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【ものがたり】ショートショート

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短い物語を。温かく見守ってください。修行中です。
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#短編小説

言葉の裏側|ショートショート

 妻が唐突に、首を傾げて囁いた。 「ねえ、あたしと結婚して良かった?」  妻の目は丸く澄んで純粋だった。その目を前に誰が否定の言葉を放てるだろう。 「もちろん、良かった」  間髪入れず答えた僕に、妻は莞爾と笑う。これは誘導尋問だ。妻が安心したいがための。  けれど安心を与えたはずの僕の心には、もやっとしたものができた。妻の言葉によって、そうでない可能性が目の前に浮上したからである。もし彼女と結婚しなかったら、別の人と結婚していたら、その方が僕は良かったのではないか。  浮気し

そこにつくる想い|ショートショート #月刊撚り糸

 じわりじわり、とその感情はわたしを浸食した。だれもなにも悪くない。ただタイミングが悪かったのだと、そう叫びたかった。 「ね、別れよっか」  わたしがそう告げたときの彼の表情を、よく覚えている。鳩が豆鉄砲を食らったような、と言うのがぴったりな、なにがあったのか分からないという顔をしていた。 「へっ?」  その表情が愛おしくて、微笑んだ。なぜだか分からないふりをした涙を零すまいと堪えた日々の終焉が笑顔だなんて、秀逸すぎる。 「え? ちょっとどういうこと?」  諒(り

角を曲がったところにあったもの|ショートショート #月刊撚り糸

「ね。別れよっか」  笑顔でそう告げられたとき、俺はとても間抜けな顔をしたと思う。何を言われたのか、何と言われたのかにわかには理解できなくて、驚きすらもまだ訪れていなかった。 「へっ?」  俺たちは一緒にNet○lixで映画を観て、お茶を飲みながらだらだらしていたところだった。映画はふたりとも好きなアクションもので、面白いねと笑顔で話をした。いつも通りの日常、この1年間一緒に住んで馴染んだ日常そのままだった。  なのに架寿実(かすみ)は、いつもと変わらない笑顔で、言葉の

仮面を被った話の行方 #月刊撚り糸

「こないだね、知り合いの子が言ってたんだけど」   期間限定のフラペチーノを持って席に着き、彼が席に落ち着いたのを確認してからわたしは口火を切る。フラペチーノには専用の太いストローが付く。彼はそれを、今回初めて知ったようだ。 「ふうん。知り合いって?」  無造作にぐいっとストローを生クリームの山に差し込み、一吸いしてから彼は問うた。わたしは眉間に皺が寄るのを感じ、いかんいかんと瞬きをしてから答える。 「こないだ飲み会あったでしょ。そこで久しぶりに会った大学の子」  

まどろみサンドイッチ|ショートショート

 エレインは、短期留学で我が家にやって来た女の子だ。彼女がやってくる前に、えれいん、という名前の響きだけで想像していたのとは違って、金髪でもなければそばかすだらけでもなかった。それでもわたしよりよほど高い身長で上の方から発声される英語は、わたしに非日常を連れてくるに充分だった。 「エレイン? 何してるの?」  ある日曜日の朝、キッチンの物音に気付いて声をかけたのはわたしだった。システムキッチンをがちゃがちゃといじっていたエレインは機敏な動きでぱっと顔を上げて、悪びれずに言

僕の過ち|ショートショート

 あの日の空気を、まだ鮮明に覚えている。新しい部屋の匂い。カーテンを付けていない窓から入る夏の風。段ボールの重み。  たぶん、僕は間違った。浮き立った心でいた僕は、浮いているのが自分ひとりで、君はきちんと地に足を着けていたことに気づかなかった。 ***    運び込んだ、合計21箱もの段ボール。それらを開封する気力もないままに、僕たちはしばしフローリングの床にへたり込んでいた。真っ青で眩しい空が広い窓から覗く。額からは汗が流れ、汚れてもいいやと選んで着ていたTシャツの首元

【あとがき】無花果の愛

 初めて5000字を超える小説を掲載した。いつも投稿している『ショートショート』のジャンルは800~4000字のものを言うらしい。なので今回は『短編小説』とくくることに。  せっかくなので、あとがきを書いてみようと思い立った。ネタバレというか解説を含むので、本編未読の方はどうか本編を先に読んでいただきたいです。 +++  愛の形ってなんだろう、そう考えたのがはじまりだった。かつては見合い結婚の時代であったし近年は恋愛結婚の時代であるが、その様相もどうやら変化しつつあるらし

