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1分間の黙祷を

こんにちは、ヨウです。


先日、75回目の終戦記念日を迎えました。多くの方々が戦争によって亡くなられたという事実が、私の胸に突き刺さります。もし、あの時代、あの思想の下で生活していたら、私はどうなっていたのだろう? と、毎年、この日に考えます。


今回は、「戦争」ということに思いを馳せてみたいと思います。私は、この平和な日本で「戦争」ということについて考えることは、とても大切なことだと思っています。戦争を経験せず、いつも衣食住が確保されて安全に暮らした私が、考えることです。もしかしたら、語弊を招く表現があるかもしれません。その時には、ご指摘をお願いします。(そういうことがないように努めますが)


1945年8月9日11時2分

私はナガサキの街で生まれ育ちました。

ナガサキの街では、「長崎原爆の日」は必ず学校の登校日です。11時2分に黙祷を捧げ、その前後で平和や戦争に関する集会をしたり、語り部(かたりべ:戦争の悲惨さを語る、戦争経験者の方)の話を聞いたりしていました。街にはサイレンが鳴り、その時間、ナガサキの街は時間が止まります。一発の原子爆弾によって、多くの人の命が奪われました。戦争の悲惨さ、尊い命が奪われた瞬間、何の罪もない一般人が戦争の犠牲者に、私たちは祈りを捧げます。



原爆の日が「日常」に成り下がった

私は他県の大学に進学しました。いじめ、貧困、虐待など、嫌な思い出が詰まった街から去りたくて、私は県外に出ることにしました。その願いも叶い、私は大学生活をスタートさせました。

8月前半は、大学の期末課題に追われたり、試験があったりしていました。また、並行して、自然の家での野外キャンプのボランティアスタッフとして活動していました。忙しくも楽しい、充実した時間を過ごしていました。

8月6日、広島原爆の日。私は、山奥の自然の家で、子どもたちとキャンプをしていました。いつもなら、朝起きて民放テレビでも「黙とうを捧げましょう」と放送があっています。私は、気づかぬうちに、何事もなく8時15分を見過ごしていたのです。

8月9日、私は友達と一緒に、大学の構内でレポートを書いていました。友達が「お腹すいたね。そろそろお昼ごはんを食べない?」と言われたとき、時計を見ると、12時を過ぎていました。その時に、「あ、今日原爆の日だ。」と気づきました。いつもなら、街にサイレンが響き渡り、時が止まる時間なのに。


大学で他県に引っ越しをして、初めて、広島と長崎の原爆の日が、何事もないただの日常であることに気づかされました。私たちは、当事者(とその子孫)であり、ナガサキの街で育ったからこそ、8月9日に時が止まるのです。しかし、一歩県境を跨げば、大したことではなくなってしまうのです。私は、驚愕しました。大切だと教えられ続けていた日は、他県ではただの日常だったのです。



人は、辛い経験を正当化する

私たち人間は、昔あった嫌なことや辛いことを忘れるようにできています。そして、その経験を「美徳」として、他者(特に自分より弱い立場の人)に押し付けてしまう人も少なくありません。

過去の辛い体験、「あれはものすごく辛かった」という経験がありつつも、いざ他人が同じ目に遭っていると「私はそれでも乗り越えてきたんだ」と偉そうに語る方が多くいます。仕事であれ、子育てであれ、当時大変な思いをしてきたのに、「同じ経験をしなさい」と言わんばかりに同世代や後輩に無理を強いる人は、まだまだいます。

私たち、被虐待児も同様です。親から苦しい思いをさせられてきたのに、いざ自分の子どもになると、同じことをしてしまいます。「私も親から叩かれて育ったから」と、嫌だった経験を正当化して、同じことを繰り返してしまう人は多いものです。全ての人がそうだとは言いませんが、実際、虐待をした親の過去を洗うと、親自身も虐待を受けていた、という例はかなり多いものです。


