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降ってわいたお手伝い|ショートショート#note墓場

 落とし物を拾った。とても奇妙な落とし物を。

「これ…なに…?」

 それを持って帰ると、妻はぐっと眉をしかめて、なにかこわいものでもあるかのようにそれを見た。

「分からない。見た目通りなら、手、だと思う」

「うん、そうね、わたしにも手に見えるわ」

 険しい顔のまま頷いた妻は、それから目を離さずに僕のジャケットをハンガーにかけた。

「不思議なのはね、なんで手首から先だけが独立してるのかってことなの」

 僕は頷く。妻の疑問はもっともだ。手、というものは普通腕があってその先にあるものだ。なのにこれは、手首から先しかない。機械にも見えない。単純に考えるとちょっとしたホラーなのだけれど、どうもこの手には愛嬌のようなものがある。

 その日、食事した後の片づけを、それが手伝った。皿洗いなど、片手でしかないわりには器用にこなしていた。妻は驚き、そして笑った。

「なんだか、お手伝いさんができたみたい」

 常々、猫の手も借りたいと言っていた妻だ。人間の手に見える分、猫のそれよりは役に立つだろう。

「昔、アメリカのドラマだか映画だかに、手だけで動いているキャラクターがいたな」

 僕がふと言うと、妻はああ、と頷いた。

「アダムス・ファミリーのハンドくんね。そうだ、この子のこと、ハンドくんって呼びましょう」

 その日から、ハンドくんは僕たちの家に居着いた。落とし物なのだから警察に届け出るべきだと思ったが、いざ交番を目の前にすると説明のしようがないような気がして、入ることができなかった。

 妻は毎日いきいきと生活するようになった。僕が仕事に行っている間退屈だったのが、ハンドくんに話しかけたり色々な家事を教えたりすることによって、楽しくなったようだ。

 帰宅を急かされることがなくなった。僕が遅くに帰っても、夜食を用意するのも風呂を用意するのもハンドくんだし、妻は寝ている。
 酔っぱらって服を脱ぎ散らかしても怒られることがなくなった。片付けるのはハンドくんだからだ。
 ドラマの感想や近所の噂話を聞くこともなくなった。きっとハンドくんに話しているのだろう。
 

 そうして3ヶ月ほど時が過ぎた。僕は妻の声を忘れた。妻の身体を忘れた。僕の食べる料理を作るのはハンドくんで、僕のシャツにアイロンをかけるのもハンドくん。僕が毎日帰る家を掃除しているのも、おそらくハンドくん。そんな生活が当たり前のようになってきて、ふと考えた。

 僕が一緒に住んでいるのは誰なのだろう。僕が結婚したのは誰なのだろう。

 ある日僕は妻に言った。

「そろそろ子ども作ろうよ」

 妻は、まるで知らない人を見るような目で僕を見た。そのビー玉のような目に僕が映るのも、久しぶりな気がする。

「いらないわ。ハンドくんがいるもの」

 懐かしい鈴のような声で告げられた妻の言葉は拒絶だった。それでいて、彼女の顔付きはひどく柔らかい。

「彼ね、すごいのよ。教えたことはすぐできるようになるし、素直だし、かわいいし、育て甲斐があるの」

 彼って、あの手は男なのか? まず、耳もないのにどうやって妻の言うことを聞く? 脳みそも付いていないのにどうやって動いてるんだ? そもそも生きているものなのか?

 僕の頭の中にだんだん疑問符が現れる。最初に現れなかったのが不思議なくらいだ。

 妻はどこか恍惚とした表情で、ハンドくんと指を絡め、反対の手でその甲を撫でていた。

「だから今は、ハンドくんがいればそれでいいの」

 言葉に詰まって、僕はコンビニに行くとだけ告げて家を出た。
 
 いつの間にか、あの得体の知れない落とし物に家を奪われていたような気分だ。たかが手、それも片手に過ぎない存在に。そんなことがあっていいものだろうか。

 徒歩5分の位置にあるコンビニで煙草を買い、決意した。

 落とし物なのだ。やはりきちんと警察に届けよう。そうすればきっとすべて元に戻る。最初からそうすべきだったのだ。

 意気軒昂として家に戻る。玄関の扉を勢いよく開けたところで、奇妙な音が聞こえた。やけにねばついたような水音、そして猫の鳴き声のような――。

 ああ――。

 僕はずるりとその場に座り込んだ。

 すでに奪われていたのだ。得体のしれないあれに。だれのものかも分からぬあれに。生き物なのかどうかすら分からぬあれに。家も、結婚1年目の妻も。

 ベランダでは妻と手が干した洗濯物がはためいているだろう。風呂場は妻と手で浄められ、湯が溜められているだろう。流しに置いた食器は妻と手で洗われるだろう。

 水音も鳴き声も止まない。むしろ大きくなってきている。

 僕はこの先どこでどうやって生きていけばいいのだろう。しばらくはここに居候していられるだろうが、いつまでもそうはしていられないだろう。
 
 いっそ、こんな生活からは手を切って、新しい人生をはじめようか。そうした方が幸せになれるかもしれない。

 ひっそりと笑いを漏らし、ずるずると立ち上がった僕は、家を出た。


                    【完】


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こちらの企画に参加しています。

 ホラー、難しいっっっ!
 そもそもホラーって、何をもってホラーなのだろうか。そう悩み、なかなか参加できずにいたこの企画。スティーブン・キングを読み漁っていた時期があるのだけれど、どうもああいう系統のホラーは自分には書けないような気がしていた。実際書けなかった。昔から、『本当にあった怖い話』よりも『世にも奇妙な物語』っぽい話を創っていた。
 いやー、今回のこれはホラーなのかな。今の自分にできる限りでホラーに寄せたつもりではあるけれど。

 よろしければ講評ください。できれば優しめで。よろしくお願いいたします。
 

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