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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―40―

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           第 三 章
       血まみれの桃子(13)

 桃子が元スペツナズの傭兵たちに襲撃され、あわやという終局でサンチョの救援がなんとか間に合ったのは、まるでハリウッド映画のように余りにもできすぎたご都合主義の展開と映るでしょう。しかし、今まで語った内容は桃子の置かれ状態からの視点でした。サンチョの視点からは、別の様相が見えてきます。
 
 時間を少し遡ります。桃子から『走れヒロコー、メロスになれ』とたきつけられたヒロコーが、民家で軽トラを借りて邸宅に向かったあたり話をもどします。
 この内容は、ほかならぬ軽四トラックを借りた民家の家伝『稲生いなお家日次記』の断片から近年明らかになったものです。
 
 ヒロコーは慣れない軽四トラックの運転に手こずりながら蛸薬師小路たこやくしこうじ邸へ向かっています。どうしてもカーブなどで後輪が横滑りして車体そのものが路外へもっていかれそうになるのですが、そこは元暴走族のヘッドをはっていた彼のことですからなんとかコントロールしました。ほんの十五分で邸宅の近づいたのですが、曲がり角の県道上は、護岸用消波ブロックで完全に塞がれています。ご丁寧にも約二メートル間隔で三重に塞いでありました。道脇にもおかれていて、簡単には迂回できそうもありません。
 
「くそっ! だれがこんなマネを。もう少しのところで」と、彼はクラクションに思いっきり拳を何度も叩きつけます。同時に、また全力疾走することになるのか、とうんざりしました。門までまだ二キロメートル以上残っているのです。路上に足を降ろすと、後ろから声がかかります。
「なんやヒロコーやないかい。なんどい? ダボがぁ」
 あの『ショベルカーで穴掘って埋めるど』が口癖の元気なお兄さんの声です。ほかにも元気なお兄さんが田圃の農機具小屋の後ろからぞろぞろと現れます。
 
「緊急事態だ! 桃子お嬢さまからの伝言だ。すぐにこれを除けてくれ。急いで!」
「こっちも緊急事態や。サンチョの命令で道路はすべて塞いだわ。『龍の歯』いうらしい」と、ショベルカーのお兄さん説明しますが、その口調には切迫感はありません。
「お嬢さまが襲われたんだ。オレの目の前で人が死んだんだ。急げ!」
「無理なもんは無理や。この先も三つに『龍の歯』とやらを置いて周りにも地雷を埋めたわ。これだけこき使われたら、業沸ごうわくど。それにしても物騒なことやな」と、歩く物騒なお兄さんが間延びして歌うように返事します。
 
「どうすればいいんだ。桃子お嬢さまにオレは殺されっちまう」
「しゃないのう、こっちへ来んかい、ダボ。直通電話があるど」と、彼は手振りで農機具小屋を示しました。
 たしかに電話でしたが、それは軍用の有線電話でした。
「これはサンチョに直通や」と、元気なお兄さん。
 ヒロコーは、サンチョに桃子に起きたことを勢い込んで喋り、全身に油性マジックで書かれた暗号のことを伝えました。
「急いで走って戻って来い。遅れたらお嬢さまの代わりにオレが殺してやる」とだけサンチョが言いすて、電話は切られてしまいました。
 
 元気なお兄さんたちの無責任な声援に送られながら、結局彼は湿度百パーセント、気温三十三℃、無風で、長距離走には最悪の環境で再び走ることになりました。
「ヒロコー。ド根性いれて走らんかい。『龍の歯』のまわりはきぃつけるんやど。田圃の中五メートルくらいまでは地雷を埋めたさかいな。五メートルはワイの山勘やけどな」
 
 ようやく門内に走り入り倒れ込むと、サンチョが待っていてバケツの水を浴びせました。ヒロコーに気付をするとか、体温を下げてやるとの思いやりではなく、体中に書かれた暗号の汚れを落とすためです。
 ヒロコーが襲撃のことを訴えようと、息を整えるのですが、「それは知ってる。場所もだ。正確な時刻だけを言え。何分前だ? いや、その前に服を脱げ!」と、サンチョが一方的に命じ、車にヒロコーを放り込み、本部棟と彼ら呼んでいる棟まで走り去りました。
 
