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たったひとりの恋物語 第9章 ヒトの世界

第9章 ヒトの世界

想像とは創造

私は書いていた。
原稿を、物語を。
ようやく出版社に、そして、世間に認められた私と明の物語を。
出版社からも定期的に催促が来ている。
肌色の罫線が走るアイツが足りなくなるのがムカつくが、こればかりは致し方ない。
近くのコンビニで20枚入りのソレをすべて買占め、書き綴る。

どうせ、原稿料や印税として私の元に戻って来る。
担当者もそんなことを言っていた。

今では、私の生活は一変した。
命を差し出し、くだらない仕事をせずとも、書くことで生きていくことができる。
しかも、私が、ずっと夢として追いかけてきた書く仕事だ。
表現をし、物語を書き、読者に希望や思索を与える。
これこそが、明の最後の瞬間に主張したことではないか。
『私たちオトナが、ちゃんと今を生きていますか?』と。

ん?
明が、最後に言った……?

まあ、いい。
それよりも私は読者のために、そして、明のために書き続けなければならない。
あと少しで第1部が完結する。
第2部では、大きな展開が待っている。
第1部で偲ばせてある伏線が、一気に爆発するんだ。
これには絶対に読者も驚くだろう。

私は読者の驚く顔を想像しながら、一文字一文字、綴っていく。
絶対にオモシロいモノにしてやる。
そして、次回作はもっとオモシロいモノにしてやる……。

―――――――――――――――――――――
ガン、ガン、ガン、ガン、ガン……
玄関を叩く音がする。

予定よりも全然早い。
原稿の回収までには、後2日あるはずだ。
どれだけ、せっかちなのか?
私は、原稿を書く手を止め、玄関に向かう。
こういう配慮の無い行動が、どれだけ作家のココロを痛めるのか、担当にも少しはわかって欲しい。

「鈴木。久しぶりだな。
 元気しているのか? ……おめぇ、少し痩せたか?」
玄関を開けるとそこに立っていたのは、かつてのゴミ会社の班長。
マスクで顔の半分を隠しているとはいえ、痩せたのがわかる。

「おざっす……。久しぶりっす……。
 その件では、迷惑をおかけしました……」
できうる限り、慇懃な態度で接する。
数年間とはいえ、私の保証人、兼見受引取人のようなことをしてもらっていたんだ。
ぞんざいに扱うことなどできやしない。

班長は、「おぉ……」と軽く返事をした後、私の部屋に入り、室内を見渡す。
私にはそれを制することなどできる訳がない。
以前、せり出していたその腹は、胸のラインと同等になっている。
話しかけようとする班長はマスクを外し、私に向き直る。
その頬はコケ、以前の貫禄のある姿ではなかった。
むしろ精悍という顔立ちになっている班長がそこにいた。

「作家……、だったけっか、そういうものに、なったんだってな?」
班長が部屋中、はたまた部屋中に散乱する原稿用紙に目を向けていう。
「作家じゃないです。小説家です」
私は、少しの苛立ちを覚え、コトバを返す。
作家のような依頼があれば、何でも書くような人種と一緒にはして欲しくない。
私は、小説家だ。
自分の考えや意思、ストーリーや熱意に基づいて書いているのだ。
アイツらとは一緒にして欲しくない。

「ああ、ごめん、ごめん。
 小説家だったな……。メシは、ちゃんと食ってんのか?」
変なことを聞く。
確かに、肉体労働をしているときに比べれば、食事の量は減った。
だが、しっかりと食事は摂っている。
余り摂り過ぎると、眠くなってしまい、創作活動の妨げになるから最小限に抑えている。

「大丈夫っす……。飯も、肉も喰ってるっす……」
班長はよく「肉を食え」と言っていた。
肉を食わなければ、ヒトは活動的になれないというのが班長の持論だった。

「わかった……。
 だけど、無理はすんなや……」
そういう班長の顔は寂しそうだった。
私は、班長が嫌いではなかった。ただ、自分の夢を手に入れたのだ。
ただ、今は、前に、そしてより大きな成果を。
そのためにも進んでいかなければ、ならない。

ココロの中でいう。
「班長……、ゴメン……」

私だけの身体ではない

月刊の文芸誌に連載が決まった。
編集者が私の筆致を気に入り、是非とも書いて欲しいと依頼がきたのだ。
私は数冊、本を書いただけで、実績もなく、まだまだ弱小。
そんな嬉しいコトバに乗らないわけがない。

