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 世界の大部分の国、場所では靴というよりは、サンダルや素足で一生を過ごすところが少なくない。我々人類は寒い不毛な土地に住むよりも、温暖で肥沃な土地に住むことを好み、そしてそこで圧倒的に繁栄しているのだ。たとえばインドでは、多くの人々が革靴などは履かずに一生を終える。ダージリンやカシミールなど北東部の山岳部を除けば国土の大部分が熱帯気候のインドでは、足が凍傷に罹る心配はなく、したがって皆が革靴の必要性をあまり感じずに生活をしている。もっとも日本でも職業によってはそんなものを感じずに生きている人はいっぱいいる。(特に田舎に行くとその割合はぐっと高くなる。)私の知り合いで奄美大島に住むある方は靴とか靴下とかいうものを履いたことがない。マタギとして山に入り猪などを獲っているが、そういった際も平気で素足でいる。足自体が靴のように硬く、変形していて、確かにいまやもう靴を履くのも困難な足になっている。温暖な土地と言えども、冬はある程度寒くなるのに、驚くべき事実だ。そして現在ではそういう人物は稀な存在となっている。極端な例だ。ただ、インド南部を旅していると、その圧倒的な非革靴率に驚かされる。家で農業や小売業、製造業に従事する人はもちろん、ビーチやそれなりに立派なレストランで働くサービス業、郵便局や役所で働く人に至ってまで皆サンダルである。スーツにネクタイをしてサンダルを履く人も多い。

 そんな旅の折に、私の職業についてよく聞かれる。初対面でのお決まりだ。シューズビジネスだと答えると、小売か?製造か?と聞かれるので小売だと答える。問題はその次だ。たいてい私はスニーカーなどのカジュアルな靴かビーチサンダルを履いているので、どんな靴だと聞かれたときに当初説明に戸惑っていた。特に相手が若い青年などだと説明が難しい。あるとき、「それはウェディングのときに履くような靴か?」と聞かれてなるほどと思った。

 インドでTVを見ていると、そのコマーシャルが面白い。現在の日本ではあまり宣伝されない商品のCMがたくさん放映されている。もちろん、乗用車や携帯電話など、高需要、高利益率の商品は日本と同じであるが、目立つのは石鹸、ペンキ塗料、歯磨き粉、フライパンなどの調理器具など、日本ではあまり見られないものだ。確かに私が子供の頃は、こういった商品のCMが盛んに放映されていたように記憶している。いま(二〇一〇年)インドは高度成長期真っ只中なのである。そしてその中に結婚をテーマとしたCMも目立つ。女性向けの宝石、男性向けのスーツが宣伝されている。ヒンドゥー教、イスラム教、仏教を問わず、インドでは結婚は人生で最も大きなイベントである。親戚一同、近所総出で準備をし、贅を尽くした宴が催される。参列者はサンダル履きが多いが、主役の花婿は黒い革靴を履く。形はストレートチップではなく、ちょっとデザインされたものが多い。紐なしの靴であることも多い。ただ、貧しい層、そして中産階級の層でも、それが人生最初の革靴体験であることが多いそうだ。

 南インドでの観光シーズンは冬である。十月から一月がハイシーズンだ。そしてそれはデリーなどの北部も同じで、三月からは暑すぎて観光客は減っていく。それでも南インドの特に海沿いはまだましなほうだ。暑くても気温四十度に達することはまずない。北部内陸は五月には気温五十度にも達する。真冬だって長袖要らずの土地が多い。そんな土地では革靴文化が育つ訳がない。だから、ドレスシューズ=ウェディングシューズとなるわけだ。温暖な土地ならではの考え方ではある。

 そこで考えるのが、結婚式という儀式についてだ。全世界で、人種、宗教を問わず、様々な形式を採って行われる結婚式には、それなりの服装が伴う。これは、神聖なる儀式にふさわしい服装という敬意の顕れである。最近では、教会や神社などの宗教的な場所ではないところで行われることも多いので、主役の新郎新婦の服装は、参列してくれた人への敬意から来るものという意味合いが強くなってきており、参列者は招待してくれた本人とその家族に対する敬意を持ってドレスアップする。新郎に関しては新婦のエスコート役にふさわしい服装という意味もあるかもしれない。もちろん、結婚式に限らず、その他のパーティー、ビジネス、法事、そして友人宅への訪問に至るまで、同じことが言えるが、一般的に、結婚式が人間の敬意の交換の場として最上格のものであることに異論の余地はない。そう考えると、この儀式は、我々が継承し、大切にしていかなければならない伝統なんだなぁと思う。何故なら、人間の他者に対する敬意こそ、世界の幸福実現に不可欠なものだからだ。

 人々は結婚式に招かれたり、ましてや自分の結婚式を執り行うとなると、着ていく洋服や履いていく靴を購入する動機を得る。実際にそうして(アドバイスを求めるとともに)靴専門店に来店する人が多いのに驚く。まあ普通の人は私のように四六時中靴のことを考えているわけではないから、それがひとつのきっかけになるのだろう。そうして来店する人には、もうそれだけで敬意に溢れている。そこで購入する靴は、相手への敬意のための靴なのだから、正直、何を購入しても間違いはない。ただ、結婚式には年配の参列者も多いことがほとんどだし、そうした人に配慮して伝統的なルールは説明することにしている。黒の紐靴、革底が基本だ。更に言うなら、内羽根式のプレーントウかキャップトウ。ただし、これはあくまでもマナーブックに載っているようなディテールであって、そのマナーブックも誰がどのような根拠で書いたのか分からない。まあこう書いておけば間違いないだろう、という程度のものだ。マナーブックどおりの汚い靴よりも、きれいに磨かれた茶色の靴のほうが結婚式にふさわしい。それがその日のために購入されたくつであれば尚更だ。私は、結婚式のために靴を購入しに来店された方々に敬意を払う。そして、購入されていったその靴を誇りに思う。人々の敬意の顕れとなるその靴を誇りに思う。そして、それこそが、私がドレスシューズに魅せられている一番大きな要因だと考えるようになった。

 インドのシュリナガルで素敵な光景を見た。新郎の友人たちが集まって彼の結婚式に履く靴を買うためのカンパをしていた。皆それぞれくしゃくしゃの紙幣を出し合い、うるさいくらいに怒鳴りあっている。でも皆が笑顔だ。何だか関係のない私まで嬉しくなって、十ルピーだけカンパしてきた。私も笑顔だった。

インドはマザー・テレサの国でもある。彼女は皆に、常に笑顔でいることを説いた。
「施しなど何もしなくてよいのです、ただインドの貧しい人々に対して笑顔で接して下さい」と。
笑顔と敬意。これが世界を救う。

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