「読みにくいな。これは困った。皮膚を全部引っ剥がすか」と、サンチョが独り言をいいます。メキシコ人の危険なお兄さんたちの中でも一番ぶっ飛んでいると評判の彼のことですから、平然と、それも皮膚を傷つけず易々と手際よくナイフをさばくように思えて、ヒロコーは小便をちびりました。ですが皮膚を剥がさずに、全身を写真にとって、そのプリントアウトを順番に並べ全文を読み取れるようにしました。
 
「解読キーが分からない。何か聞いていないか? ヒロコー。まあ暗号と一緒に解読キーを運ぶバカなことはしないとおもうが……」と、サンチョが舌打ちしました。
「知ってる。本文はJISかシフトJISコードいうもので書かれているらしい。文書の前後は和歌か俳句の意味のない別の暗号にするとか言ってたような気がする」
「本当か?」サンチョはただちに事務等の日本人職員を呼び、復号させました。
 
 そのあと、彼は暗号に書かれていた桃子たちが立てこもる地点のデジタル地図を呼び出し、何度も縮小拡大を繰り返し、メキシコ人同士で話し合ったあと、サンチョは彼らに、幾つも指示を出しました。また、紙製の国土地理院の五万分の一と二万五千分の一地図をとりよせ、色々と記号と数字を書き込みます。
 その成果に納得すると、元気なお兄さんたちへの有線直通電話をかけ、「『龍の歯』を取り除け。急げ。反撃は次の指示をまて」とだけ命じました。
 
 また、日本人の従業員には「地下骨董品収蔵庫から、”あれ”を引き出せ。対ドローン用ジャミング、出力極限にしろ」と命じます。
 彼は傍らにヒロコーが裸のまま立っているのを見とがめると、「なんで裸でいる? さっさと服を着て”あれ”を軽四トラに積んでついて来い。ここいらの住人は、軽トラをあぜ道のフェラリーと言っているじゃないか」と、彼には不似合いな冗談を口にしました。
 
「お嬢さまやロドリゴは……?」
「心配するな、時間の勝負だけどな。だから急げ。軽トラに”あれ”を早く積み込め! お嬢さまのところへ行くぞ!」と、ヒロコーをせき立てました。

 こうしてサンチョの桃子救出作戦が開始されたのです。
 しつこいですが、もう少し解説します。

 サンチョが”あれ”と言ったのは、旧帝国陸軍の九二式歩兵砲、俗に大隊砲と呼ばれたものです。政財界の黒幕、影のドンと呼ばれた蛸薬師小路邸の主人の元には、様々な人から雑多な贈り物がありました。その雑多な中には古美術品や、骨董品も含まれていました。
 さらにその中には、どこかで閉館になった戦争博物館の収蔵品が含まることも度々ありました。その収蔵品の一つに九二式歩兵砲二門があったのです。
 
 お爺さんの平静の癖として、雑多な贈り物は目録にざっと目を通すだけで現物は地下の倉庫に投げ込んでいました。サンチョが「地下骨董品収蔵庫」と言った所です。偶然にこの九二式歩兵砲が、元歩兵将校のサンチョの目に留まったのです。
 二門の歩兵砲は車輪が欠けていたり、防盾ぼうじゅんがなかったり、駐退機が破損してオイルがなかったりしていました、ですが砲身そのものは完全でライフリングも善く残っていました。この部分は博物館の収蔵品らしく丁寧に磨かれてオイルが注されていたのでしょう。元砲兵将校のサンチョに眠っていたプロフェッショナルの熾りが炎上してしまいました。
 
