によってはそんなものを感じ

          中国

           中国に「纏足」という風習があったことはよく知られている。人為的に少女の足を奇形化して成長を阻害し、小さな足にするものだ。ポイントは小さな足、そして尖ったつま先である。尖ったつま先により、小さな、そして先の尖った靴にぴったり収まる足になる。成長を阻害したため甲は盛り上がるが、甲は婦人靴の外に出る部分だ。そういう足にするために足の指を折って骨折させたり、ガラスの破片を踏ませて壊死させた部分を削ぎ落としたりと、たいそう残酷な処置をすることが知られている。結婚した後逃げられないよう

          キューバ

           スペインとアメリカによる長い植民地時代を経て、キューバが革命により独立を果たしたのは一九五九年のことである。有名なチェ・ゲバラとフィデロ・カストロらの指導による革命であった。この革命は、現在のキューバで布かれている社会主義国家体制を目指したものではなかった。単に親米派のバティスタ政権を打倒して、その政権、アメリカ企業、そしてアメリカンマフィアが独占していたキューバの富をキューバ国民に取り戻そうという若者の熱い、血の煮えたぎるような想いだけで成立した革命だった。思想が行動を定

          ルワンダ

           アフリカの小国ルワンダ。アフリカの中では、石油などの天然資源やダイヤモンドなどの鉱物資源の乏しい地味な国のひとつだ。近年、海外からの多額の援助もあり、高層ビルが次から次へと建設され急速に都市化が進んでいる。脚光を浴びたのは、残念ながらその悲惨な内戦によってだった。一九九四年に起きたフツ族とツチ族の民族抗争は、百万人もの残虐死者を生んだ。国連をはじめ世界各国は何の介入もせずにただ静観する態度を決め、その大量の虐殺を見守ったのだ。  当時日本にもそのニュースは届けられた。内戦

          韓国

           大韓航空機に乗ってソウル・インチョン空港に降り立つとなんだか懐かしいような、まるで夏休みの夕方に暮れ行く夕空を見上げたような気持ちに襲われる。何故だろう? きっと韓国の人々が我々日本人に近く、それでいて小さい頃の近所のお兄さんや遠縁のおじさんを思い出させるからだろうと思う。海外にいると何故だかそんな風に周りを見てしまうものだ。韓国ソウルのビジネスマンは皆おしゃれだ。一度スーツ姿で飛行機に乗り込む三人組の三十代ビジネスマンと隣の席になったことがあった。三人ともストライプの細身