MIMMIのサーガあるいは年代記 ―61―
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第 四 章
-黒の狂騒曲-
「人間どうなっても、煙草なしではいきていけねえ。状況が悪くなればなるほど、煙草を欲しがるから妙だ」 大岡昇平『野火』より
緩丘に伏せたベンジャミンは、夜間双眼鏡で最前線の様子をゆっくり探りました。
攻撃は半ば頓挫しています。
機関銃の火箭が幾筋も交叉し、あちこちで迫撃砲や手榴弾の閃光が絶え間なく、夜間視力を妨げます。蛸薬師小路邸の丘陵のふもとでは、数棟の建物が屋内から炎と黒い煙を吹き出していました。砲銃撃によって内装が炎上しているのでしょう。
丘の頂に立つ白亜の四階建では、隣の火災と閃光によって鮮明に目視できます。外壁のあちこちに砲銃撃で穿たれた弾痕と鉄筋を露出させるまでの崩壊、それに火焔が舐めあげた痕などの外套をまとっています。素人目からすると、建物の中に生身の人間がまだ居ることを疑うでしょう。
生き残った部下たちは、窪地やさまざまな遮蔽物の陰にひそみ、散発的に射撃を繰り返していましたが、自分の標的が何なのか分かっていないようでした。
物陰で仲間に止血手当を受けている者、這いさがってくる部下。上半身や、腕、足をなくした戦死者の残骸、破壊炎上してひしゃげた車体部品、置き去りになった銃器、呻き声……そして絶叫。これらをも葬り去ろうとする蛸薬師小路側の間歇的ながらも正確で烈しい銃声と発砲炎……。負傷者を後方へ退避させるのにかこつけて、戦線離脱する部下も目立ちました。硝煙の臭いと、煙がたなびいてきますが、これには生肉が焦げた臭いも混じっているように思えました。
各級指揮官が、「そこの〇名、左へ迂回前進しろ」とか、「うしろの者、援護射撃を集中させろ」などと盛んに命令していますが、部下の名前を知らず、また、どの部下もまともに取り合おうとせずにまちまちに発砲しています。部下の完全把握と事前訓練ができなかった弊害を、あからさまに証明していました。
ベンジャミンは、このような戦場に動揺しません。彼にとっては過去に見慣れた敵陣攻撃の一変形バージョンなのです。
一方これまでの攻撃で、蛸薬師小路邸の三重の外壁と有刺鉄線つき金網フェンスのうち、正門付近では内側の壁一枚になるまで破壊し、南西では、二人なら並んで侵入できる破壊口を、数カ所確保する戦果がありました。
参謀たちが先ほど主張したとおり味方はさほど拙くはない、と彼は判断しました。『あと一押し!』という意見具申に間違いがありません。
「野戦司令部をここまで前進。オレが直接指揮をとる」と、宣言したのち問いただしました。
「電子戦はどうなっている。通信妨害をしていた筈だが奴らの通信が復活して、逆にこちらが妨害されてる。どうしてこうなった」
「あいつらはこちらの電子・通信戦能力を探ってなすがままになってたと、想像します。加えて、事前に探知できなかった高機能発電機群、通信装置、アンテナ群を使いだしたようです」と、通信・電子戦担当参謀がおずおずと報告しました。
「なぜ気づかなかった」
「秘密の通信基地が三㎞ほど北方にあるようです。そこまでケーブルを伸ばして使っているとしか考えられません」と、電子パットの地図を開き、位置を指さしました。
「こちらの通信ができないとなると……、予備部隊から徒歩伝令五名を抽出しろ。小隊長にも命令受領者を司令部に派遣させろ。小隊長に『部下を把握しろ。攻撃を躊躇する大馬鹿野郎は射殺してかまわん』と伝えるんだ。それと敵の通信基地へ予備から一個小隊を急派してつぶせ。待機しているヘリボーン部隊にたしかな副官を急派して、『通信途絶のため、攻撃発令、中止等は信号弾で指令する。信号弾を視認できる位置まで前進』と伝達させろ。すぐにだ」と、命じたものの、そこのあとでさらに、次の要旨を加えました。
戦線を整理するため、少し後方の安全地帯に後退させ部隊再編と弾薬補給をする、負傷兵を司令部後方まで後退させる、の二点です。