確かに忙しくなる。
自らの執筆に加え、連載。
いってみれば、これまでの仕事量が倍になるのだ。
昨今では、隣国発肺炎は若干の収まりを見せているモノの、未だ国民は慎重になっている。
そんな中、有り余る時間を消化するために、動画や本が選ばれた。
特に中産階級以上の知識層は、本を求める傾向が強く、新進気鋭の作家として売り出された私の本は、多く読まれることとなった。

さらに拍車をかけたのが人気動画配信者だ。
先の理由から若年層には動画が多く見られた。
それにより動画配信者として名乗りを上げるモノさえもいたという。
そんな中、あろうことか私の本を動画内で紹介したモノがいたのだ。

マス層に広がる動画というモノの拡散力はかなり大きいモノで、私の本は次から次へと売れていった。
自ら販売促進活動をするでなく、広がっていくことに若干の不安を感じながらも、私は、次の執筆をただ、淡々と進めていた。

一つの成果を上げると、世界は渦中の彼を放っておかない。
そんな現代的な流れを、私は今さらながらに感じていた。

―――――――――――――――――――――
「弘毅……! 大丈夫?
 電気もつけないで……。もう、20時だよ?」
……いかん。
どうやら眠ってしまっていたらしい……。

明が部屋の照明をつける。
仕事が終わって疲れて、帰ってきたというのに夕食を準備できていない。
こんなことでは、夫失格だ。
しかもPCが点きっぱなしになっている。

最近、少し弛んでいる気がする。
作家としての仕事が増えたとはいえ、家事や明への配慮が疎かになってしまっては、本末転倒だ。
私は一つ伸びをすると、明に向かって言う。

「お帰りなさい。
 今日もお仕事、お疲れさまね。
 ゴメン。
 今すぐ、食事の支度をするから、先にお風呂、入っておいでよ」
私は、立ち上がりすぐに台所に向かう。
軽い立ち眩みを覚えるも、ふらつく足取りで冷蔵庫までは辿り着いた。
冷蔵庫を開ける。
今日は、明の好きなロコモコにしようと昼の間にハンバーグを仕込んでおいたのだ。

後はフライパンでハンバーグを焼くだけ。
牛肉の焼ける食欲をそそるニオイが部屋に充満する。
これにお風呂場から、明の桃のトリートメントの香りが合わさる。
どうやらお風呂から出てきたようだ。

広めのお皿にレタスと三日月形に切ったトマトを乗せる。
ごはんをお皿の中央にエアーズロックのようにもる。
さらに、ご飯の上にパイナップル、ルッコラを乗せ、その上に焼いたばかりのハンバーグを乗せる。
仕上げに目玉焼きをハンバーグの上に乗せれば、完成だ。

テーブルに二つのランチョンマットを敷き、スプーンとフォークを添える。
おッと。忘れていた。
冷蔵庫から、冷えたグラスと350mlの発泡酒を取り出す。
最近では、この青いラベルに金色の文字が浮かぶ銘柄が明のお気に入りだ。

洗面所から聞こえるドライヤーの音が止まった。
我ながらにナイスタイミングだと、ココロの中でガッツポーズをする。
明が、リビングに入って来る。
「うん~!!
 いいニオイ~! 今日はハンバーグかな!?
 あ! ロコモコじゃ~ん!
 今日のランチにカフェの前を通ったとき、食べたいって思ってたんだよね~!」
あぁ、この笑顔を見るために私は毎日を懸命に生きている。
自分と家計のために書き、明のために生きる。
それは、数年前の私からは想像できなかった人生であろう。

「では、ご一緒に! いただきま~す!
 弘毅、いつもありがとうね~!
 あっ……」
明の実家で昔から行われている作法にのっとり、夕食をはじめる。
この号令を聞くたびに、優しさに包まれた家庭だったのだろうな、と、しみじみ思う。
ビールグラスに延びる、明の手が止まる。
いつもだったら、一気に半分ほどを飲み干し、
「ぷは~!! 今日の私は、このために生きてきた~!」
と、定型を行うのだが。

「今日は、いいや。
 弘毅、飲んでよ。私は、お茶にする」
そう言うと、冷蔵庫から常備している「やっほ~。お茶」を取り出し、別のグラスに注ぐ。

「う~ん! やっぱり弘毅のロコモコは最幸~!!
 このソースがまた、なんとも言えないよね~!!」
よかった。いつも通りの明だ。
私の作る料理を頬一杯に放り込み、かろうじて聞き取れる言葉で何やら、モグモグという。
大の女性がこんな食べ方をするとは……、祖母が見たら何と言うか?

