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【ものがたり】ショートショート

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短い物語を。温かく見守ってください。修行中です。
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#小説

言葉の裏側|ショートショート

 妻が唐突に、首を傾げて囁いた。 「ねえ、あたしと結婚して良かった?」  妻の目は丸く澄んで純粋だった。その目を前に誰が否定の言葉を放てるだろう。 「もちろん、良かった」  間髪入れず答えた僕に、妻は莞爾と笑う。これは誘導尋問だ。妻が安心したいがための。  けれど安心を与えたはずの僕の心には、もやっとしたものができた。妻の言葉によって、そうでない可能性が目の前に浮上したからである。もし彼女と結婚しなかったら、別の人と結婚していたら、その方が僕は良かったのではないか。  浮気し

そこにつくる想い|ショートショート #月刊撚り糸

 じわりじわり、とその感情はわたしを浸食した。だれもなにも悪くない。ただタイミングが悪かったのだと、そう叫びたかった。 「ね、別れよっか」  わたしがそう告げたときの彼の表情を、よく覚えている。鳩が豆鉄砲を食らったような、と言うのがぴったりな、なにがあったのか分からないという顔をしていた。 「へっ?」  その表情が愛おしくて、微笑んだ。なぜだか分からないふりをした涙を零すまいと堪えた日々の終焉が笑顔だなんて、秀逸すぎる。 「え? ちょっとどういうこと?」  諒(り

ジョハリ #月刊撚り糸

 ふと目覚めて、隣を見て溜息が出そうになるのを慌てて堪えた。安らかな寝顔と安らかな寝息。なんだか息苦しくなって、涙腺が緩んだから反対側に寝返りを打つ。  どうしてだろう、と思う。この人生を選んだはずなのに。この人を選んだはずなのに。  部屋はまだ暗い。きっと朝は遠いのだろう。もうひと眠りして起きたら、あの友人に電話をしようと思う。 *** 「ジョハリの窓って知ってる?」  佳奈がそう言ったのは、社会人になったばかりの頃だった。 「うちら何学部卒よ?」  椎名はそのとき

明けまして #月刊撚り糸

 本当に何年振りかで、年賀状を出すことにした。実家にいた頃は両親が毎年用意するのに便乗していたものだが、ここ数年は喪が続いたこともあって姿を見ることもなかった。  寒空の下、郵便局の外に張ったテントではがきを売るお兄さんから、三十枚ほどを買い取る。パソコンのソフトを使ってデザインを作り、はがきに印刷した。自宅の小型プリンターから吐き出されるそれらを見ながら思う。出す相手は三十人もいないのに、こんなにたくさんあってどうしようか。  脳裏に、久しく連絡を取っていない友人知人の

あちらとこちら、夢のまた夢 #月刊撚り糸

 僕から見て、彼女はいつも『あちらに行ってしまいそう』な人だった。あちらってどこかだなんて訊かれても答えられない。とにかく、ここじゃない、もう二度と会えない、そんなところだ。  はじめて彼女に会ったのは、僕が新卒で入った会社を燃え尽き症候群で辞めたばかりのころだった。もうなにもやる気がしなくて、なにもできる気がしなくて、残業のおかげで貯まる一方だったお金を頼りにひたすらぶらぶらしていた。食べることにだけはやる気を見出せたから、その日も僕はずっと気になっていたお店に出向いた。

薔薇とラベンダーとブルースターと #月刊撚り糸

 花屋というのは、よく目にするし香りも主張する割に、日常的に立ち寄る場所ではないというのが一般的な見解ではないだろうか。最近の若い人について言えば、個人で営まれている花屋で花を買ったことのある人の方が少ないくらいだろう。大手のスーパーにはだいたい花屋が入っているし、わざわざ町の個人店に行くほどのことはない。  志摩子(しまこ)が働く『グリーンゲイブルス』も同様で、長くの常連さんが訪れる他に客足はほとんどない。店主の槇笠(まきかさ)は花屋一筋でやってきた63歳だが、営業活動を一

春の陽射しと櫻の花と #月刊撚り糸

 うららかな春の陽射しが降り注ぐ。ぽかぽかとした陽気があたりを満たしているけれど、ひとたび陽が陰れば打って変わった涼しさに包まれるのだろう。  そんな、あやふやであいまいでつかみどころのない季節。 *** 「分かった。別にいいよ」  口に出した言葉とその温度に、茉奈は自分でいやというほどのデジャヴュを覚えた。ベツニイイヨ。なんて平たくて無意味な言葉。  それなのに、目の前に座る男はほっと表情を緩ませる。つい5分前までは愛おしく、傍にあってほしいと望んでいた目尻の皺。  男