ベンジャミンはふたたび考え込み、煙草に火を点けました。一瞬ののち、ドスッという、重い小麦袋を叩いたような音がし、すぐそばで片膝をついていた参謀の一人が朽ち木のように倒れました。銃弾の飛翔音は聞こえませんでした。
「夜間に煙草とは、ど素人だ!」と、すぐさま草叢に頭を突っ込んだ作戦担当参謀が、苦言します。暗闇で不用意に煙草を吸えば、発見され、銃撃されるという兵士の初歩的な常識がベンジャミンに欠けていると、批難したのです。
「ここはディズニーランドのエレクトリカルパレードのように賑やかだぜ! どうだでっかい花火もあらあな。ここがアフリカの砂漠やサバンナだと! クソッタレ。煙草の火なんかでみつからねえぞ」と彼は言い返し、ミュージカルの舞台俳優のように大袈裟に両手を広げて、燃えさかる館に振り返りました。
「即死。右側頭部。ヘルメット端下に一発。恐ろしく精確な夜間狙撃だ」と、他の参謀が被害者の体を転がして確認しました。
「精確だと? これこのとおり、オレは生きている。狙撃なもんか。流れ弾のまぐれあたりだ!」こうバンジャミンはうそぶいて、まだ一口も吸っていない煙草を投げ捨てました。
蛸薬師小路側ですが、自爆ドローン攻撃のあと迫撃砲が沈黙したので、攻撃成功に湧き上がったのですが、一門が息を吹き返しました。それも彼らにとってたちの悪いことに、どこを狙っているのか分からない着弾が相次ぎました。一発ごとに思わぬところに着弾するので、いままでのように敵の目標を予測しがたいのです。
とまれ、敵の攻撃は小康状態になり、発砲も散発的です。ゴンザレスたちは、敵が部隊を再編していると考えました。外壁も所々で破壊されていますが、敷地内への敵兵の侵入はまだ一人も許していません。
司令棟の中では、まだまだ持ちこたえられる、と絹糸のように細い希望にすがりついていています。メキシコ人たちはほとんど負傷していることは確かですが、発砲場所やその数からすればなんとか守備をまっとうしていると考えたにちがいありません。
「これからどうする? ゴンザレス? それにガルシアを病院に連れ込まないと、長くないぞ」と、さきほどドローンにプログラムを組み込んだメキシコ人が尋ねました。問われたゴンザレスも弱々しくお婆さんを見つめるばかりです。お婆さんにも、とりたてて妙案がありませんでした。
「E・ワンからF・ワンへ。E2、3、4が負傷した。小銃は残弾なし。手榴弾と40mmグレネードを崖に転がし落とすしかできない。これ以上現地点での防御は不能。司令棟下の散兵壕まで後退する。許可は求めていない、通告である。繰り返す……」と、ある正規軍なら反抗、抗命ともとれる通信がありました。しかし、ゴンザレスも応答しようがなく、認めるしかありません。
S・スリーからも後退要請がありました。S・ワンとツーが戦闘不能だと叫んでいます。
しばらくして、西方で赤い信号弾二発が上昇し、このあと敵の発砲もほとんど停まりました。
これには、お婆さんもメキシコ人たちもエリカたちも、敵の攻撃中止と撤退の信号かと淡い期待をして、通信妨害で敵は通信不能だから、視覚信号に頼ったのだろう、と都合の良い判断をしてしまいます。
しかし、彼らの根拠のない希望を裏切って、狙いの定まらぬ迫撃砲は発砲速度をあげ、周囲からの銃火も再び盛り返してきます。
「M・ツーからF・ワンへ。北方からヘリ音源、複数。距離不明。航行灯を消している。敵と思われる……。敵と推認されるヘリ複数機、北より来襲」と、ナナミンから慌てた声で通信してきました。
ナナミンの連絡が意味するものは、だれもがわかります。
「敵味方不明でも、撃ち落とせ! スティンガーを持ち出せ! とにかく着陸させるな!」ゴンザレスは悲鳴のような声をあげていた。かたやお婆さんは、じっと黙って考え込むばかりでした。
最悪の展開です。しかし、最悪は一つではとどまりません。凶事は仲間連れが多いのが社会通常のことでしょう。
さて、ここまで久しく登場しなかった主人公桃子の様子はどうでしょうか。
(途中ですが、ここで続きます)