無花果の愛|短編小説

 かぐわしい食べものの香りと、人々のさざめきに溢れた空間。温かみのある木でできたテーブルと椅子。男が初対面の場に選んだ店はまさに、ムードがある、と言うに相応しいところであった。その男がお手洗いに立ったタイミングで、溜まった通知を消化しようと千晃(ちあき)は自身のスマホを手に取る。顔認証で画面を開き、その瞬間目に飛び込んだ文字に思わずえ、と声を漏らした。 ――今日なにしてるーん?  少し考え、一旦未読のまま放置して他のメッセージに返信を送ることにする。その作業を終えてちらり

他人同士のクリスマス ~ショートショート~

「君はひとりでもやっていけるんだね」  それが彼の、最後の言葉だった。 ***    はあーっと、白くなる息を薄青い空に吐き出した。今日はイルミネーションがピークになる日。そう、クリスマスだ。  昨年の今頃はディナーで揉めて泣いていたっけ、とぼんやり思い出す。ケーキの味が彼の舌には合わなかった、というのが問題だった。今日の私はパソコンの見詰めすぎで目の奥がずきずき疼いていて、別の意味で泣きたいところ。独身で恋人もいない人は、どうしてこの日仕事でこき使われるのだろう。不条理

毒の酸素 ~ショートショート~

 わたしはきっと、いつになっても思い出す。未来がないと知りながら、君に溺れたあの季節を。空気の匂いが変わる中で、それでも変わらなかったわたしの心を。その心を見つける君の瞳の輝きを。その輝きに熱くなって焼けた、そしてついに焼け切れた、わたしの想いを。 ◇◆◇◆  出会ったのは春だった。初対面の場に遅れてやってきた君は、はじめましての挨拶もなく唐突に話を始めた。 「俺、料理できる人ほんまにすごいと思うねん」  わたしは目が点になっていたと思う。けれどその言葉を皮切りに、彼はぐ

名前のない距離 ~ショートショート~

 いつもの談笑。あほみたいな話で笑っていたのに、急に君は言った。 「いい機会やからさ、決まった人作ろうと思うねん」  へえ、と返した声は平静だったろうか。ひやり、と冷たい液体が内臓を撫でた気がした。  君と私、ふたりの関係に名前はない。だからかな。君は平然と、うん、と言い話を終わらせる。  ここで、探るように私を見てくれたらまだ救われるのに。もしかしたら、踏み込む勇気を持てるかもしれないのに。  私は黙って飲み物を啜る。 「恋人ってさ、どれくらいの頻度で会いたいもん

ほどけるプリン ~ショートショート~

 パチパチパチ……。PCのキーボードが鳴る音が響く。音を立ててキーボードを押し込むと、なにかをしている実感が出て良い。それに今このオフィスには誰もいないのだから、騒音だとか気にする必要はない。いっそ歌でも歌ってやろうか。  iPhoneに手を伸ばし、お気に入りの曲を流そうとして気づいた。 ――新着メッセージ1件  FaceIDで開く画面は、すぐにそのメッセージの内容を表示する。 ――最近どう?美味しいプリンがあるんやけど、久々に会わへん? 「ありゃ」  思わず漏れた声

座敷童の居場所 ~ショートショート~

 おばあちゃんの家は、ぼくの家から車で3時間くらいかかる田舎にある。周りは田んぼと畑ばっかりだし、夜はずっと蛙と虫の声がうるさい。近くに公園なんてないし、ゲームセンターなんてものもない。ないない尽くしだけど、ぼくはおばあちゃんの家が好きだった。  従兄弟たちと鬼ごっこやかくれんぼができるほど広い家は、どこの部屋でも畳と木の匂いがする。ぼくの家では絶対しない匂いだ。  その中のひとつの部屋で、ぼくはその子にであった。  従兄弟たちが来るのは明日で、ぼくはひとり家を探検してい

カントリーロード ~ショートショート~

 ふと、田舎の空気を嗅いだ気がして、智世(ちせ)は顔を上げた。幼い頃はここにいつも満ちていたのに、周囲の都市開発の影響ですっかり過去のものとなってしまったそれ。  懐かしい、なんて感傷はないまま、智世はただ深呼吸した。  葬儀のために帰省して、今日で6日目。諸々の手続きをがむしゃらにこなし、ぽっかりと空白が生まれた1日である。暇を持て余し、家にいるのも億劫な気がして、智世は散歩に出ている。幼い頃から何度も通った道。見える景色は、ほとんどが記憶と一致する。いなくなった人も、増