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コンプレックス 〜ショートショート〜


「化粧しないと人になんて会えないよ」

 それが、真奈子の口癖だった。
 実際、彼女の素顔を見たことはない。お泊まりをしても、風呂に入った後化粧をして、皆が眠ってしまってから化粧を落として、誰より早く起きて化粧をする。それが真奈子という女だ。


 付き合う男にもそうなの?  と、1度興味本位で訊いたことがある。返ってきた侮蔑の眼差しが忘れられない。
 きっと彼女にとってそれは、聞くまでもない当たり前のことなのだろうと理解した。

 そんな真奈子とは高校生の時からの付き合いで、高校生のときから先の口癖は変わらない。今は化粧品会社でOLをしているそうだ。似合いの就職先を選んだものだと思う。

 彼女から急な飲みの誘いを受けたのは、金曜日。たまたま残業もなく、予定も入っていない日だった。


――今日暇? 飲まない?

――別にいいけど。また急な(笑)

――じゃ、19時に○○駅の改札で。


 自分から誘ってきたくせに、待ち合わせ場所に真奈子が現れたのは、19時半だった。
 最近、エフォートレスという言葉が流行っているから、彼女がどうなっているのか興味があった。なのに、彼女は本当に何も変わっていなかった。
 くっきり大きくてぱっちりとした二重の目。茶色のグラデーションが施された瞼に、くるんと上を向いた付け睫毛。ぷっくり膨らんだ涙袋に長い下睫毛。ほんのりピンクの頬にうるうるとしたピンクの唇。髪色はミルクティーみたいな茶色。前髪は眉のあたりでくるんと巻かれ、肩下までの髪はカールが完璧。

 本当に驚くほど、変わらない。エフォートレスなんて、彼女には無縁の言葉だったようだ。


「ごめんごめーん。急に残業が入ってさ」
 顔の前で手を合わせて見せる真奈子。その仕草すら、変わらない。
「ああ、うん。大丈夫」
 肯定の言葉なんて予想通りだったんだろう。にっこり笑って、彼女は「よし行こーう」なんてテンション高めな声を上げて、歩き始めた。誘ったのは彼女だから、彼女が行き先を決めるのは当然で、文句も言わず後に続く。


「らっしゃいやせー!」
 

 予想外だった。
 連れて来られたのは、煙の立ち込める昔ながらの居酒屋。あちこちで、スーツを着たおじさんサラリーマンがビールを飲みながら煙草を吸っている。

 え? ここ?
 脳内で疑問符が踊った。

 真奈子は慣れた様子で案内された席に着き、おしぼりで手を拭っている。木製の机は、何なのか分からないけれど少しベトベトしていて、それでも彼女は気にする様子もない。

「生でいい?」

 真奈子に問われ、頷く。すみませーん、と声を上げて店員を呼ぶ彼女が、化粧しないとどこにも行けず人前にも出られない、なんて言う気取った女だとは、誰も思わないだろう。それくらい、彼女は物慣れた雰囲気を醸し出していた。

「生ふたつと、たこわさと胡瓜。あと、ねぎま2本と、こころ2本、せせり2本とぼんじり2本。とりあえず以上で」

 流暢に注文を終えた彼女は、店員ににっこりと笑いかけたあと、こちらに向き直った。

「勝手に頼んじゃったけどよかった?」

「うん。大丈夫。ありがと」

「こっちこそ、急なのに来てくれてありがとうね。なんか久しぶりに喋りたくなっちゃってさ~」

 そう言う顔は本当に変わらないのに、いる場所が違うというだけで変わって見えてきた。だから、運ばれてきたビールで乾杯をしたあと、つい訊いた。

「まだ、化粧しないと人に会えない?」

 見返す彼女の視線が怖い。いつかのように、侮蔑の眼差しが返ってきたらと思うと。
 けれど予想に反して、返ってきたのはきょとんとした、本当にわけを分かっていない顔だった。

「え? なんの話?」

 胸に落胆が広がっていく。彼女は変わってしまったのだ。

 誰に何と言われようと主義を貫く彼女を、かっこいいと思っていたのに。矜持を持つからこその侮蔑の眼差しに、心を射抜かれたのに。

 急に空間全体が味気なくなって、機械的に串を口に運んだ。
 真奈子は先の会話など忘れたかのように、化粧品会社であった面白いことを次々に話してくるけれど、それもほとんど聞き流した。
 気づけばもう深夜で、彼女はとろんとした目でぼんやりとこちらを見ている。いつの間にやら話も終わっていたようだ。

「酔っぱらった~~~」

 見て分かることを叫ぶ真奈子に財布を開かせ、割り勘でお会計を済ませる。そして、身体から力の抜けた彼女をむりやり起こして店を出た。
 夜風が涼やかに、酔いをさらっていく。

「ね~、家まで送ってよーう」

 泥酔、という言葉が相応しいのだろうか。真奈子の様子では、自力で帰ることは難しいかのように思えた。仕方なくタクシーを拾って一緒に乗り込む。

 彼女は、6階建てのマンションの5階に住んでいた。エレベーターがあって助かった、と思いながら彼女を部屋に運び込み、帰ろうとすると腕を掴まれた。

「もう遅いし泊まったらいいじゃ~ん。お風呂入ってくるから待ってて~」

 確かにもう遅い。それに、学生時代は何度もお泊り会をしている。その記憶がフラッシュバックして、酔いのせいか先の会話も忘れて問いかけた。

「化粧しないと人に会えないのに、いいの?」

 真奈子はへにゃりと笑った。泥酔していても、化粧はまったく滲んでいない。

「今日はいいの~」

 そう言って、さっさと風呂場に向かった真奈子を見送り、ふと首を傾げたくなった。
 今日は? それなら彼女は現在でも、あのポリシーを貫いているのだろうか。そう考えると、少し心が浮き立った。

 そして、戻ってきた真奈子を見て、心は驚愕に染まった。

「かわいいでしょ~?」 

    にっこり笑って言う真奈子。いや、笑っているのかも分からない。
 糸のように細い目。鼻は低く丸く、皮膚が薄いのか頬が異常に赤い。そしてそばかすが浮いている。唇は薄く、色がない。

 控えめに言って、不細工な女がそこにいた。

「化粧しないと人になんて会えないよ~」

「でもね~、整形したいとも思わないんだ~」

「だって~、化粧したら化けれるって~、一種の才能じゃな~い?」

 次々に投げられる言葉のどれにも、否定も肯定もできず、ただ言った。

「今でも、化粧しないと人に会えないの?」

 真奈子は不細工な顔で頷いた。

「当たり前~。今日だけ、特別~」


 思わず涙ぐみそうになった。
 彼女は生きていた。彼女の主義は生きていた。それがたまらなく嬉しく、胸が熱くなる。

 願わくは、一生そのままで。憧れた姿、そのままで。
 真似なんてできないその姿を見させてほしい。


 射抜かれた心は、そのままだ。


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コンプレックスは、劣等感の中に優越感が入り混じった状態、のことです。
この語り手は男でしょうか?女でしょうか? みなさまの意見、お待ちしています。

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