 そこで彼は、米陸軍の鹵獲兵器の記録と評価や使用説明書、またこの国の国防省の付属機関に保存されていた兵器仕様書などを調べ、欠損している部品は3Dの金属加工で復元し原型に戻しました。砲弾もおなじ方法で六十発を復元してしまいました。
 また、この復元砲に最新技術機器を加えました。弾道計算用のGPS付き専用コンピューター、直射距離測定用暗視装置とレーザー測遠儀、それにドローンを使った着弾観測装置です。当然これら機器連携用ネットワークシステムも忘れてはいません。これだけ整備するのに三年余りがかかりました。
 
 元砲兵将校のサンチョとしてはこれでは満足できません。今までの努力の成果を確認するために試射がしたいのですが、この国内では不可能です。ですが、今日、試射どころか実戦で発射することができるのです。お嬢さまを救うため、いや、人命救助のために発砲が正当化できる、と彼は正当化しました。なにしろぶっ飛んでいると評判の彼ですから、それ以上細かなことは考えなかったのかもしれませんが。
 
 こういう経緯で復元した九二式歩兵砲は、砲としてはずいぶん軽いので、ヒロコーが借りてきた軽トラで充分に運べます。何しろ『あぜ道のフェラリー』と呼ばれる軽トラなら、歩兵砲に弾薬をいくらか積んで農道ばかりでなく文字通りあぜ道にまで運べ、柔軟な運用ができそうでした。
 ですが、桃子たちが救出された際、彼女が砲弾が見えたとか、ナナミンが着弾地点がバラつきすぎで元砲兵将校のサンチョの技能を疑ったのですが、これは彼の技量ではなく、九二式歩兵砲本来の諸元、性能の限界でした。なにしろ帝国陸軍の兵士のあいだでは、”だいたい”砲とその命中精度を揶揄されたほどですから。
 ですが、重火器を持たない元スペツナズの生身の傭兵たちにはその破壊力は大いに有効だったことは、先に物語ったところです。

 一方、サンチョが有線電話の会話でヒロコーに、桃子の危急を知っていたという訳は、下記のような次第です。
 
 数時間前に、桃子一行との定時連絡が途絶え、その上、蛸薬師小路邸全体で携帯電話、無線に衛星通信が途絶しました。国内外で通信機器を利用して経済活動をしている事務棟ではパニックに陥っていたので、サンチョの頭の中で警報が鳴り響きました。
 電波妨害に違いない、蛸薬師小路への攻撃の前兆と判断して、彼はすぐさま桃子一行の救出と反撃を決断し、情報収集とおおまかな作戦を立てました。そうするうちに、県内山間部で銃撃戦が行われたとをテレビのニュース速報で知り、この襲撃の被害者が桃子一行だと推測し、三人の偵察部隊を現地に派遣しました。

 偵察部隊は、警察が現場を封鎖していて間近まで近寄れませんでしたが、数人の死体がカバーを掛けられて残っていること、桃子とナナミンの乗用車が焼けただれて残っているがロドリゴたちの大型バンは見当たらなかったこと、ブルーシートからはみ出た靴やズボンから死者は桃子一行ではない、などの情報を持ち帰りました。彼は、桃子たちが生き残ってどこかへ避難した、と正しく判断しました。
 
 そうして彼は、メキシコ人仲間に完全武装で待機し、密かに隠している対空自走砲『ツングースカ』を地下から引き出すように命じました。『迷惑もハローワークもあるかい』や『「パワー・ショベルで穴掘って、裏山に埋めるど』が口癖の元気なお兄さんたちにも、厳重警戒と道路の封鎖を命じました。さきほどヒロコーが目にした『龍の歯』がそうです。
 
 一方で彼は、事務棟の従業員、まっとうなビジネスパーソンにも指示を出しました。それは妨害電波を出している地点の特定と、その電波特性の解析でした。彼は、この強力がジャミングは近くの隠された拠点で、大出力で行われていると考えたからです。
 この地点はすぐさま把握しましたが、そこへの攻撃はすぐにはしませんでした。下手に手出しすれば敵方に反撃の兆候を知らせてしまい、桃子たちを救出するまえにサンチョたちが襲撃されることをおそれたのです。
 