戦争だって、同じです。多くの国や人が、「戦争は良くないこと」ということを理解しているのにも関わらず、未だに「原子爆弾は必要悪だった」「戦争をして打ち負かさないと理解できない国もある」などと言う人がいます。私は、そんなことを口走る人と、何人も出会いました。そして驚くべきことに、そういう人たちは皆、日本で生まれ育った人なのです。



戦争は、国同士の喧嘩

戦争が終わって、75年が経ちました。戦争を経験した人はどんどん年を取り、年々少なくなっています。

日本人は、戦争を経験していない人が大多数です。人は、自分の経験したことのないことを理解することが苦手なので、ついつい、一部の情報を切り取って、自分の都合のいいように解釈してしまいます。「戦争が必要なのでは?」と考える人も少なからずいるでしょう。

その辺の「正解」は分かりません。ただ私は、はっきり言って、「戦争が必要かどうか」なんて議論している時点で、大切なことを忘れているのではないかと思います。


戦争は、国と国との喧嘩です。では、実際に喧嘩で傷を負うのは誰ですか? 国のトップではなく、国民なのです。

昔の戦争は、志願した人が軍隊に入り、その人たちが戦争をしていました。いわば、軍と軍が戦っていたので、一般人は犠牲になりませんでした。しかし、あるきっかけで、国から軍に入るように命令されるようになり、一般人が巻き込まれるようになり、日本でも他国でも、たくさんの一般人が戦争の犠牲になりました。



命は尊い

想像してください。あなたが大切にしている人が、国の命令によって戦争に駆り出され、その後亡骸が帰ってくる状況を。自分は生きるのに必死なのに、空から降ってきた爆弾で全てが粉々になる風景を。大切な人が、他所の国の大切な人と殺し合いをしている姿を。

私個人としては、戦争をするなら、国のトップが正方形のリングで殴り合って決めてほしいと思っているほどです。なぜ、国のもめごとに、私たち一般人が巻き込まれないといけないのか。国に税金を納めて、国が運用して、国のために働いている私たちが、なぜ命まで差し出さないといけないのか。私の大切な人の命を、他人の都合に合わせて差し出さないといけないのか。


戦争の中で生きていた方々は、そんな不条理の中で、誰にも文句を言えず、ただ必死で生き永らえてきたのです。そして、私たちに「戦争の悲惨さ」を伝えてくれています。しかし悲しいことに、私たちはその話を聞いて、戦争の悲惨さを想像するしかできないのです。



戦争で亡くなった方々に、黙祷を

私たちは、長い間戦争を経験せずに生活することができました。それは本当に幸せなことなのです。大切な人との時間を「空から爆弾が降ってくるかもしれない」という外部の脅威に怯えながら生きなくてもいいのです。

もちろん、私は、それ以外の苦しい思いをしてきました。いじめ、貧困、虐待、親の精神疾患、そして施設入所…。日本の子どもたちの中で相対的に見れば、決して恵まれた人生を歩んできたとは言えません。だからこそ、日本がもっと良い国になってくれるように、私は私の経験と意見を伝えています。そして、大切な人を幸せにする方法を日々考え続けています。


そんな私たちにできることは、戦争で亡くなった方に黙とうを捧げることです。そして、その時間、戦争の悲惨さを想像し、思いを馳せるのです。

終戦記念日でなくてもいいのです。原爆の日でなくてもいいのです。自分の空いたタイミングで良いので、年に一回、1分間で構いません。黙とうを捧げてみませんか? 

世界はめまぐるしく変わり続けています。進歩が繰り返され、私たちはよりよい生活ができるようになってきました。だからこそ、過去の失敗を思い出す時間も必要です。同じ過ちを繰り返さないように。そして、これからの未来をよりよくするために。


私は、戦争を経験していません。戦争の悲惨さも、当時を生きた人の気持ちも、真に理解することはできないでしょう。私にできることは、年に1回、戦争の悲惨さを想像し、限られた情報をもとに、命の尊さについて考えることなのです。



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