「で、ちょっと、最近の弘毅、頑張り過ぎ!
 昨日も遅くまで、仕事やっていたでしょ!?
 仕事がたくさんあって、それは助かるけど、無理だけは絶対ダメだからね!」
口にモノを入れた状態で話すな。
半分ぐらいしか聞き取れない。
まあ、なにを言っているかは、大方想像できるが……。

「もう、弘毅と私だけの身体じゃないんだからね……」
明が、ぼそりという。
その声に私のアタマの中が真っ白になる。
「え……、それって……」
私は、明の手元にあるビールがなみなみと注がれたグラスを見る。
そして、再度、明の瞳を真っすぐに見る。

「もう……。
 バカ……、気づけよ……」

幸せの中のワタシ

今朝は、なんと清々しいのだろうか?
世界とは、いつからこんなにも輝いていたのであろうか?
目覚めたときから、こんなにも幸福に包まれていたことは、はじめてではないだろうか。と思うほどであった。

昨晩の明の衝撃の発表に興奮して眠れなくなってしまった私は、明にあれほど気を付けるように言われていたにも関わらず、筆を走らせてしまった。
気が付けば、午前9時。
既に明は出勤してしまったのだろう。

私はカーテンを開け、陽光を私の身体と、部屋の中に満遍なく取り入れる。
嗚呼。
本当に気持ちがいい。
ここ最近の執筆に追われてしまい、掃除だっておざなりになっていた。
こんなことでは新しい命を迎えることなんて、できやあしない。

私は、部屋中に散乱する原稿をまとめ、掃除機をかけ、洗濯をし、ゴミを出し、布団を干すなど、ありとあらゆる清掃を行った。
清潔な空間で、明を毎日迎えたい。
一つ一つの清掃を行うことで、私のココロがどんどん洗われていくようだった。

風呂を磨いているとき、気づいたことがある。
「そう言えば、随分、髪を切りにいっていない。
 おまけに髭もここ数日、剃っていない……」
こんな姿で、明に向き合っていたかと思うと申し訳なくなってくる。

「丁度、原稿用紙も切れていたところだ」
そう独り言ちると、財布と不織布マスクを持ち、部屋を飛び出した。

―――――――――――――――――――――
「へぇ~。作家さんなんですか。
 本当にバッサリと切っちゃっていいんですか?
 作家さんっていうと、なんか長髪とかってイメージがあって……」
床屋の店主はそう言って、私の髪に水を噴霧し、櫛で揃えていく。
水に濡れると、私が思っていた以上に髪が伸びていることに気付く。

「あぁ、イイんですよ。
 妻も本当は短い髪型が好きなんです。
 それに新しい命のためには、身綺麗にしておかなきゃ」
幸せのあまり、言葉の端が緩くなる。
今日の私は、いつになく感情にしまりがない。
はじめて会った男に対してもこんなにフランクに話しかけるとは。
喋っている自分が、なんだか滑稽に見える。

「へぇ~。おめでたいですね~。
 でぇ~、男の子なんですか? 女の子なんですか?」
店主は小気味よく鋏を鳴らし、私の髪を次々と切っていく。
ああ、このリズムも久しい。
子どもが生まれたら、こうして髪を切りにくることも、また少なくなってしまう。
だが、子どもが大きくなったら、一緒に髪を切りに来ることだってできるかもしれない。
そんな想いに頬が緩む。

「いや。
 まだ、妊娠が判明したばっかりみたいなので、わからないんだ。
 でも、今から整えておく必要があるだろ?」
私は鏡ごしに店主に向かって、笑顔を投げる。
そう言えば、明以外の人に笑顔を向けるのは久しぶりだ。

「いやぁ。
 旦那はきっといいお父さんになりますよ。
 娘が生まれたら、絶対に可愛いですから~。
 それは、私が保証しますよ~!」
店主の声も明るく、私も笑顔が止まらない。
私の幸せが、人に伝播していく。

世界はこんなにも優しく、幸せに満ちている。
この世界に生きる。
私たちは、生まれながらに幸せなのだ。

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#お仕事小説部門

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