 これだけの対応に一時間余りかかってしまいましたが、困ったことに肝心の桃子の居所ばかりは分かりません。
 九二式歩兵砲を発射したくてウズウズしている彼は、苛々しだしました。
 ただ非常にやっかいな難題が一ありました。
 
 それはお爺さんに誰がどういうふうに耳に入れるかという、究極の難題でした。桃子のことを目に入れても痛くないほど溺愛しているお爺さんに、桃子の生死が関わる事件を告げる勇気が彼にもありません。 ぶっ飛んでいる、と危険なメキシコ人仲間内に言われている彼ですが、お爺さんがこの事件を知ったら、戦術核兵器で一帯を蚯蚓みみず一匹残らないほど破壊尽くせと命じかねないのです。最近影響力がとみに低下したとはいえ、まだサンチョなどの考え及ばない影の力を持ったお爺さんのことですから、桃子のために小型核兵器を入手し躊躇なく使用しかねません。
 これはさすがにこれはサンチョにもためらう理性はあります。
 お爺さんの耳にいれるのは桃子救出後にしほうが無難だ、と彼は考えましたが、お婆さんには密かに予め伝えていました。
 
 こうして彼が苛々としているときに、ヒロコーから連絡があり、暗号を解読して桃子一行の待避場所と敵情を知ったのでした。
 反撃実行と決断すると、彼の行動は迅速で、大胆でした。

 まずメキシコ人二名だけを警備のために残し、彼以下十二名で救出部隊を編成し、桃子らが立てこもる工場跡に急行しました。
 近くの妨害電波の発信拠点へは、『迷惑も……』が口癖の元気なお兄さんを派遣して壊滅する手はずにしました。事前偵察でこれらの拠点には、少数の民間人しかいないことから、元気なお兄さんたちで十二分だと考えていたのです。
 
 また、ジャミングが解除された直後に違う周波数、帯域で妨害電波を出して、襲撃犯たちの通信を妨害するようビジネスパーソンに指示を出しておきました。予備発電機と各種大型アンテナをもっている事務棟の大出力からすればたやすいことです。
 
 救出部隊は、歩兵砲をブルーシートで覆って積載した軽トラを従えて、桃子一行が立てこもる工場跡に急ぎました。
 メキシコ人仲間を二つに分けて丘陵の近くに配備したあと、彼は嬉々として九二式歩兵砲を発射しました。
 コーワの高性能双眼鏡で観察し諸元を射撃コンピューターに入力し、もう一人のメキシコ人が仰角と射角を調整しました。さらにもう一人が砲弾を装填し、サンチョが「ファイアー」と号令して、自身で拉紐りゅうじょうを引きました。すぐに双眼鏡を目に当てます。
 いらいらするほど遅く砲弾が飛びます。
 小銃より銃口初速がずいぶん遅い拳銃のそれより遅く、新幹線の最高速度どころか特急列車のそれと同じくらいの砲口初速の九二式ですから、たしかに飛翔する七十㎜砲弾が目にはいりました。

 丘陵台上の工場跡に近いところに着弾しました。彼が狙ったところとずいぶんずれています。着弾観測用ドローンを打ち上げ、モニターで着弾地点を正確に確認し、諸元を修正して次弾を発射しましたが、これも大きく逸れています。初弾とほぼ同じころに着弾しているのです。
 要するにいくら精密に着弾観測をして正確な諸元計算をしても、散布界が散らばるのはこの歩兵砲の本来の性能なのでしかたないでしょう。ですが、七十㎜榴弾は桃子たちが使ったグレネードランチャーの四十㎜榴弾には比べものにならない威力です。
 
 彼は砲撃で丘陵上の敵を追い下し、予め伏兵として配置していたメキシコ人の仲間が潰走する敵を討ち取ったのが、桃子救出の次第でした。彼にとって残念なことに、敵を完全に殲滅するころができず、四、五人を逃がしてしまったようです。
 
 なお、これまた余談ですが、ヒロコーが稲生家へ軽トラを返しに行って確かめたところ、あのおばさんの冗談ではなく、納屋に稼働状態のフェラーリが五台あったそうです。

(つづきます)


九二式歩兵砲


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