死にたがり屋のひとりごと|ショートショート

――ねえ。わたしが死んだら、この世界ってどうなるのかな?  彼女がそんな質問をしてきたのは、真夏らしい暑さの昼間のことだった。ぼくは畳の上に転がって、縁側から入ってくる、草の匂いがする風を感じていた。日光が燦燦と降り注ぐ庭を眺めながらだべってるぼくらは、なんとも言えず夏らしかった。 ――世界の話? さあ、なにごともなく続いていくんじゃない?  ぼくは暑さでぼーっとなりながら答えた。だからそのとき、彼女がどんな顔をしていたかは知らない。 ――おかしくない? だってこの世

満たすモノ|ショートショート

 ぺろり、と上唇を舐めた。生クリームの味。昔あんなに大好きだったのに、今ではちょっと重いなと思う味。 「でね、どう思う? もうほとんど1年もしてないの」  目の前に座る彼女は、あたしと同じものを飲んでるはずなのに生クリームが上唇に付かない。器用だからなのだろうか。 「1年かー。それは長いね」  かく言うあたしは、ほとんど1年恋人もいない。彼女が左手で飲み物を手に取った。薬指の指輪がきらりと光る。自慢のダイヤモンド。 「こども欲しいのに、こんなんじゃ困る」  くいっと寄せられた

【あとがき】無花果の愛

 初めて5000字を超える小説を掲載した。いつも投稿している『ショートショート』のジャンルは800~4000字のものを言うらしい。なので今回は『短編小説』とくくることに。  せっかくなので、あとがきを書いてみようと思い立った。ネタバレというか解説を含むので、本編未読の方はどうか本編を先に読んでいただきたいです。 +++  愛の形ってなんだろう、そう考えたのがはじまりだった。かつては見合い結婚の時代であったし近年は恋愛結婚の時代であるが、その様相もどうやら変化しつつあるらし

無花果の愛|短編小説

 かぐわしい食べものの香りと、人々のさざめきに溢れた空間。温かみのある木でできたテーブルと椅子。男が初対面の場に選んだ店はまさに、ムードがある、と言うに相応しいところであった。その男がお手洗いに立ったタイミングで、溜まった通知を消化しようと千晃(ちあき)は自身のスマホを手に取る。顔認証で画面を開き、その瞬間目に飛び込んだ文字に思わずえ、と声を漏らした。 ――今日なにしてるーん?  少し考え、一旦未読のまま放置して他のメッセージに返信を送ることにする。その作業を終えてちらり

天使になった少女|ショートショート

 高所恐怖症の少女がいた。少女は一軒家に住んでいたが、2階のベランダすら怖くて行くことができなかった。  ある夜、彼女の肩甲骨が疼き、次の朝には真っ白い翼が生えていた。少女は驚き慌て、母に報告した。母はため息をつき、気の毒そうに言った。 「あなたは半分天使なの。いつかいつかと思っていたけど今日だったのね」  少女は泣き、学校を休んだ。入学したばかりの高校では友達もいなかったから、誰も少女を心配したりはしなかった。  その夜のごはんは赤飯だった。  少女の翼は雲を目指したがっ

他人同士のクリスマス ~ショートショート~

「君はひとりでもやっていけるんだね」  それが彼の、最後の言葉だった。 ***    はあーっと、白くなる息を薄青い空に吐き出した。今日はイルミネーションがピークになる日。そう、クリスマスだ。  昨年の今頃はディナーで揉めて泣いていたっけ、とぼんやり思い出す。ケーキの味が彼の舌には合わなかった、というのが問題だった。今日の私はパソコンの見詰めすぎで目の奥がずきずき疼いていて、別の意味で泣きたいところ。独身で恋人もいない人は、どうしてこの日仕事でこき使われるのだろう。不条理

やさしい人 #やさしさにふれて

 やさしい人ね、とよく言われるけど、僕はその度に困って曖昧に笑うんだ。だって僕は、全然やさしくない人間だから。 ***  小学生の頃、まあありがちだけど、僕はいじめられていた。痩せてメガネをかけていたから、っていうのがきっかけだったんだと思う。中学生になっても、一部でそれは続いた。だってほとんど同じ小学校から来てたんだもの。だから僕は息を殺して生きていた。  変わったのは高校生になったときだ。だれも僕を知らない環境に行きたかったから、同じ中学から志願者がいない高校に出願